特別授業に潜む闇
乙女ゲーム「双フィア」の世界に転生した私。そこで、この世界に訪れるであろう最悪の未来を思い出してしまう。
それは、アルフレッドルートの結末。
ーー戦争でたくさんの人が死ぬ未来だった。
自分の部屋でベッドに寝転びながら、今日の出来事を思い出していた。
* * *
(……戦争が、起こる……)
どうしてこんな大切なことを私は忘れていたんだろう。
(だけど……彼女が私にこれを伝えてきた理由って……?)
汗で滲む視界の向こうに、リディアの顔があった。
その綺麗な顔には似合わない怒りに満ちた目で、まっすぐに私を見ている。
(……怒ってるの……?)
私の腕を掴むリディアの手がわずかに震えている。
彼女の怒りの奥に何か別の感情がある。
だけど、それが何なのか私には理解できない。
「今日は、帰った方がよさそうね。迎えを寄越すわ」
震えを誤魔化すように、リディアは立ち上がり背を向ける。
彼女の言葉には、冷たさと優しさが混ざっていた。
私はただ、「はい」と頷くことしかできず、そのまま彼女の護衛に連れられて学園を後にした。
* * *
仰向けになって、自分の右手を掲げる。
彼女と触れ合ったその手には、まだ痺れが残っていた。
(リディアの手を握った瞬間、頭の奥で何かが割れる音がした……)
彼女が敵なのか味方なのか、私にはまだわからない。
(でも、モブの私に敵対する意味もわからないのよね……)
リディアは私にないものをたくさん持ってる。
美しい容姿、王女という地位、かっこいい婚約者。
これだけ持っていて、私に怒る意味もわからない。
(あー、もう。何も考えられない)
上げていた手をドスッとベッドに下ろすと、お腹がグーと鳴った。
(昼ごはんも食べずに早退したから、頭が働かないのかも……)
何か食べるものを探そうと、階段を降りてキッチンに向かう。
母が晩御飯の準備をしていた。
「あら、アイーダ。もう体調は大丈夫なの?」
シチューのいい匂いが部屋中に広がっている。
「うん、でもお腹空いちゃって。そのシチュー食べてもいい?」
私が聞くと母は器にシチューをすくってくれた。手際よくパンも焼いてくれている。
その後ろ姿を見つめながら、私は考えていた。
(ここにきてまだ1ヶ月だけど……私はこの家が好きだ)
父も母も優しくて、愛情を持って私に接してくれる。
暖かい食事を囲んでみんなで笑い合う、そんな日常が幸せだった。
(戦争が始まれば、きっとこの国は大混乱に巻き込まれてしまう。そうなれば、父と母とも離れ離れになってしまう……)
それだけで済むならまだいい。
だけど、もしも戦争で二人が命を落とすようなことがあったとしたら、私はきっと悔やんでも悔やみきれない。
(戦争が起こることを知っておきながら「モブだから何もできない」って、ただ傍観しているだけで……それで、いいの……?)
手が震える。「戦争を止める」なんて、モブの私が抱えるにはあまりにも重たすぎる使命で。
(でも、この世界を、みんなを救えるのは……私だけ……)
大切な人が死んでいくとわかっているこの世界で、何もせずに黙って見ていることなんてできない。
(モブの私以外、誰もこのエンディングを知らない。なら、私がやるしかない)
ーー破滅しかないこの世界の運命を、私が変えてみせる。
母が用意してくれた温かい晩御飯を見つめながら、私は静かに決意を固めていた。
ーー翌朝。
教室でぽつんと椅子に座りながら、情報を整理していた。
(思い出したアルフレッドの死……あれはアルフレッドルートのバッドエンド。ハッピーエンドでは彼は死なないはず)
だけど、アルフレッドルートでは戦争は絶対だった。
仮にハッピーエンドでアルフレッドが死ななくても、彼以外の攻略キャラはみんな死んでしまう。
(誰かが死ぬ未来……それは、私が目指す未来ではない)
私がしなくてはいけないことはただ一つ、戦争を止めることだ。
そうなれば、アルフレッドとリディアには、婚約破棄してもらう以外に道はない。
(この世界のリディアは、アルフレッドとは険悪だった。……不可能ではないかもしれない)
原作と違うリディア。それが、この世界の鍵となるかもしれないーー
「リディア様、今日はお休みだそうよ」
次の授業の準備をしていると、近くで話す女生徒の会話が聞こえた。
リディアは今日オルコット王国に帰っていて休みのようだった。
(リディア休みなの……?色々探りたかったんだけどな……残念)
でも、リディアがオルコット王国に帰国しているということは、たぶんアルフレッドとは接触していない。
今日一日くらいは安心して過ごせるはずだ。
(焦っていいことはない。落ち着いて冷静に考えるのよ。二人が婚約破棄する方法を……)
ふと視線を窓の外に向けると、鳥たちがさえずっていた。
戦争が起こるかもしれないというのに、驚くほどのどかな風景だった。
(……本当に、戦争は起こるのかな……)
全部私の勘違いであって欲しい、そう強く思う。
だけど、ゲームも同じだった。始まりはとても平和で、普通に学んで、普通に暮らしていた。
みんなと笑い合ったり、たまにドキドキして、そんな日々を過ごす中で……気付いたら絶望へと落とされていた。
(あの苦しみは、もう二度と味わいたくない……)
それが現実なら、なおさら。
「おい、次特別授業だって」
「特別授業って……不定期で急に決まるあの授業?」
「そう。前まで半年間隔だったけど、なんか最近スパン短くなってきてるよな」
「……確かに。前回3ヶ月前だったもんな」
休み時間、そんな会話をかわしながら生徒たちがぞろぞろと移動を始めている。
その様子を見て、私も急いでみんなについて行く。
(特別授業……原作では聞いたことないな)
だけど、断片的なゲームの物語とは違って、現実の世界はずっと続いている。プレイしている裏側でそんな授業があっても不思議ではない。
(まぁでも、イベントではなさそうね)
というか、ヒロインが不在なんだからイベントが起こるはずはない。
これはきっと単なる日常の一つだ。
特別授業が行われるという講堂に、足を踏み入れた。
(ここに来るの、初めて……)
普段の教室よりも格段に広くて天井も高く、生徒たちの声が高らかに響いていた。
その宮殿のような厳かな雰囲気に、少し緊張してくる。
「先輩!お久しぶりです!!」
そんな女生徒たちのやりとりを見ながら、横を通り過ぎる。
(先輩、ってことは……他の学年の子たちもいるんだ)
周りを見渡していると、ネクタイの色がそれぞれ違う。
1年生は水色、2年生は緑、3年生は深い赤、4年生は高貴な紫色。
学年が上がるほどに自信に満ちた顔付きになっているのがわかる。
ゲームでは味わうことができないこの世界独特の空気感に、少し気持ちが昂るのがわかる。
そわそわしながら壁際の席に腰を下ろしたそのとき、後ろから黄色い歓声が響いた。
「きゃーっ!!マーヴィン先輩!!!」
知ってる名前に、思わず声が向けられている方向を辿る。
そこにいたのは、淡い赤髪をハーフアップにまとめた青年ーーマーヴィン・ヘイルだった。
「こんにちは」
にこやかに手を振るその笑顔は、まさに絵に描いたような王子様スマイル。
攻略キャラの一人で、アルフレッド王子の側近でもある彼は、滅多に授業には出てこない。
今日ここにいること自体、結構レアなのだ。
「マーヴィン先輩!もしよかったらお隣いいですか!?」
一人の女の子が期待を込めた声で彼を誘う。
(うわぁ、本当にモテてるんだ……)
原作でも彼は抜群にモテた。
柔らかな口調、にこやかな笑顔ーー側近としての完璧な気配りが、女の子の心を鷲掴みにするようだ。
だけど、実際に見るのはこれが初めてで、私はただの外野としてそのモテ現場を他人事のように見つめていた。
「僕、あの子と約束してるんだ」
「あの子」と言って彼が見ているのはこっちの方向。
(え……えっ……!?)
完全に油断していた私に、ゆっくりと近付いてくるマーヴィン。
思わず後ろを確認するけれど、そこにあるのは壁だけだった。
(……いや、まさか。違う、私じゃない。そんなはずは……)
気まずさで目を逸らした瞬間に、マーヴィンがすっと私の隣に現れる。
そして、何の迷いもなく私の隣の席に座った。
「ね?」
小さく笑う彼の顔が、ありえないくらい綺麗な顔をしていた。
こんなに最強な「ね」を、私は今まで見たことがない。
(なんで……どうしてマーヴィンが私の隣に座るわけ……!?)
否定も肯定もできずに、私はただ愛想笑いを浮かべる。
マーヴィンが私の隣の席に座ったことで、他の女の子たちは不満そうに散っていく。
教室中から刺さってくる女の子たちの視線が……地味に痛い。
けれど、当の本人はそんなのお構いなしで、涼しい顔をしていた。
「ごめんね。ああいうの面倒で」
一応謝っているようだけど、その口ぶりに罪悪感は1ミリも見えなかった。
マーヴィンという男は、建前を本音のような顔で語るタイプだ。
これに騙された女の子が何人いるか、私は原作で嫌というほど思い知っている。
(マーヴィンルートで女子生徒にされた数々の嫌がらせを、私は忘れない……)
授業で使う魔法本がなくなっていたり、誰もいない教室に閉じ込められたり、男女複数人に追いかけられたり、本当に散々だった。
そんなとき、いつもマーヴィンが助けてくれていたけど、モブにそんなお助け機能はきっとない。
自分の身は自分で守らないといけないのだ。
(お願いだから巻き込まないで……)
隣にいるマーヴィンを盗み見ると、彼は頬杖をつきながら、退屈そうに黒板に視線を落としていた。
その横顔はやけに整っていて……やけに冷たく見えた。
(マーヴィンにだけは気を許してはダメだ。だって彼は……)
ーー……だから。
何かを思い浮かべた瞬間に、ガラッと講堂の扉が開く。
その音に思考が断ち切られた。
(……あれ、今……)
頭の奥に何かが浮かんだ。
でも、それが何だったのか形になる前に消えてしまった。
(……なんだったんだろう)
考えている私の目の前を、見慣れない教師が通り過ぎていく。
いつもと違う授業の雰囲気に、気が付けば私の意識はそっちに持っていかれていた。
(今は授業集中しよう)
切り替えて、視線を大きな黒板に向けた。
黒板には何やらピラミッドのような図形が描かれている。
「本日も、魔力の循環と経済の授業を行います」
初めて聞く単語の並びにそっと息をのむ。明らかにいつもと教室の空気が違う。
「この石は、マナリィ・ジェムと呼ばれています。身につけることで集中力が増し、魔力の循環を助ける効果があります」
そう言って教師は手のひらに光る赤い魔法石を掲げた。
魔法石から放たれるその光が、講堂全体を幻想的な雰囲気で包み込んでいる。
「まずは、このマナリィ・ジェムを、初回限定3セットで1万リルで購入します」
「初回限定」という言い方にちょっと現代っぽさを感じたけれど、魔力の循環と経済の授業だと先生は言っていた。
きっと、商売する方法を生徒たちに教えているんだろう。
「そして、この石を他人に売ることで報酬が発生します」
異世界ではあまり聞かない「報酬」という単語に、嫌な予感が募っていく。
(……い、いやいや。敵を倒したら経験値をもらえることだって一応報酬だし、色々な報酬の形があってもおかしくない)
そう言い聞かせてみても、急に心が落ち着かなくなる。
そこへ畳み掛けるように教師が言葉を続けていく。
「さらに、売った人が別の人にまた売れば、その報酬の一部があなたにも還元されます。最終的には、最初に買った人がより多くのリルを得られる仕組みです」
(マルチ商法っっっ……!!)
今までの幻想的な空気が、一気に詐欺案件に変わった気がした。
鈍器で頭をぶっ叩かれたような衝撃に、思考が働かなくなる。
(なんで……どうして、こんな授業を学校で……)
ゆっくりと後ろを振り返ると、生徒たちは笑顔でジェムを褒めていた。
「俺、もう色んな人に渡したんだ」
「すごいねー!」
「次は誰に売ろうかな?」
どの生徒も声色だけは明るいけれど、誰一人として目が笑っていない。
魔法石を褒める口と笑っていない目。
その不自然さは、無理やり言わされているかのようだった。
(……これ、もしかして洗脳……?)
いつの間にか、どんよりと重たい空気が講堂中に漂っている。
(魔法だ……洗脳の魔法が部屋中に流れてるんだ)
その根源を探すために部屋を見渡していると、マーヴィンが私を見て微笑んでいることに気付いた。
(……マーヴィンはジェムの話をしてない。彼は、洗脳されてないのかも)
彼の目は、何かを知っているように見えた。
(聞いてみよう……マーヴィンならきっと、この異常事態に気付いてるはず)
私が彼に顔を近付けると、彼は自然と私の方に耳を傾けた。
(……やっぱり、マーヴィンは正気だ)
確信に近い感情を抱きながら、私は小さく言葉を投げかけた。