1話『姫と精霊』
時は、遥かに遡り
『────ごめんなさい。こうする以外あなたへの恩返しが何もできなくて』
『お前が気に病むことはない。俺という存在は元来“そういうもの”なのだと、旅をし続けてやっと分かった。遅すぎたがな』
寧静な、人が寄り付かない森林の中にある川辺の教会。
今、そこで何人もの仲間が“彼”との別れを惜しんでいた。
皆、“彼”のことが大好きだった。
“彼”……筋骨隆々としたその巨漢が棺の中に、安らかに横たわる。
“彼”が出会ってきたたくさんの仲間から、涙ながらに花が添えられる。
その密度は鍛え抜かれた鋼の如き身体が見えなくなるほどだった。
“彼”と別れを告げにきたその仲間も多種多様。
人間のみならず獣人、翼人、その他多数……果てには敵だったはずの魔族すらいた。
『すまねェ……!今はこれしか、これしかオレはしてやれねェ……!』
『最期ぐらい、いつものお前らしい笑顔を見せてくれ。それに、ここまで手厚く看取られるんだ。今生に悔いはない』
また1人。
『お前が、俺の最後の敵であり最大の友で良かった。お前にとっても、俺が最後の敵であることを願う』
『だと良いがな。世界は想像以上に臆病だった。お前もこれに懲りたら、もう世界に迷惑かけるなよ。例え、それが正しい行為でもな。お前は魔族の王だ。この臆病な世界から仲間を、友を、自分自身を守れ』
また1人。
別れの言葉を絞り出し、泣き喚きながら花を震える手で贈る。そして、その度に“彼”は満足げに受け止める。
また1人、また1人とそれは続き、最後の1人が最後の花とともに“彼”の前に現れた。
『私たちが、あなたに救われたここにいる私たちが、絶対にこの世界を変えてみせますから!』
“彼”とずっと旅をしてきた古株の内の1人の女が、涙ながらに高々に宣言する。
抑えきれない涙の粒はそのままに、その場で泣き崩れんばかりに悔しさと覚悟を滲ませた。
『だから、その日まで、おやすみなさい。────私たちの、大切で大好きな、勇者“アニモ・ミラリウス・フェリノーリア”』
彼女の宣言を聞いて、満足そうに目を閉じる男は安らかに微笑む。
そして嗚咽も響く中、棺の蓋は閉ざされた。
その日、“彼”こと勇者アニモ・ミラリウス・フェリノーリアは世界から姿を消した。
それからどれだけの月日が経ったことだろうか。“彼”こと救世の勇者アニモが闇葬の英雄と呼ばれるようになるほどの永い月日だ。
アニモというその名前すら既に概念となり、彼の物ではなくなった。
今となっては伝承の世界の存在となってしまった。
数えるならば1000年という果てしなく長い時のその畢竟、止まった時計の針が動き出す。
◆◇◆
「んん……!素敵な青空!今日もいい天気ね!」
旅客用の馬車から溌剌と降り、背伸びをして空を仰ぐ1人の少女。
旅人がよく着るような動きやすさを追求した服に身を包むも、何処か品を感じさせる。
長い艶やかな金髪結んだその少女は、青空を映す宝石のような碧眼を一際輝かせ、旅人たちが行き交うこの街に弾んで繰り出した。
年頃の華奢な女の子の背中にはどう見ても不釣り合いな、丸く大きく膨らんだ鞄とともに。
「お嬢ちゃん、本当にこの街で良いんかい?どう考えたって一人旅をする年齢じゃねえだろう!」
「あら?わたくし、こう見えて16歳なんだけど。それに一人旅ではないわ、お供がいますもの!」
馬車の運転士が投げかけた疑問に、えっへんと胸を張ってそう答えた少女は、首にかけているペンダントの宝石を誇らしげに掲げた。
すると、そこから青白く輝く光の玉が飛び出し、老爺の声を発し始めたのだった。
《お初にお目にかかります。ひ……シェリー様お付きの精霊、ジールでございます。いやはや、この度の“ユース”までの運転、流石の技術で────》
「長くなりそうだし、この辺にしておきましょ!!というわけで、見ての通りわたくしたちは二人旅をしているの」
「随分経験豊富そうな精霊なこったなあ……。じゃあなんだ、この街に来た理由ってのもジールさんの趣味か?ここは始まりと終わりの街、そして伝承と御伽噺の街のユースだぜ」
旅人が行き交うここ“ユース”は、史跡といった歴史的建造物が多い観光地としてもそこそこ有名だ。
しかし、そこそこ有名な理由として景観が地味なためにどちらかと言うと旅人の憩いの場としての側面が強く、考古学的な面に触れようと訪れる者はその道の研究者や歴史マニアの観光客が多いのが現状だった。
「いいえ、それはわたくしの趣味。こう見えてもわたくし、意識高い系の歴女だったり?」
「い、色々外見と中身にギャップがあるようだな……。まあ良いや、そろそろ俺も次の街に行くとするかな。嬢ちゃんもジールさんも達者でな。アニモの加護があらんことを!」
「ミラリウス・フェリノーリア!」《ミラリウス・フェリノーリア!》
《さて、私たちも先を急ぐことにしましょう。陽が高いうちに宿屋の確保、そして遺跡探索ですぞ!》
「え〜!わたくし早く史跡行きたい〜!史跡〜!史跡〜!!!」
《全く……!いくらご身分を隠されているとは言え、姫としての自覚を持ってほしいものですな!シェリス姫!》
宿屋よりも早く史跡に行きたいと街の中で駄々をこねる少女に、精霊ジールはため息を吐いて呆れ愚痴を零した。
すると、彼が放った“シェリス”というワードに少女は不愉快そうな面を浮かべるのだった。
「“シェリー”でしょ?シェリスは一旦封印中、わたくし家出同然なんだってば!!」
《ああ……2ヶ月前のあの晩に私がもっと強く止めていれば……!このおてんば姫に強引に連れ去られて……!》
「つべこべ言わないの!早く史跡に行きましょ!!」
《なりませぬ!史跡は逃げませぬ!しかし宿屋の部屋は逃げますぞ!旅に巻き込まれた被害者の権利をここで行使いたします、従っていただきますぞ》
「もー!!しょうがないなあ……」
不満を示すも、渋々ジールの提案に従うシェリーだった。
と言うのも、この約2ヶ月の彼女の旅は遺跡や史跡を優先するあまり、宿屋の確保に失敗することが殆どで、何かにつけて切ない思いをすることが何回もあった。
その度に、付き人ならぬ付き精霊のジールは被害を受けており、流石のシェリーも今回ばかりは言い負かされたようだ。
「いらっしゃいませ。お泊まりのお客様ですか?」
「ええ!2人……いいえ、1人と1体で泊まりたいのだけれど、お部屋は空いているかしら?」
「1体……?」
シェリーがそう言い直したことに一瞬疑問を持ちつつも、その“1体”が精霊ジールのことを指していると察した受付嬢は、納得したように微笑んで。
「まあ!精霊さん。そういうことですか。お一人様のお部屋でしたらすぐにご案内できますが、そちらでも宜しいですか?」
《雨風を凌げて虫が寄って来なければどのお部屋でも構いませんぞ》
「は、はあ……」
何かと余裕がなさそうなジールに苦笑いする受付嬢に、ジト目でやれやれとするシェリー。
その後は、手続きも滞りなく済ませ、宿泊する部屋の鍵を受付嬢が渡す時だった。
「あ!言い忘れてました。どうぞユースの街を楽しんでいってくださいね、アニモの加護があらんことを」
「もちろんそのつもりよ。ミラリウス・フェリノーリア!」
【アニモの加護があらんことを】と言われたならば、【ミラリウス・フェリノーリア】と返す。
これは、世界中で知られている出会いや別れ、祝福等あらゆる物事に使われる常識と言ってもいいだろう。
いつから、誰がそれを使い始めたのかは判らない。
アニモという存在も何処の馬の骨なのかも判らない。
何故ミラリウス・フェリノーリアと返すのかも判らない。
最早、判らないことだらけになってしまったこの言葉だが、今現在の世界中の民の殆どがそれに疑問を持たずに過ごしている。
◇◆◇
宿屋を無事に確保できたシェリーたちは、心残りなく街の奥にある史跡へと足を踏み入れることができた。
しかし、史跡とは言ってもそう大仰な造りではなく、こじんまりとした石造りの建物が点在している集落のようなものだった。
そういう地味な史跡なので、シェリーとジール以外にも人はいるにはいるのだが、熱心な歴史研究者たちを除けば、日向ぼっこに来た地元の人間や、暇で欠伸をしている警備員ぐらいしかいない。
「来てみたは良いものの……噂通り、ううん、噂以上に地味ね。本当に文化的な価値があるのか疑っちゃうわ」
《甘いですぞ姫様!ここは、かの“闇葬の英雄”が眠った地とも言われているのをお忘れか》
「闇葬の英雄……。このユースが始まりと終わり、伝承と御伽噺の街と呼ばれる所以。わたくしたちがここに来た目的の1つ……!」
闇葬の英雄とは、かつて世界を救ったとされる勇者のことを指す。
世界各地に彼の伝承はあり、雷獣が暴れたある地ではその剣で雷を切り裂き民を護り、大津波が起きたある地ではその拳で海を破り、揺れる大地を鎮めたと言う。
しかし、あくまでそれらは伝説の域の話。
そもそもこの地、ユースで彼が眠りについたという事実も眉唾ものだ。
だが、誰もそれを嘘とも本当とも証明できたものはいない。
故に、シェリーはここにいる。
《少しばかり、他の方々の見識を訊いてみましょうか》
「そうね。日が暮れるまでまだ時間もあるし」
考古学に関しての造詣が深いジールの助言はシェリーの遺跡探索に欠かせない。
一般人と比べたらある程度の知識はあるものの、その道の研究家と比べたらまだ見識が浅いシェリーにとって、ジールの言葉はただの言葉以上に重みがある。
故に、普段はなかなか従わない彼女は耳を傾けるのだった。
「お若いのに歴史に興味がおありとは素晴らしい。良き先生もいらっしゃるようで。…………そんな方々にこう言うのもなんですが、私たちも何の成果も得られていないんです。正確には、得る以前に既に明らかにし尽くされていると言いますか……」
と言う研究者もいれば、
「ここは50年前に発見された史跡でね。闇葬の英雄が眠る場所と呼ばれているは呼ばれているんだが、近年では学会でそれを否定する連中も出ているぐらいなんだ。え?自分はどうなんだって?うーん……否定“は”しないけど」
と言う研究者もいたり、
「うぃ〜?大体よぉ、ここは1000年ちょい前に暮らしてた奴らの集落なんだぁ。んな英雄が寝てるなんてこたぁねえだろ。ところで嬢ちゃんかわいいね。おっちゃんに添い寝……痛だだだだ!────何しやがる馬鹿精霊!!」
って絡んでくる地元在住の酔っ払いもいたり、
「え、いや、自分は雇われたただの警備員だからなあ、実を言うと家から近いからここで働いているだけで、歴史全然興味ないし。てか、『そもそもこんな場所に警備必要か?』って思ってしまうよな、いつも」
伸びをしながら暇そうにしている警備員もいたり。
つまり、ある程度の人数に聞き込みをしても、“何も得る物がなかった”ということだ。
この結果はシェリーやジールにそれなりの落胆を強いらせ、そのせいで2人はやや消沈気味だった。
「────まさか、闇葬の英雄の手がかりどころか、それすらも否定するような見解があるなんて」
《肯定と否定の繰り返しこそが歴史。否定する材料があるのならば、歴史に倣って、それを超える肯定の材料を探せば良いのです。……さて、ここから何か得られるものがあれば良いのですが》
「あら?そういうときは『何がなんでも得てやる!』じゃないの?」
《ほほっ……少しは探究というものが分かってきたようですな》
「こうして見ても……うーん……。確かにある意味前衛的ではあるけれど」
《ただデタラメに石を積んだようにしか見えませんなあ。1000年前の人間たちは何を思って、この石を積み上げたのか》
それとなくシェリーたちが足を運んでいるのは、この史跡の各所に存在する石造の群。
かつての人間の生活感が見受けられるものも、そうでないものも、建てられた当時に近い様子で現存しているものも、面影がないぐらい崩落しているものもあり、それは様々だ。
だが、シェリーたちが今訪れているこの場所に関しては、他のそれ以上に“難解”だった。
ひょっとしたら、最初からここは意味がないのかもしれないとすら思えるぐらいに。
《私は芸術的感性が鈍いので、これを見ても何も感じませぬ》
「せめて祭壇みたいなのがあれば、儀式とかお祭りとかで使われる典型的な広場って意味づけられるんだけど」
《むう……。何かありそうで何もなさそうな、霧や靄のようで。今日のところは引き下がりますかな?》
「それはやだ!やだ!やだ!」
ジールの提言を今度は突っぱねたシェリーは、突然地団駄を踏み出した。
普段はそんなことはないのだが、彼女はスイッチが入ると途端に頑固になる。
それは昔からずっとそうで、ジールは『またか』と手を焼いていた。
《しかし、行き当たりばったりにやったところで……。それなら一度宿屋に戻ってゆっくりと方針を、幸いここは街から近いわけですし》
「やだ!今やる!やだ!やだ!」
《そう言われても……。────ん?姫様、お足元の床ってそんなヒビ入ってましたかな?》
地団駄を踏むシェリーの真下の床には、先ほどまでなかった亀裂が入っていた。
「そんな嘘でわたくしを止めようたってそうはいかな────えっ……?」
《何ということ!?》
すると、忽ちシェリーの真下中心が崩壊し始め、2人は地中へと引きずり込まれてしまった。
《────め様!姫様!早く!早くお目覚めください!》
「んん、ジール……!痛ったた……。ちょっとばかり意識がすっ飛んでたわ」
《良かった!お目覚めまで4分、相変わらずの王宮育ちとは思えぬほどの生命力ですぞ。とにかく早く起きるのです!》
「もー……今起きるってば。それはそうと、ここは何処なの?あなた、ずっとふわふわしてるから落下してもへっちゃらでしょ。わたくしの意識がなかった間の状況は把握してるわね?」
地盤崩落により落下し頭を打ったシェリーは失神していたものの、本人の力とジールの絶え間ない呼びかけもあってすぐに目覚めることができた。
しかし、ジールのその声は主君を想うが故の必死さというより、未知なるものとの遭遇による興奮から来るもののようだった。
《姫様……!ここは、ここは》
「もったいぶらないで早く教えなさい。ここは何処なの?ジール」
《誰も、何百年たりとも辿り着けなかった世界の真理。今それに世界で最も近いのは私たち2人ということです!》
「真理……?」
《そう、ここは、闇葬の英雄が眠るその場所ですぞ!!》
闇に葬られし英雄は、ここに