91.――朋友、夢想する 2
ヘイロンの剣の腕は驚くほどのスピードで上達していった。
彼の才能、努力もそうだが……それの一番の要因は傭兵団員たちからの執拗な稽古と称したリンチであろう。
彼はどういうわけか。怪我を負ってもすぐに治る。腕を斬られても、脚を斬られてもへっちゃらな顔をしているのだ。
それを見てしまえば、都合の良い剣の試し斬りの相手として使われるのも納得である。
「お前、馬鹿にされて悔しくないのか?」
「……なにが?」
気にする必要はないはずなのに、ローゼンは気づいたらヘイロンに突っかかっていた。
彼はそんなローゼンを気にすることなく平然としている。というのは彼女の主観であって、実際はどう思っていたかは分からない。
もしかしたら面倒だな、くらいには感じていたかもしれない。
それだけ彼は自分以外の他人に関心がなかった。
「あいつらはお前のこと、壊れない玩具くらいにしか思ってない」
「あ、そう。それがどうかしたか?」
「だっ、だから……あそこまでされて悔しくないのか!?」
「別に何とも思ってねえよ」
ヘイロンは剣の手入れをしながら素っ気なく答えた。
彼の態度に、やはりこの男のことは分からないなとローゼンは頭を振る。そもそもこうして気にかけてやる必要もないのかもしれない。
彼が好き好んでこんな境遇を受け入れているのなら、それこそ余計なお世話というやつだ。
「分かった。もう何も言わない」
「お前、勘違いしてねえか?」
「え?」
立ち去ろうとした瞬間、背後からヘイロンが声を掛けた。
それにローゼンは振り返って彼の顔を見遣る。
「俺はお前みてぇに、力がないからあいつらに逆らわないわけじゃねえよ」
磨いていた剣を掲げて、ヘイロンは徒然と語りだした。
「あのバカ共からはまだまだ学ぶことがある。俺は誰よりも強くならなくちゃいけないんだ。その為なら泥水啜ろうが負け犬呼ばわりされようが、どんな扱いだって受け入れてやる」
ヘイロンはそれだけを言って立ち上がった。
彼の瞳を、ローゼンはじっと見つめる。そこには並々ならぬ決意が透けて見えるようだ。
「どうして……何をそこまで」
「俺の邪魔しないってんなら教えてやってもいいぜ? 俺を足蹴にしたアイツを殺してからだけどな」
ヘイロンはいずれ団長に再戦を申し込むつもりなのだ。
剣術だけで彼を負かすつもりだと、ローゼンも気づく。しかしヘイロンのそれは無謀としか言いようがないものだった。
「勝てると思ってるのか? 団長はあんなのでも相当な実力者だ。荒くれ者だらけの傭兵団をまとめる長だぞ? お前が楽に勝てる相手じゃ――」
「だろうな。じゃなきゃ面白くない」
彼は笑い飛ばして、ふとローゼンを見た。
「なんだよ。俺のこと、心配でもしてんのか?」
「なっ、なぜそうなる!?」
「アイツさえいなくなればお前は自由になれるんだろ? だったら止める理由もない。是非やってくれって背中押すのが普通だぜ?」
「そ、そうだけど……」
ヘイロンの正論にローゼンは言い淀む。
まったくもって彼の言う通りだった。自分でもなぜあんなことを言ったのか分からないが……もし、彼があの団長を倒してくれるのなら。ずっと望んでいた自由が手に入るのだ。
「それにな。俺はそう簡単に死なねえんだ。心配するだけ無駄ってやつ」
愉快そうに笑って、ヘイロンは去っていった。
ローゼンは彼の背中から目を離せず、姿が消えるまで見つめていた。
自由奔放に生きるヘイロンが羨ましかったのかもしれない。
===
――ヘイロンの宣言より、半年後。ついにその日は来た。
半年も経てば、彼を取り巻く環境も少しずつ変わっていった。
最初は馬鹿にしていた団員たちも、破竹の勢いで戦果を挙げるヘイロンに驚き、彼の力を認めるようになっていた。
今では一番の稼ぎ頭でもある。だからこそ、彼が再び団長に挑むと宣言したのを笑う者は一人もおらず。
そして、彼の宣言通りに負かして、その命を奪ってしまったとしても彼を咎める者は誰もいなかった。
「か、勝っちまったのか?」
「そう、みたいだぜ? だってあれ見てみろよ。死んじまったのはあの負け犬じゃなくて団長だ」
「お、おう……じゃあ、つまりよ。今度はアイツがこの傭兵団の団長ってことになる、んだよなぁ?」
周囲からはひそひそと話声が聞こえてくる。
ヘイロンは斬り落とした団長の頭を踏みつけて、野次馬の団員たちに向けて声を張り上げた。
「お前らバカか? そんな面倒なこと御免だね」
次の団長は彼になるのでは、と噂していた団員たちはざわついた。喧騒は次第に大きくなる。
その内の一人が前に出てヘイロンに尋ねた。
「ってことはこの傭兵団は解散ってことになるのか?」
「あー、そこまで考えてなかった。そうだなあ……俺に勝ったら団長の座、譲ってやるよ。どうだ? 夢があるだろ?」
ヘイロンの気まぐれな一言で、団員たちは雄たけびを上げた。
傭兵団を束ねるリーダーというものは、傭兵家業を生業としている者たちにとってはかなりの好待遇だ。
なんせ手下たちを手駒にして金を稼げる。その地位をヘイロンは要らないからやるというのだ。
これに飛びつかない輩はいない。
「剣のみでの死合い、それで勝敗を決める。お前らも傭兵なら文句はないだろ?」
にやりと笑って、ヘイロンは剣先を突き付ける。
野営地はお祭り騒ぎだった。血気盛んな男たちが地位と権力、栄誉を争って死んでいくのだ。
ローゼンはそれに目もくれず、首を斬られて死んでしまった団長の死体をじっと眺めていた。
「呆気ないものだな」
七年間、支配されてきた相手の死にざまに、ローゼンは困惑していた。
別に自分の手で殺そうなんて思っていなかった。けれど、死んでみれば実に呆気ない最期だったと、奇妙な気持ちになる。
きっと気持ちの整理がつかないのだろう。それとも実感が湧かないだけか。
一つだけ分かることは、この男を殺したのがあのヘイロンであるということだけだ。
「お前はどうする?」
「――え?」
不意に声を掛けられて顔を上げると、そこには返り血にまみれたヘイロンが立っていた。
彼は手元で器用に剣を振り回してローゼンに問う。
「お前が最後だ」
「……他の皆はどうしたんだ?」
「途中から勝算がないってんで、逃げやがった。全員のしてやるつもりだったのに、残念だよ」
期待外れだと嘆息して剣を放り投げると、ヘイロンは倒れ伏した団長の身体の上に腰を下ろす。
彼の様子を見て、ローゼンはそういえばと思い出した。
「あの時の」
「うん?」
「あの時、言っただろう? こいつを殺したら話してやるって」
「あー、そういえばそんなこと言ったな」
笑ってヘイロンは空を見上げた。
天を仰いで、深く息を吐き出すと彼は語ってくれた。
何の為に、強くあらねばならないのか。
彼が何を目指して、どんな夢を抱いたのか。
静かに語ってくれたヘイロンの話は、彼の原点の話だった。
それを聞いてローゼンは決定的なことに気付いた。気付いてしまった。
彼の人生は幸せとは言い難いものだった。
幸福とは程遠い生き方をしてきた。その部分だけを見るなら、ローゼンと似ているかもしれない。
けれど、決して同じではないのだ。
ヘイロンは、色も温度も違う地獄を歩んできた。
同じところがあるとすれば、そこには一切の光が射さないということ。
子供の彼はとても聡明だったのだと、ローゼンは思った。
それを誰に言われるでもなく察していたのだから。故に彼は妄執ともいえる道を選んだのだ。
ヘイロンの話を聞き終わって、ローゼンは漠然とそう思った。
「俺には変わり者の師匠がいてな。その人が俺に言ったんだ。環境さえ変わっていれば、こうはならなかったってな。別に俺は後悔なんてしてねえのに……何でだろうな。フェイのやつ、悲しそうな顔で言うんだよ。もう十年以上も前の話なのに、その顔だけは覚えてるんだ」
彼にしては珍しく、物憂げな表情をする。
いつも笑い飛ばしているヘイロンからは想像も出来ない様子にローゼンは驚いた。
彼もこれの答えは求めていないのだろう。ただの独り言だ。
「……これからどうするんだ?」
「そうだなあ。どうするか……何も考えてないな!」
はははっ、と軽い笑い声が聞こえてくる。
それにローゼンは思い切ってある提案をした。
「その……私にも手伝わせてくれないか?」
「手伝う?」
「ヘイロンの夢を叶える手伝いだ。せっかく傭兵としてやってきたんだから、この経験を使わない手はないだろ?」
力説するローゼンだったが、ヘイロンは意味が分かっていない。
「つまり……新しく傭兵団を作ってやっていこうという話だ。ヘイロンは強者と戦うだけでいい。面倒なことは私が請け負う! どうだ?」
「へぇ、良いこと考えるじゃねえか。いいね! 面白そうだ!」
膝を叩いてヘイロンは立ち上がると、ローゼンに向かって手を差し出した。
彼はいつもの笑顔をローゼンに向ける。それを見つめて、ローゼンはぎこちない笑みを浮かべて彼の手を取ったのだ。