92.元勇者、炊事番をする
ローゼンに追い払われたヘイロンは、魔王城の中へと戻っていく。
すると微かに良い匂いが漂ってくる。
それに立ち止まっていると、突然後ろから誰かに激突された。
「うわっ」
振り向くと、そこにはニアがいた。
両手で抱えているカゴの中には、畑で獲れたであろう泥だらけの野菜が沢山入っていた。
「おお、ニアか」
「ハイロ、いまヒマ?」
「うん? そうだなあ……少しだけな」
「てつだって!」
そう言ってニアはカゴをヘイロンに押し付けてきた。
カゴいっぱいの野菜は子供には重かったのだろう。ヘイロンはそれを喜んで引き受ける。
「いいぜ。どこに運べばいい?」
「イェイラのところ! こっち!」
ニアはヘイロンの手を引くと炊事場へと向かって行った。
先ほど感じた匂いの出所に、ちょうど今は料理をしている最中なのだろう。
「イェイラ! いっぱいとってきたよ!」
「おかえりなさい。あら……」
イェイラはヘイロンを見て料理の手を止めた。
とりあえずカゴをテーブルに置いたところで、先ほどと同じことを問われる。
「あなた、いまヒマしてる?」
「少しだけな」
「じゃあ今とってきた野菜を洗って、下処理してもらえない? ニアも手伝ってくれてるんだけど、それだけじゃ手が回らなくて」
「いいぜ」
あれよあれよという間にヘイロンは飯の支度を手伝うことになった。
といってもヘイロンは料理が上手いというわけではない。たまにしか作らないし、イェイラと比べると要領だって悪い。
ミディオラの分は要らないとして、毎日七人と一匹の食事を作らなければならないのだ。かなりの量になる。そこにグウィンも加わり、今では八人の大所帯だ。
イェイラの話ではいつもはムァサドにも手伝ってもらっているが、今の彼はローゼンの手伝いに忙しい。二人だけではてんてこ舞いなのだ。
「このちっちゃいの、ニアがとったんだよ」
「へえ……これってこのあいだ植えた芋だろ? 育つの早くねえか?」
「はたけの土が良いんだって」
「ふぅん」
芋の他に葉物野菜や根菜、傷みやすいトマトなんかもある。
「芋以外のこれはどっからとってきたんだ?」
「それは野生になってたやつよ。意外にも自生してるのがあってね。きっと大昔の名残で野生化したのね」
イェイラの話では普通に美味いらしい。
今日はこれでトマトの煮込み料理を作るみたいだ。
泥を落として、芋の皮をむいているヘイロンの隣では、イェイラが忙しなく肉の下処理をしていた。
「そいつはどうするんだ?」
「これは燻製にするやつね。後で外の焼き場まで持っていくの」
「おいしいご飯、だいじなんだよ!」
「はぁ?」
話を聞いてみると、二人は食事当番に任命されたのだという。
ヘイロンがあの場から去った後、傭兵上がりのローゼンが仕切ってくれて、仕事を割り振ったのだ。
「ああ。だからアイツ、あんなに張り切ってたのか」
「最初はどんな人か分からなくて少し怖かったけど、良い人ね。あなたよりも頼りになるわ」
「まあな、アイツ結構なんでもやっちまうんだよ。頼りにはなるぜ? たまに暴走するけどな」
「……嫌味で言ったのよ」
小ぶりに切った生肉を串に刺しながら、イェイラは溜息を吐いた。
嫌味を言われたとは気づいていなかったヘイロンは、そうなのかと納得する。
ローゼンとは昔色々あったが、今ではヘイロンが頼りにしているうちの一人だ。それを褒められるのは悪い気はしない。
「それ、アイツに直接言ってやってくれよ。たぶんすごい喜ぶぜ」
「あなたってやっぱりおかしな人よね。自分に興味がないみたい」
呆れたように言ったイェイラの一言にヘイロンは一瞬固まった。
ローゼンにも昔散々言われたものだ。
どんな扱いを受けても悔しがることも無い。全部なかったことにする。まるで自分に興味がないように。
イェイラにも同じことを言われるのだから、ローゼンの違和感は正常だったことになる。
「……そうか? これでも人並みに傷ついたりはするけどなあ」
「それくらいは知ってるわよ。私が言いたいのはそういうのじゃなくて……鈍感すぎるってこと!」
串をヘイロンの顔面に突き付けて、イェイラは続けて語る。
「私の経験上、そうやって鈍感な人はそうなるべくしてなることが多いのよ。嫌なことがあったり、忘れたいことがあったり……自分が傷つかないようにそういうふりをするの」
そこまで言ってイェイラはヘイロンの顔を凝視した。
じっと見つめられること数秒――
「あなたの場合は……まだよく分からないわね」
「はは、なんだよそれ」
「だってまだ出会って一月も経ってないじゃない。分からないわよ」
拗ねたように口を尖らせてイェイラは作業を再開する。
「ニアわかるよ! ハイロやさしい!」
「おっ、よーくわかってるじゃねえか! さすがニアだな!」
「うん!」
よく分からない褒められ方をされても、ニアは嬉しそうに笑っている。
「ニアはそういうの大丈夫そうだな」
「なに?」
「何でもねえよ。さっさと終わらせようぜ」
「うん!」
拙い手付きで芋の皮むきをするニアを手伝いながら、ヘイロンは穏やかな時間を過ごした。