95.元勇者、葛藤する
色々と予定が決まったところで、各々が作業に戻っていく。
イェイラの望遠鏡の件は、ローゼンとの合作ということで話が付いた。ヘイロンの仕事は素材の提供である。ものづくりに精通していないヘイロンよりもローゼンの方が適任であると判断した為だ。
「お前も忙しいのに悪いな」
「いいさ、困った時はお互い様だ」
彼女はそう言ってくれるが、本当に世話になりっぱなしである。
それは今回のこともあるし、ヘイロンが傭兵団に所属していた時も。とにかくローゼンには頭が上がらないのだ。
しかし彼女はヘイロンからの感謝の言葉をなかなか受け取ってくれない。本人は昔してもらったことへの恩返しのつもりだから気にするなという。
もちろん、ヘイロンにはその恩返しなど心当たりはないのだが。
「それに私がこうしているのはヘイロンのためだけではない。快く受け入れてくれた皆の恩に報いるためでもある。精一杯頑張らせてもらうよ」
晴れやかな笑顔を浮かべてローゼンは作業に戻っていった。
ああ見えても細かいことを気にする性格らしい。傭兵であった過去も、それによってたくさんの亜人を殺めたことも。彼女は受け入れて、皆に認めてもらおうと頑張っている。
ヘイロンには彼女のような配慮の心は一切ない。昔したことを後悔はしていない。けれど、ローゼンのあの考え方は美徳であると思う。
「傭兵なんか、やめて正解だったな」
去っていくローゼンの背中に言葉を送って、ヘイロンは踵を返す。
きっとここに居れば、彼女も笑顔で暮らしていけるだろう。
ローゼンだけじゃない、ニアもイェイラも……ここにいる皆がこの場所で生きていけるように。その為にヘイロンは誰よりも身体を張る必要がある。
もちろんそれは、彼の静かに平穏に暮らすという望みを叶える為でもある。
そこまで考えて、ふと胸の奥底に疑問が湧いた。
平穏に暮らしたい、なんてヘイロンが抱く夢とは正反対の望みである。誰よりも強さに固執する自分には不釣り合いなものだ。
しかしヘイロンはそれを願ってしまった。叶えたい夢があるにも関わらず、だ。
「おっかしいなあ」
そういえばローゼンも言っていた。昔と変わってしまったと。それはヘイロンも自覚がある。確かに昔と比べて甘くなった。まるで歯牙を抜かれた獣のようだ。
魔王城の薄暗い通路を歩きながらヘイロンは顔を顰める。
なぜだと自分の心に問うが、なかなか答えが出てこない。なぜこうも腑抜けてしまったのか。
傭兵団を抜けたまでは、ローゼンの言うヘイロンのままだった。
その後に変化があったというなら、再びアルヴィオと出会ってからの半年間。魔王封印の為、彼らと行動を共にしていた時だろう。
そこまで考えて、気づいてしまった。
「そうか……おれ、嬉しかったのか」
傭兵として誰よりも強者であることを求めたヘイロンだったが、結局あそこではヘイロンは満足できなかった。
自分に勝てる相手は存在しない。相対すればすべからく肉塊に変わっている。
兄弟子に誘われたからというのもあるが、ヘイロンが傭兵団を辞めたのはこれ以上あの場所に居ても意味がないと悟ったからだった。こんなことを馬鹿正直にローゼンに話してしまえば絶対に引き留められると理解していたから、適当な理由をつけて彼女の元から去ったのだが――
アルヴィオが引き合わせてくれたジークバルトとパウラは、人間の中でも飛び抜けた実力を持っていた。
そういった人物を魔王封印の任務に付けるのは妥当だ。そしてそれは、ヘイロンの兄弟子であるアルヴィオも同じ。
少し見ない間にアルヴィオもヘイロンが認めるほどの力をつけていた。
パウラは能力が特殊だから除くが、アルヴィオとジークバルトは真っ向から挑んで無策で勝てる相手ではない。状況次第では負けるとヘイロンは見ている。
きっとヘイロンを殺せるのは、あの二人くらいなものだろう。
そう、だから嬉しかった。
広大な砂漠で、逸れていた群に出会ったような。
喜ばしくもあり、嬉しくもあり。自分では気づかなかったが、確かに歓喜していたのだ。
だからあの時……裏切りに落胆して、深く傷ついた。
ヘイロンが復讐を選ばなかったのも、それが原因だ。
彼の心がこのように傷ついたのは初めてのことだった。自分の感情なのに消化不良に陥って、正常な判断が出来ない。
そういう異常が起きた時は、逃避するのが防衛本能というものだ。
だからこそ、静かに平穏に暮らしたいと願ってしまった。それがどれだけ不釣り合いなものか、理解できないまま。
「アルヴィオが落胆するのも当たり前だな。ほんと、なにやってんだか……」
自分の思考回路に呆れて、ヘイロンは苦笑する。
けれどおかしなことに、ヘイロンはいまの暮らしを気に入っている。彼の夢から遠ざかるばかりの生活なのに、どうしてか。とても楽しいのだ。
===
「やっぱり変だよな、これ」
ヘイロンの話を聞いて、目の前にいるモルガナはしばし考え込んだ。
彼女の元を訪れたのは別の用事があったからだが、気づいたら師匠に尋ねていた。
モルガナはヘイロンの話を笑うでもなく、真剣に聞いてくれた。
「私もそこが気になっていた」
「気になってたって?」
「昔の君と今の君は別人かってくらい変わっているんだ。君がそれに気づいてくれて嬉しいよ」
モルガナは嬉しそうに語るが、ヘイロンには彼女の意図が知れない。
「気づいたって解決策はないだろ? 無意味だ」
「そうでもないよ。自覚しているから、こうして私の話も聞く気になっているだろう? 説明しても本人に聞く気がなければどうにもならない」
彼女の返答は一理あるものだった。
この気づきがなければ、ヘイロンだって一蹴していたかもしれない。そんなわけないだろう、と。
でも、だったらどうすればいいか。
それを問う前にモルガナはヘイロンに語った。
「君の夢と望みは相反している。どちらかを叶えるにはどちらかを棄てなければならない」
「そう、なんだよなあ」
そこが一番ヘイロンを悩ませている所でもある。
どちらか一つ、選ばなければならない。しかし、どれだけ考えても答えは出ないのだ。
悩んでいるヘイロンを見つめて、モルガナは彼に問うた。
「どうしたい、なんて安直なことは聞かない。どちらの生き方がいい?」
問われて、ヘイロンは意外にもすぐに答えが浮かんだ。
けれどこれを言ってしまえば、彼女の期待を裏切ってしまうことになる。ヘイロンは昔、モルガナとある約束をした。それを反故にすることだけはしたくない。
心の中で葛藤していると、そんなヘイロンを見てモルガナは口元に笑みを浮かべた。
「幼少期の体験は人格形成に多大な影響を与えるものだ。人によってはそれに一生引き摺られて生きていく者もいる。これの厄介なところはね、簡単に忘れられないところにあるんだ。刷り込みにも似ている。自分にはこの生き方しかできないと自分で自分を洗脳してしまうんだ」
彼女の話は的を射ていた。
実際にその通りで、ヘイロンは今まで自分の生き方に疑問を抱いたことはない。今回が初めてのことだった。
でも――とモルガナは続ける。
「今を生きているのは君自身だ。昔の君じゃあない。だから、君がどちらを選んでも私は応援するよ。弟子の肩を持つのは師匠の役目でもある」
柔らかく微笑んだ師匠の表情を見据えて、そこでやっとヘイロンは開口した。
「別に俺はどっちも諦めるつもりはないぜ?」
「ならどうするつもりだい?」
「俺を殺せるのなんて、アルヴィオとジークバルトくらいだ。そいつらはきっと俺の邪魔をしてくる。なら避けては通れない相手ってことだろ? あいつらを打ち負かさないと平穏に生きたいなんて望みは叶わない」
――誰よりも強くなる。
その夢はいずれ叶うだろう。なら、その後の生き方を模索するべきだとヘイロンは気づいた。
「化け物にもいろんな奴がいるんだ。力が強くて殺しても死なない。でも皆と一緒に暮らしたいって思う奴も、一人くらいは居てもいいだろ?」
「……そうだね。私もそちらの方が好きだ」
晴れやかな笑みを浮かべる弟子を見て、モルガナは穏やかに微笑んだ。