94.元勇者、猛省する
「私に見張りをやれってこと!?」
イェイラの問いかけに、ヘイロンは頷く。しかし彼女もはいそうですか、とは言わなかった。
「私、眼が良いわけでもないし……もっと適任の人はいると思うけど」
イェイラの疑問はもっともだった。
彼女の話を聞いて、グウィンは大きく頷く。
「俺は空を飛べないが眼は良い方だ。歩哨というならそっちの方が良いのでは?」
二人からの意見を聞いてもヘイロンは先の提案を撤回しなかった。
彼の頑なな態度を目にして、ローゼンはふとあることに気付く。
(ヘイロン、悪い顔をしている……)
きっと何か考えがあってのことだとローゼンはピンときた。
彼女が何かを言う前にヘイロンが口を開いた。
「まあ、まてよ。その代わり条件がある」
「……条件?」
「イェイラは陽が出ている時間帯だけ。夜はグウィンに歩哨を任せる。これでどうだ?」
「どうと言われても……何も問題は解決していないじゃないか」
「そうよ!」
自信満々だったヘイロンだったが、どういうわけか二人に押し負けている。何か策があるようだけど説得できていない。
そこにローゼンは助け船を出した。
「イェイラに条件を付けたということは何か考えがあってのことなんだろう?」
「そう、そういうことだ!」
「つまり、なによ」
イェイラの詰問に、ヘイロンはごほんと咳ばらいをする。
「ハイドは影の中を移動できるんだろ?」
「ええ。私の知っている場所か、視界に入っているものに限りだけどね」
「なら見張りで見つけた敵を影から奇襲も出来るんじゃないか?」
得意げに語ったヘイロンの作戦に、イェイラとグウィンはなるほど、と唸った。
彼の妙案は見張りと奇襲を同時にやってのけようということだった。
二人の様子を見つめてローゼンはなぜか得意げに胸を張る。
「あのヘイロンが自ら作戦を立案するなんて! 昔なら考えられないことだ!」
「それ、褒めてんのか?」
「もちろんだ!」
しかもヘイロンにしてはちゃんと頭を使っている。
彼は馬鹿でも阿呆でもないが、なんでも力でねじ伏せようとするのだ。弱者の戦い方には疎い。策を練って弄するなんて面倒なことをするタイプではなかった。
だからローゼンは内心、二人よりも大いに驚いていたのだ。
「試したことはないけど……大丈夫かな? どれだけ離れていても私が視認できていれば……うん、ハイドなら出来ると思う」
「しかし目視で見える範囲なんて限られている。仮に監視塔を城の中央に置いたとしよう。周囲を見渡せる場所から歩哨に立っても、そこから森の入り口まで結構な距離があるな」
「そ、そうね……私もそんなに遠くからは試したことないかも」
しかし、作戦を詰めていくと所々にボロが出てきた。
不穏な空気を感じたローゼンだったが、なぜかヘイロンは変わらず笑みを浮かべている。
「そこもちゃあんと考えてるぜ!」
「何か策があるのか!?」
「望遠鏡を作る。そうすりゃ、遠くでも見えるだろ?」
自信たっぷりに発言したヘイロンだったが、二人からの反応は薄いものだった。
「ぼうえんきょう?」
「……なんだ、それは?」
「二人とも知らないのか?」
ローゼンが問うと、二人して頷く。
どういうことだと考えて、彼らは亜人であるのだと思い至った。
人間と亜人では身体の作りも違う。だから身体機能も違うのだ。
眼が良い人に眼鏡は必要ない。それと同じで、基本的な身体能力では人間の方が劣っている。故にそれを補うための道具を作り出していったのが人間の文化の根源でもある。
亜人たちはそういった文化の形成が少しばかり遅いのかもしれない。
加えて千年前ならいざ知らず、今の亜人たちの間では物流が滞っている。それも今の状況の一因となっているのだろう。
「簡単に説明すると筒の中を覗くと遠くまで見える道具だ。人間は亜人と比べて目が良くはないから道具に頼るんだ」
「わたし、見たことないかも」
「そんなものが作れるのか?」
ローゼンの説明に二人は興味津々だった。
彼女がそれに答える前に、ヘイロンが間に割り込んでくる。
「そこで俺の出番ってわけ」
「はあ?」
胸を張って立ち上がったヘイロンにイェイラは怪訝な目を向ける。
彼がそんな道具を作れるとは思えない。何でもできる人だということは知っているけれど、それでもローゼンに任せた方が絶対に良い!
「まあまあ、みてろよ」
ヘイロンは右腕の袖をまくると、前に腕を突き出した。
ぎゅっと拳を握って集中する。
三人とも、今から何をするのか。興味深そうに見つめている。
その視線を一身に受けながら、ヘイロンは右腕に意識を向けた。
今からやるのは、ヘイロンも初めての試みだ。
机上の空論だが、理論上は出来ると結論が出た。ならば出来るはずだ、と彼は考えて――そして実際に成してみせるのだ。
刹那、肉の焦げる匂いがしたと思ったら、ヘイロンの右腕が溶けた。
テーブルに溶け落ちた物体はどろりとした液状である。肉体が溶けたという割には水っぽい。そしてかなりの高温なのか。赤々と熱せられている。
「……なにこれぇ」
「奇怪すぎる」
「ヘイロン、これはなんだ?」
三人とも目の前で起こっている現象に困惑していた。
きっと誰だって同じ想いを抱くはずだ。
ここでその答えを知っているのはヘイロンただ一人。
「これか? ガラスだよ」
実験が成功してヘイロンは満面の笑みで皆に説明する。
いま彼がやったのは、灰と珪砂を混ぜて高温で熱して作るガラスの製法。それと同じことを自分の腕でやって見せたのだ。
「い、いみわかんない」
「頭がおかしいんじゃないか?」
「……すまない、私もこればっかりは庇えない」
「――はあ!? そこまで言うか!?」
三人の反応にヘイロンは不満を漏らした。
いや、確かに普通にガラスを作ったらいいと言われたらそれまでだが……これの肝心要はそこではないのだ!
「そもそも、このガラスって……あなたの身体由来ってことでしょう? 気持ち悪いんだけど!?」
「そっ、そんなにはっきり言わなくてもいいだろ! あんまり言われると俺だって傷つくんだからな!」
「なら引かれるようなことしなければいいじゃない!」
もっともな物言いにヘイロンは返す言葉が思い浮かばなかった。
「いや、違うんだ。本当はこっちが本命なんだよ」
そう言って、ヘイロンは先ほどの腕を見せた。
溶けた腕はちゃんと腕の形を保っている。そのうえで、前腕部が冷めたガラスでコーティングされているようだ。
つまり自前の小手を作った、とも言い換えられる。
「ガラスの小手のようなものか?」
「そうだ。それに鉄と骨を混ぜた。強度は充分なはずだぜ」
骨と鉄――鉄は血液から変容させた。
ヘイロンの奇行を面白がって聞いてくれるのはモルガナくらいなはずだ。彼女なら今の実演の凄さを分かってくれる。
魔法の同時行使というのはかなりの難度だ。やるといってほいほい出来るものではない。
復元に同化、物質の変容、熱を加える延焼、それと冷却。それらの工程の間に復元を挟むから、行使する魔法はその倍になる。
ヘイロンの魔法の実力はかなりの域に達している。けれど彼はそれをまっとうな方法で昇華しない。
邪道を攻めて変容させる。あのモルガナさえもヘイロンを変わり者と呼ぶのだ。いわずもがな、である。
「ってことは、つまりなに?」
「ガラスのレンズを作って、それで望遠鏡を作れるって話だ」
「なら最初からそう言ってよね。びっくりしたじゃない」
「わるいわるい」
「ニアが居なくてよかったわね。これ見てたら大泣きされてたわよ」
「以後気を付けます……」
イェイラからガミガミと文句を言われながら、ヘイロンは猛省するのだった。