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その日の夜、何故か目が覚めた。廊下の声に身を起こす。
「誰かいるの? ねえ、マーサ? アリア? 」
ベッドから降りる。突然扉が開いた。近くにあったティーカップを思わず投げ飛ばした。
「アイシャ、見事な腕前じゃが、それどころじゃない。今すぐ、今すぐ逃げよ。マーサについて隠し扉から逃げなさい」
「お嬢様、お逃げっ、お逃げくださいませ。た、ただちに」
普段ならば厳格な祖父と淑女の嗜みを諭す侍女長が険しい顔で飛び込んできた。その後ろを青ざめた顔でマーサが入ってくる。
何があったか聞くともなく、私の首へペンダントをかけ、隠し扉の仕掛けを素早く解いた。マーサがすぐ隠し扉の奥へ行くけれども私の足は動かなかった。祖父が背を強く押す。
お祖父様、と思ったよりか細い声が出た。祖父は一瞬だけ優しい笑みを浮かべて頭をなでてくれた。
「お前は賢く、いい子だ。すぐ逃げなさい。裏切り者に見つかる前に」
そう言って私を扉の奥へ押し込んだ。
ガタガタ。侍女長が仕掛けを素早く直す。
「裏口にて執事長が場所を手配してます。すぐ向かってください。はやく」
部屋へ迫る足音が大きくなる。侍女長に促されるまま、隠し通路を進もうとした。
「お嬢さまなど、ここにおりませぬ」
「嘘つけ。あの女の命も取らねば、安堵できやしないのだ。場所を言え」
「わしだけでよかろうが。卑怯者どもめが」
「お嬢様の場所など、教えませぬ」
「暗愚だけにすれば我が家に利があるのだ。早く言え。女、言えば貴様の命は助かるぞ」
「お断りいたします」
言い争う声に体が動かなくなる。息を殺して隠し扉の隙間から覗いた。その時、侍女長が真っ赤に染まって倒れた。お祖父様も複数の男たちを投げ飛ばしていたが、刃物も持たぬがゆえに敵の剣に貫かれる。
前を睨みつけて倒れる姿が目に焼き付いた。
その後私は無意識に逃げ出したらしい。気づいたらおんぼろな馬車に乗って王都からだいぶ離れていた。馬車の馭者に窶した執事長と私の姉のフリしたマーサがなんとかごまかして領地に向かっていた。
魔法鳥で王都に残った者達とやり取りをする執事長から私が逃げ出してからのことを尋ねた。
「早すぎたからか、追手はまだ王都で行方を探しているとのことです。アイシャお嬢様」
「そう」
「公爵様は残念ながら」
「お祖父様。やはり助からなかったのね。お父様は?」
「生きておられます。父君が公爵を継ぐと思われます。恐らくは暗愚な父君についてもらうことで、公爵家の力を削ごうとした者達に襲われたと思われます。流石に調べきれておりませぬが、領地まで逃げ切れればお嬢様を保護はできます」
「どさくさに紛れて私まで命を奪おうとしたのね。いえ、裏切り者は私の父の可能性があるわ。暗愚故にお祖父様は嫌っていたもの。確定はできないけれど。まあいいわ。私の気が触れたことにして」
目に真っ赤に染まった侍女長の姿が浮かぶ。お祖父様の悔しげに倒れる姿が脳裏から離れない。
「私はまだ力がないの。お父様は貴族としては暗愚かもしれないわ。女にしか興味ないもの。私も愚かと思わせれば生きることはできるはず。お父様って女は男より愚かだと思っているもの」
「お嬢様」
「デビュタント15歳になるまでまだ8年もあるわ。それまでに力をつけなければ」
私の胸に怒りが燃え上がる。お祖父様の命を奪ったと思しき政敵に。いつの間にか公爵家を裏切って侵入者を許した者達に。女に逃げた父親裏切り者に。何より忠義の者を捨てて逃げるしかなかった自分に。
「まずは領地の教会で保護してもらいましょう」
執事長とマーサへ私は告げた。