迷い込んだ世界
生徒たちが洗脳魔法で操られている。
その根源を探すため部屋を見渡していると、マーヴィンが私を見て微笑んでいることに気付いた。
(マーヴィンはジェムの話をしてない。もしかして何かに気付いてる……?)
私は小声でマーヴィンに尋ねる。
「……あの。この授業変だと思いませんか?魔法石を持ってる子の顔もおかしいし、そもそもこの部屋の空気が変って言うか……」
そう言った瞬間に、マーヴィンの顔から笑みが消えた。
(……え?)
予想外の反応に私は思わず黙り込んだ。
私の顔の一点だけをじっと見つめるその視線が怖くて、これ以上何も言えなかった。
しばらくして、マーヴィンは何事もなかったように笑顔に戻る。
「そう?別に何も思わないけど。君は面白いことを言うんだね」
そのわざとらしい返答に、マーヴィンに対する疑いが強くなっていく。
(嘘だ……マーヴィンがこの異変に気付かないはずない。絶対に、気付いてるはずなのに……)
ーーまさか、彼は監視役?
その可能性を思い浮かべて、背中がゾッとした。
否定したい……だけど、それしか彼が嘘をつく理由がない。
気が付けば、私はマーヴィンから距離を取っていた。
(マーヴィンが、教師たちと一緒になって生徒を操っているの……?)
記憶にある原作のストーリーを必死に辿ってみるけど、肝心なことが何も思い出せない。
(……どうして?何度もプレイしたはずなのに、なんで思い出せないの……?)
戦争が起こる、その事実は思い出せたのに、それがどうやって始まるのかがわからない。
(……おかしい……)
考えてる間にも、灰色の瞳が私を捉えている。
瞬きすらせず、私の一挙一動を観察しているようだった。
恐ろしいはずなのに、なぜか目が離せない。彼が抱えている深い闇に飲み込まれてしまいそうになる。
(……この目……)
吸い寄せられるように彼の目を見ていると、頭の奥に強い衝撃が走った。
(……っ、またこれ……)
引きずり込まれるように、映像が私の頭に流れ込んでくる。
黒煙の王城、血まみれの戦場、積み上げられた死体の山。そして、血の海の中央に立つーー淡い赤髪の男。
返り血を浴びたその顔に浮かぶ微笑みは、さっき隣の席に座っていた彼が浮かべていたものとまったく同じだった。
「……マーヴィン……」
名前を呼んだ瞬間に景色が崩れ始め、黒煙が波のように揺れて視界が歪む。
気が付けば、私は自分の席に座ったまま硬直していた。
授業が始まる前に考えていたことを思い出す。
(マーヴィンにだけは気を許してはダメだ。だって彼は……)
思い出せなかった言葉の続きは、映像の中にあった。
(だって彼は……)
ーーアルフレッドを、殺すから。
(……そうだ……)
アルフレッドの胸を貫いた氷魔法、あれはマーヴィンの魔法だった。
マーヴィンがアルフレッドを刺す瞬間も、アルフレッドが倒れる瞬間も、全てが鮮明に頭に戻ってくる。
「どうしたの?すごい汗だけど大丈夫?」
心配する素振りを見せながら、隣でマーヴィンは笑う。
アルフレッドを突き刺した瞬間のあの恐ろしい笑みと同じ顔で。
(マーヴィンが、アルフレッドを殺すんだ……)
涼しい顔をして、兄弟のように育ってきた友を簡単に殺す。
マーヴィンは、そういう男だ。
そのとき、乾いた鐘の音が鳴り響いた。
それが授業の終わりを告げる音だと、少し経ってから気付く。
誰からともなく立ち上がり、何事もなかったように講堂を後にする生徒たち。騒がず、ざわめかず、笑顔のまま整列し帰っていく。
(やっぱり、普通の行動じゃない……)
私もそっと立ち上がり、扉に向かう。マーヴィンが私を見ている気配がしたけれど、その視線を振り切るように講堂を出た。
講堂を出てからは、ただひたすら走った。
溢れそうになる涙をこらえながら、中庭を突っ切って廊下を駆ける。
私だけが変な世界に迷い込んでいるようだった。
詐欺まがいの授業をする教師、それに従う生徒たち、平然と友を殺す男。
あの空間にいた全ての人が敵に見えて怖かった。
「っ……!!」
勢いよく曲がり角を曲がったその瞬間、何かにぶつかった。
バランスを崩して倒れかけた私を、たくましい腕が支える。
「……大丈夫か?」
聞き覚えのある落ち着いた声に顔を上げると、アルフレッドがいた。
濁りのない彼の目を見ていると、一気に安堵が押し寄せる。
「も、申し訳ありません……急いでいて」
泣いてはいけない、そうわかっているのにどんどん目に涙が滲んでくる。
「……何があった?」
アルフレッドが心配そうに尋ねる。
(話したい……全て話して楽になりたい)
だけど、私の言葉なんて信じてもらえるわけない。
モブの私が何を言ったって、ただの妄言だと言われてしまいそうで。
(今、アルフレッドまで敵に回ってしまったら……きっと心が折れてしまう……)
そっとアルフレッドから自分の身体を引き離した。
彼の暖かい手が腕から離れていく感覚が寂しかった。
「……いえ、何でもありません」
笑顔を繕うと、アルフレッドはしばらく黙っていた。強がっていることがバレていたのかもしれない。
けれど、彼はそこに触れることもなく言葉を紡いだ。
「悩みがあればいつでも聞く。話しにくいことなら手紙でも構わない」
彼の気遣いに、心が温かくなった。
例えその言葉が、王子としての義務感からくるものだったとしても、孤独を感じていた私にとって、何よりも嬉しくて、何よりも欲しかった言葉だったから。
そんな彼の顔を見ていると、問いかけたくなった。
「……もし、全てを失う未来が見えるとしたら、殿下はどうしますか?」
私の問いにアルフレッドは驚いているようだったけど、呆れることもなく、真剣に答えてくれた。
「もし、全てを失う未来が見えたとしたら……俺は、全力でそれを守りに行く」
答えを聞いて、胸が苦しくなった。
(……やっぱり、彼はこの世界でも変わらない。強くて、まっすぐで、私の大好きなアルフレッドだ)
ゲームをプレイしていた時の気持ちが溢れてくる。
仲間が死んでいく中で、その痛みと戦いながらも、彼は最後まで諦めずにこの国を守ろうとした。
(今度は……私がこの人を守りたい……)
ゲームの中で何度も救ってくれた彼を、私が守りたいと思った。
真っ当に生きている彼が、理不尽に命を奪われるなんて……そんな未来、絶対にあってはならない。
「……私も同じです。だから、全力で守ります」
アルフレッドの眉がわずかに動いたけれど、それ以上の反応はなかった。
きっと私が何を言っているか、彼に本当の意味は伝わっていないだろう。
(でも、それでいい。私が勝手に守りたいだけだから)
深くお辞儀をしてから、その場を離れた。彼の視線を背中に感じながら、震える手をぎゅっと握りしめる。
(……絶対に、アルフレッドを死なせない)
彼と、彼が大切にしているこの国を、私が守ってみせる。
たとえその戦いが、誰にも気付かれない孤独な戦いであったとしてもーー