96.艶福者、空気を読まない
話がひと段落した所で、ヘイロンは本題に入った。
モルガナの元に来たのは彼女に聞きたいことがあったからだ。
「グウィンが言っていたことなんだが……雷火の住処に人間が侵入したってやつ。あれ、そんなにすんなり入れるもんなのか?」
彼の話ぶりから推測すると、予期していない事態だったのだろう。
「結界には色々な種類があるんだ。私の住処に施していたのは、手順を知れば誰でも侵入できる。けれど彼らのような亜人がそんな易しい結界を施しているとは考え難いね」
守りは厳重であるというのがモルガナの見解だった。
「そもそも人間と敵対している亜人が、人間に破られるような結界を施すとは思えない」
「だよなあ……」
ヘイロンもそこが気になっていた。
アルヴィオがやったことは亜人の彼らにとっては寝耳に水、予想外の事態だった。本来ならあり得ない事象なのだ。
けれどこの話は、相手が人間であることが前提にある。
「君が何を考えているのか。当ててあげようか?」
にやりと笑って、モルガナは腕を組んだ。
「アルは人間ではないのかも、かな?」
「ざぁんねんでした! 少し違う」
「おや、外れてしまったか」
モルガナは珍しく悩んでいる。彼女の反応を見て、ヘイロンは内心驚いた。
てっきりあの事を知っていると思っていたからだ。
「もしかしてアルヴィオから何も聞いてないのか?」
「どういう意味だい?」
「いや、知らないならいい」
師匠の様子から、ヘイロンは察してしまった。
この瞬間、抱いていた疑念が確信に変わる。
モルガナが知らないということは、アルヴィオもあの事だけは秘密にしたかったのだろう。
確かに不用意に話す内容ではないが、あのアルヴィオが尊敬してやまない師匠にまで秘密にしていたことを、自分の口から話すわけにはいかない。
「ふむ……私には秘密にしたいことかな?」
「大事な秘め事ってやつだ」
「なら聞くわけにはいかないね。とっても気になるけど諦めよう」
「どうしても知りたいならアイツに直接聞いてくれ。じゃあな」
モルガナとの話を終わらせるとヘイロンは部屋を出た。
「だからって、どうなるわけでもないけどなあ」
薄暗い廊下を歩きながら独り言を零す。
残念なことに、この秘め事がアルヴィオの弱点になることはない。今更暴露したところでどうなるっていうレベルの話だ。
だが、それは相手にもよるだろう。
「ははっ、いーいこと思いついた!」
ヘイロンは意地の悪い笑みを浮かべて、足取り軽やかに歩き出す。
これをうまく使えれば、仲良しこよしの元仲間のあいつらを内側から崩壊させることだって可能なはずだ。
それには絶対条件が一つ。
アルヴィオにバレずに事を運ぶ必要がある。
彼にバレてしまったら、聡い兄弟子のことだ。ヘイロンの考えなどすぐに見抜かれてしまうだろう。
彼を出し抜いて、他の二人のどちらかに接触する必要がある。
「ジークバルトは俺の話なんか聞く耳もたねえし……ならパウラを使うのが一番だな」
あの聖女様ならどうとでもなる。問題はどうやって接触するかだ。
流石にのこのこ王都に出向いて話し合いをするわけにもいかない。
「うーん、やっぱ難しいかもしれない」
なかなか良い案だと思ったが、最初で頓挫してしまった。
やっぱりそう上手くはいかないらしい。
はあーっと大きな溜息を吐いて魔王城の外へと出ると、遠くからローゼンと彼女に肩車をされてニアが駆け寄ってきた。
「おお、仲良しさんたち。どうしたんだ?」
「望遠鏡の設計図が出来た! 確認してくれないか?」
「ニアも! ニアのもみて!」
受け取った設計図を見ていると、ローゼンの肩から飛んだニアが抱き着いてきた。
「うおおっ、あぶないだろ?」
小さな身体を抱きとめた瞬間、ヘイロンは違和感を覚えた。
背中がなんだかフサフサしている。獣のような長毛ではなく、これは……羽毛だ。
「はっ――羽ぇ!?」
触り心地は極上! 加えて形態も完全に翼! 背中に翼が生えている!
「くすぐったいよぉ」
無遠慮に触りまくっていると、ニアがぐにゃぐにゃと身体をよじらせた。
今までは手足だけの形態変化だったから感覚はそのままというのは分かったが、こうして生やした部分にも感触があるのか。
「へえ~、おもしろいな!」
「グウィンのマネしてみたんだよ!」
「上手く出来てる。これは飛べるのか?」
「残念だがそれは出来ない。俺の複製のようなものだからな」
二人の様子を見ていたグウィンが語り掛けてきた。
彼の言う通り、ニアの翼はグウィンのものと大きさが同じだ。彼が空を飛べないのは翼が小さいからだという。ということは本来の翼人はもっと大きな翼を持っているのだろう。
「ニア、空とんでみたい!」
「どうだろうなあ。出来ると思うか?」
「能力次第だ。そこから大きさや形を変えられるなら、可能かもしれない」
「だってよ」
グウィンの話を聞いて、ニアは瞳を輝かせた。
ヘイロンの胸から降りるとグウィンに駆け寄って彼の手を取る。
「ニアのこと、てつだって!」
「えっ、……構わないが、俺は出来損ないだぞ? 飛び方は知ってるが飛んだことはないんだ」
「出来損ない。ニアとおんなじ!」
なぜかニアはとっても笑顔だ。その表情を見て、グウィンは仕方ないなとその身体を抱き上げた。
「分かった。任されてあげよう」
「やった! じゃあね、ハイロ!」
手を振って去っていくニアを見送って、ヘイロンはローゼンから渡された設計図に再度目を通す。
「これどこまで見えるんだ?」
「城の中央から森の入り口まではくっきり見える。でもこれは簡単な作りだから、倍率を変えたりは出来ない」
「うん。それで充分じゃないか?」
「ならこれで試作してみよう」
嬉しそうに言ってローゼンは設計図を懐にしまった。
「それはそうと……ヘイロンはモテモテだな! 私も鼻が高いよ」
「ちびっこにモテてもなあ」
「ニアは十歳くらいだろう? あと十年もしたら立派な大人だよ」
「そんなこと言ったら俺はもうオジサンの仲間入りだろ? 三十五だぜ?」
「ははっ、なら私も人のことは言えないな」
「お前は気立ても良いし優しいから、良い嫁さんになれるだろうな」
「な、なななっ――何言ってるんだ!?」
「ぐえっ」
良いことを言ったと思ったら、突然ローゼンはヘイロンの背中を思い切り叩いた。
女にしても力が強いし加減を知らないから本当に痛い。
涙目になっているヘイロンを他所に、ローゼンは恥じらいながらおずおずと聞いてきた。
「じ、自分はどうなんだ!?」
「なにが?」
「その歳なら好きな人の一人や二人、居るんじゃないのか!? いや、絶対いるはずだ! 教えろ! い、いや……やっぱりいらない! 言わなくていい!」
「はぁ!? どっちだよ」
気にしていないと言葉では言っているが、ローゼンはちらちらとこちらを見てくる。
知りたくてたまらないというのがバレバレだ。
「俺はそういうのはいらねえよ。恋だの愛だの、欲しいと思ったことはないね。そもそも、そんなモン知らないのにどうやって相手に与えられるっていうんだ」
ヘイロンが知っているのはとても歪なものだ。あれが本当の愛情だとは思えない。
だから当然、自分もまっとうなモノを与えられるとは思っていない。そもそも、誰かを心の底から好きだと感じたことだってないのだ。
「すまない。私は両親が居なかったから、それには答えられないな」
「あー、そうだったな……すまん」
「でも、知らないならこれから知っていけばいい。その……私と一緒に」
なぜかもじもじと恥じらっているローゼンを見て、ヘイロンは率直な意見を言った。
「めんどくせえ」
「――っ、ハァ!? どどど、どういうことだ!?」
「どうもこうも、言葉通りの意味しかないんだが」
「だっ、……もっと言い方があるだろう!?」
信じられない、とローゼンは腹を立ててヘイロンを睨むと肩を怒らせて去っていった。
当の本人は何がまずかったのか分かっていない。
きっと当分先は知ることも無いのだろう。