消された存在
「……王族だけが使える、特別な魔法。どうしてマーヴィン先輩が、それを使えるんですか?」
女生徒は、鋭い視線でマーヴィンを見据えていた。
(……これ、やばいんじゃない……?)
双フィアの世界では、魔法属性は親から子へと受け継がれる。
両親が同じ属性なら、高確率で子どもも同じ属性を持つ。
中でも炎属性は、王家の血筋でしか発現しない希少な力。
王族は代々炎属性同士で婚姻を重ね、純血を守ることでその力を保ってきた。
(その炎属性を、マーヴィンが持っていると知られたら……)
「……答えられないんですか?」
女生徒の問いかけに、マーヴィンは反論もせず、ただ黙り込んでいる。
(……なんで何も言わないの?いつもみたいに適当なこと言って、上手く誤魔化せばいいのに)
焦りがじわじわと膨らんでいく。
このままじゃ、炎魔法を使ったことを認めたも同然だ。
「じゃあ私、このことみんなにーー」
「あの……! それ、見間違いです!」
気づけば、女生徒の言葉を遮っていた。
頭の中で必死に言い訳を探しながら、口を動かす。
「……私も、近くで見てましたけど、さっきのは氷魔法です。氷で木を急激に冷やすと、表面が収縮して中の樹脂や水分が反応するんです。そのときの発光や煙が、遠目には燃えてるように見えることがあるんです」
自分でも、かなり無理のある説明だと思う。
それでも今は、とにかく彼を庇うことしか頭になかった。
「ーーその通りだよ」
横から、マーヴィンが言葉を重ねる。
「実際、物理の授業で習っただろう? 急激な温度変化は予想外の反応を生む、って。信じなくても構わないけど、監視カメラにははっきり映ってるはずだ」
監視カメラという単語に、女生徒たちの表情が一瞬だけ引きつる。
「もう一度、一緒に確認してみようか?」
マーヴィンが笑みを浮かべると、二人は気まずそうに視線を逸らした。
本当に炎魔法だったのか、自信が揺らいだようだ。
「……別にもういいです」
吐き捨てるように言い残した女生徒は、マーヴィンではなくーーなぜか私を睨みつけていた。
(……え、私?)
さっきまであれだけ挑発的だったのに……彼女の中には、まだマーヴィンへの好意が残っているのだろうか。
納得のいかない表情を残したまま、二人は私たちに背を向け、足早で廊下の向こうへ消えていった。
ーーあんたが余計なこと言わなければ、優位に立てたのに。
きっと、そう思っているに違いない。
廊下の先を見送っていると、マーヴィンがスッと私の手を放した。
急に手首が軽くなり、思わず彼を振り返る。
視線を向けた先で、彼もまっすぐこちらを見ていた。
「……僕のこと、庇ってくれたんだ?」
満足そうに言う彼の表情を見て、沈黙を貫いていた理由がわかった気がした。
(……私の反応を、見てたんだ……)
ーーあれは炎魔法だった。
木を焦がし、空気を焼き切ったあの熱は、氷魔法の副作用なんかじゃない。
私はそれを知っている。
マーヴィンは、私を試してきたんだ。
(……彼は、何かに勘づいているのかもしれない)
実際、私は彼らが戦争を企てていることを知っていて、そのことをハーヴィー先生に伝えてしまった。
それを、マーヴィンが知らないはずがない。
(私が他に何を知っているのか……探っているのかも)
だとしたら、不用意な発言は避けた方がいい。
「……庇ったって、何のことですか?」
わざととぼけてみせると、マーヴィンはその反応を面白がるように目を細めた。
「いや? 氷が炎に見えるなんて、ちょっとこじつけだなって思っただけさ」
(……自分も乗ってきたくせに)
やっぱり庇わなければよかったかも
ーーそう思いかけた、そのとき。
彼がぽつりと呟いた。
「……こんな魔法、使えたって意味がない」
その呟きは皮肉でも強がりでもなく、深く沈んだ彼の本音だった。
闇を抱えたその横顔は、触れれば崩れてしまいそうなほど脆く見えた。
「戻ろうか」
短くそう告げて、マーヴィンは歩き出す。私は一拍遅れて、その背を追った。
生徒会室に戻るまでの間、彼はいつも通りの様子だった。
けれどーーその顔は、どこか無理をしているようにも見えた。
(……こんな魔法、使えたって意味がない)
その言葉を聞いた瞬間、彼の母のことが脳裏をよぎった。
マーヴィンが本当に欲しいのは、希少な魔法属性なんかじゃない。
きっとーーただ楽しかった、あの頃の生活。
母と過ごした日々、それだけだ。
(だけどそれはもう、叶わない……)
彼女はもう助からない、きっとマーヴィンもそれに気づき始めている。
それでもハーヴィー先生を裏切れないのは、彼の中でまだわずかな希望を捨てきれないからだろう。
(そんなマーヴィンの心を……私が救えるんだろうか)
答えの出ない不安を抱えたまま、私は彼の背中を見つめていた。
ーー翌日。
「アイーダ、教科書忘れちゃった。見せてくれない?」
「うん、いいよ」
リディアに頼まれて、机の引き出しから教科書を取り出す。
開いた瞬間ーーボンッ、と小さな爆発が起きた。
(これは……取り巻きの嫌がらせ?)
昨日閉じ込められたことを思えば、これくらい可愛い悪戯に思えてしまう。
けどーー
「ちょっと、アイーダの教科書に悪戯したの誰よ!?風魔法使える人全員集めて、犯人炙り出してやるんだから!!」
リディアは教室中を見回し、声を張り上げる。
(……なんか、この世界のリディアにも慣れてきたな)
原作のリディアとは全然違って、不器用で喧嘩っ早いけど、それはそれで愛おしい存在に思えてきた。
「リディア、大丈夫だから」
リディアを宥めていると、廊下から聞こえてきた女生徒たちの会話が耳をかすめた。
「……ねえ、聞いた? パーナー先生、辞めたんだって」
その言葉に、ドクン、と心臓が跳ねる
『いけませんね……教師が生徒をいじめるなど。あとで話をしておきます』
昨日、ハーヴィー先生が口にしたあの言葉がよみがえった。
(パーナー先生が、辞めた……?本当に、辞めただけ……?)
「ちょっと、私行ってくる」
リディアにそう告げ、ガタッと勢いよく立ち上がる。
「アイーダ!?授業はどうするの?」
背中にリディアの声が飛んでくるのを感じながら、私は職員室へ向かって駆け出した。
階段を駆け上がり、職員室の扉が視界に入ったそのときーー
後ろから、強く手を掴まれた。
「っ……!」
驚いて振り返ると、マーヴィンが真剣な表情でこちらを見ていた。
その手を振り払おうと手を動かしても、びくともしない。
「職員室には近づかない方がいい。パーナー先生に閉じ込められたばかりだろう?」
必死で私を止めようとするマーヴィンに、不信感が募っていく。
「パーナー先生は、どこに行ったの!?答えて!!」
問い詰めても、マーヴィンの表情は微動だにしない。
詰め寄る私を、ただ静かに見下ろしていた。
「……何をそんなに焦ってるの?」
その声音も、表情も、驚くほど冷たかった。
「保健室に閉じ込められたあと、君は取り乱す様子も、怖がる素振りもなかった。やけに冷静だったのに……パーナー先生が辞めたくらいで、どうしてそんなに慌てる?」
(それは……ゲームのイベントだったから……)
ーーなんて、もちろんそんなことは言えない。
言葉を失った私を、マーヴィンはただ見つめていた。
「パーナー先生だけじゃない。……君は、この学園の教師全員に狙われてる」
(……教師、全員に……?)
そんなシナリオ、原作にはなかった。
どうして私がーー教師たちに狙われているの?
戸惑う私に、マーヴィンは淡々と告げる。
「僕たちは、君を守っただけだよ」
まるで当然のことのように言い放つマーヴィン。
その冷めた言い方に、私は全てを悟った。
(……やっぱりパーナー先生は、消された)
信じられない。狂ってる。
ーーハーヴィー先生も、マーヴィンも。
「……人の命を、なんだと思ってるの?」
私の呟きに、マーヴィンの手がわずかに緩む。
その一瞬の隙を逃さず、私は思いきり手を振り払った。
込み上げる言いようのない悔しさに、思わず彼を睨みつける。
「あなたが一番、命の重さを知ってるはずでしょう?」
声が震えるのを、必死で押し殺した。
それでもマーヴィンは、何も言わない。
その沈黙が、悔しさと、どうしようもない悲しみを膨らませていく。
ーーこれ以上ここにいたら、感情が溢れてしまう。
言葉を飲み込み、マーヴィンから視線を逸らした。
胸の奥に燻る思いを抱えたまま、私は彼に背を向け、その場を離れた。