書き換えられたイベント
木属性の魔法で、保健室に閉じ込められてしまった私。
そのとき、外からくすくすと小さな笑い声が響いた。
(……今の、女の子の声……?)
その笑い声が耳に届いた瞬間、私はピンときた。
(もしかして、これ……マーヴィンのイベント……?)
原作では、取り巻きたちに教室へ閉じ込められたヒロインを、マーヴィンが助けにくるーーそんな王道胸キュン展開があった。
どうやらその場所が保健室に変わったみたいだけど。
(……ちゃんとマーヴィンのイベントも起こってる。良かった……)
状況は窮地なはずなのに、胸に広がるのは安堵だった。
「そこで反省しなさい」と告げる女生徒の声すら、なんだか可愛らしく思えてくる。
(とりあえず、マーヴィンが助けにくるまで待てばいいのね)
そう思って、余裕の表情のまま白いベッドに腰を下ろした。
……そのときだった。
床を這うように、太い蔦が勢いよく伸びてくるのが見えた。
(……え?)
それはあっという間に机や棚を飲み込み、窓や壁、さらには天井にまで絡みついていく。
まるでこの部屋を、生きた檻に変えようとしているかのように。
(……なにこれ。息が、苦しい……)
……酸素が奪われてる。
そう気づいたときには、もう遅かった。
部屋は異常な量の二酸化炭素で満たされ、胸の奥に伸し掛かるような息苦しさが迫ってきていた。
(教室に閉じ込められるイベントに……こんな展開、なかったはず……)
蔦に光を遮られ、真っ暗になった部屋の中で必死に思考を巡らせる。
けれど、うまく呼吸ができないせいで頭が回らない。
息を吸っているはずなのに、肺の奥まで空気が届かない。
(……そういえば、このイベント……学校で起きるはずなのに、なんで場所が変わってるんだろう……)
次第に意識がぼやけ、視界が霞みがかってくる。
気づけば、蔦が腕や足首に絡みついていた。
解こうと力を込めても、もう身体が言うことをきかない。
(……これって、もしかして……)
ーー命を狙われてる?
取り巻きがヒロインに仕掛ける悪戯の域を、はるかに超えている。
脅しなのか、それとも本気で私を排除しようとしているのか……もう判断がつかない。
そのとき、遠くの方から足音と気配が近づいてきた。
やがて、その音は扉の前でぴたりと止まる。
「……何をしているんですか?先生」
柔らかい声が廊下に響いた。
その声音を聞いた瞬間、私は確信する。
ーー間違いない。マーヴィンの声だ。
マーヴィンの声が響いた直後、誰かの慌てた声と、逃げるように廊下を去っていく足音が聞こえた。
(……先生、って……言ってた……?)
じゃあ、私をこの部屋に閉じ込めたのはーー教師……?
どうして先生が、こんなことを……
そんな疑問が頭をよぎった瞬間、扉の向こうから焦げた匂いが漂ってきた。
パチパチと木が焼ける音がしたあと、ジュウウゥゥと氷が溶けるような音が続く。
扉が蹴破られる衝撃音と共に、冷たい風が一気に保健室の中を駆け抜けた。
その瞬間、部屋中の蔦がほどけて床に崩れ落ちていく。
(……助かった……)
久しぶりに吸い込む酸素に、全身の力が抜ける。
手足を締めつけていた蔦も、根を絶たれ、既に枯れ落ちていた。
呼吸をするたびに、頭の霞が少しずつ晴れていく。
肺の奥まで空気が届き、ようやく生きている感覚が戻ってきた。
「大丈夫?全然戻って来ないからアルに聞いたら、保健室にいるって言うからさ」
ベッドに横たわる私を、マーヴィンが覗き込む。
「ありがとうございます……助かりました」
ゆっくりと上体を起こすと、まだ頭がくらくらする。
……とんでもないイベントだった。
「これ……どうしましょう?」
視線の先には、部屋中に散らばった蔦の残骸。
扉は黒く焦げ、形を失っている。
さすがに、このまま放置して立ち去るわけにはいかない。
「大丈夫ですよ。私が何とかしておきますから」
その答えたのは、マーヴィンではなくーーハーヴィー先生だった。
灰になった扉を軽々と跨ぎ、こちらへ歩み寄ってくる。
(……なんでこの人がここに……?)
ーーおかしい。
イベントの内容が……変わっている?
「生徒の命が何よりも優先されるべきことですから。アイーダが無事で、本当に良かったです」
その言葉が本音なわけがない。
ハーヴィー先生にとって、私が消えた方が都合がいいに決まっている。
「これ、さっき扉の前で先生が落としていきましたよ」
マーヴィンがズボンのポケットから、細縁の眼鏡を取り出した。
ハーヴィー先生は、それをゆっくりと受け取る。
「あぁ……これはパーナー先生の眼鏡ですね。いけませんね……教師が生徒をいじめるなど。あとで話をしておきます」
にこやかにそう告げるハーヴィー先生。
……だけど、何となくわかる。
彼がこういう笑い方をするときは、内心ではイラついているということを。
(……これ、パーナー先生……消されるんじゃない……?)
私の知らないところで、何かが動いている。
なぜパーナー先生が私を殺そうとしたのかーーそして、ハーヴィー先生がそれに怒っている理由は何なのか。
「じゃあ先生、あとはお願いします。……行こう、アイーダ」
マーヴィンが私の手を引き、保健室から連れ出そうとする。
私はハーヴィー先生から目を離せないまま、通り過ぎる瞬間まで彼を見ていた。
その視線に気づいたのか、彼はにっこりと笑う。
(……何、考えてるの……?)
意図の読めないその笑みに、思わず目をそらした。
扉の残骸に躓かないよう足元を確かめながら保健室を出ると、マーヴィンの取り巻きの女生徒二人が、廊下で私たちを待ち構えていた。
(……やばい……!)
とっさに掴まれた手首を振り払おうとしたその瞬間、マーヴィンはぐっと力を込めてきた。
(……え?)
「君たちだよね。こんなことしたのは」
彼の鋭い問いかけに、二人の女生徒はバツが悪そうに押し黙る。
その間に、私は外の様子を観察していた。
扉を覆っていた蔦は、中庭から伸びていたらしい。燃えた跡が、中庭の土の方まで続いている。
(……なるほど。中庭の土から木が伸びてたんだ)
原作では、教室の扉に木の板を挟まれるだけの軽い悪戯だった。
それがあんな豪快な魔法に変わっていたのは、閉じ込められた場所のすぐそばに土があったからだ。
(……でも、今回場所が変わった理由がわからない)
このイベントは城で起こるものでもないし、なぜ教室ではダメだったのかーー考え込んでいると、女生徒の一人が口を開いた。
「違うんです。私たちは、パーナー先生に頼まれて……断れなくて、仕方なく……」
わざとらしく潤んだ瞳で、マーヴィンを見上げる。
長いまつ毛を濡らし、一筋の涙が頬をつたうーーまるでドラマのワンシーンのようだ。
隣にいた女生徒も、それに続くように泣き出した。
「……私たち……本当はこんなこと、したくなかったんです……」
彼女は目を伏せて、肩を小刻みに揺らしている。
だけど、その顔の角度はーーマーヴィンから見て可愛く映るように、計算されているように見えた。
「信じてください……マーヴィン先輩……」
「私たちも……怖かったんです……」
必死に懇願する二人。
その光景を、私はぽかんと眺めていた。
(……いや、めちゃくちゃ笑ってたけど)
普通ならこのあざとさに苛立っていたかもしれない。
けれど今の私は、このイベントが起きてくれたことにむしろ感謝していた。
「ありがとう」と言いたいくらいに。
「……君はどう思う?」
マーヴィンが、ちらっと私に視線を向ける。
(……これって……まさか、答えを委ねられてる……?)
「まぁ、結果的に私も無事でしたし……許してあげてもいいと思います」
引きつった笑みを浮かべる私を、マーヴィンはじっと見つめる。
その視線に耐えきれず、私は目をそらした。
私の反応をひと通り見届けると、マーヴィンは小さく息を吐いた。
「……わかった。君たちの言うこと、信じるよ」
その言葉に、女生徒たちの表情がパァッと明るくなる。
「やっぱり嘘泣きかい」と突っ込みたくなったが、ぐっと飲み込んだ。
「ま、ここには監視カメラもあるわけだし、君たちが嘘をついても意味はないよね。一応映像は調べるけど……僕はちゃんと信じてるよ」
爽やかな笑顔で言い放つマーヴィン。
(……ここにも、役者がいた)
マーヴィンの言葉に、少女たちの顔が一気に曇る。
追い詰められた一人が、ため息を吐き、面倒くさそうに顔を歪めた。
「……そっちだって監視カメラに映ってますけど……いいんですか?」
さっきまでの【か弱い被害者】の顔は、そこにはもうない。
マーヴィンは表情を変えず、静かに問い返した。
「映ってるって何が?」
女の子はふっと笑い、わざとゆっくり言葉を区切る。
「……炎魔法ですよ。王族だけが使える、特別な魔法」
ーーその瞬間、空気が一変した。
「どうしてマーヴィン先輩が、それを使えるんですか?」
言い終えると同時に、女生徒の口元に勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。
マーヴィンは一切の動揺を見せず、ただ無言で相手を見下ろしていた。
だけど、その瞳の奥に一瞬だけ冷たい光が走ったのを、私は見逃さなかった。
(ーーこれ、やばいんじゃない……?)