80.元勇者、身バレする
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突然叱責されて、ヘイロンは瞠目した。
状況がまったく飲み込めない。どうして彼女がここにいるのかも。どうして殺されかけているのかも。どうして、泣いているのかも。
「ローゼン、だよな? どうしてお前がここに」
「どうしてだと!? そんなこと、聞かなくても分かるだろう!?」
まるで噛み付くように彼女――ローゼンは声を荒げる。
しかしヘイロンにはまったく心当たりがない。彼女がどうしてこんなにも怒っているのか。理由も知れないのだ。
裂けた右腕からは血が流れ、足元に血だまりを作る。
このまま血を流し続ければ失血死をしてしまう。けれどヘイロンは傷を治さなかった。否、この状態では治せないのだ。
右腕に刺さったナイフ。それの刀身が黒い。何か塗り込まれていることは分かる。
おそらくこれは砂鉄だ。これを使った攻撃はローゼンの十八番である。
ヘイロンの腕が裂けたのは、この砂鉄が鉄の刃となって内側から生えてきたからだ。身体の中に異物がある状態では身体を復元できない。その状態で復元してしまったら、異物が身体に取り込まれてしまうからだ。
同じくこうして剣を突き立てられていても同じこと。
彼女はヘイロンの能力を熟知していた。
それもそうだ。ローゼンとは傭兵時代からの付き合いがある。モルガナ、アルヴィオに次いで付き合いが長い。こうしてヘイロンの身動きを封じることなど容易いのだ。
「分からねえよ。お前が怒ってる理由なんざ!」
「――ッ、ふざけるな! こんな、こんな場所で何やってるんだよ! お……っ、わたしがどんな思いで」
ローゼンがヘイロンに詰め寄った直後、彼女の足を誰かが掴んだ。
「はなして!」
ローゼンを留めたのはニアだった。
先ほどヘイロンに放られて擦りむいた傷など構いもせずに、小さな体で両者の間に割って入る。
「はなせ!」
「……っ、邪魔だ!」
手加減を知らない蹴りを食らって、ニアは吹っ飛んでいく。
それでもニアは泣きもせず起き上がると二人の間に突っ込んだ。
「ニア、やめろ!」
「いやだっ!」
泣きそうな声でニアは叫ぶ。
ローゼンの足を掴んで押し返そうとするけれど、子供の力ではどだい無理な話だ。
冷ややかにその様子を眺めているローゼンだったが彼女の表情は直後、苦痛に塗り替わる。
「いっ――ッ、」
「はなしてよ!」
ローゼンの足に鋭い爪が食い込む。子供と思えない力で掴まれたことに、彼女は息を飲んだ。
非力な幼女の腕が獣のように変化していたのだ。
「ぐっ、この――」
たまらずローゼンは剣から片手を離して、腰の短刀に手を掛ける。
けれどその隙をヘイロンは見逃さなかった。
一瞬、相手の意識がそれた瞬間を狙って空いていた左手でローゼンの首を掴む。
身体の痛みで手に力が上手く入らない。それでも気道を塞ぐくらいは出来る。殺すつもりで絞めると、彼女はたまらず抜いた短刀をヘイロンの左腕に突き立てた。
「子供に物騒なモン向けてんじゃねえ!」
叫ぶと同時に先ほどと同じく、左腕が裂けた。
溢れ出た血がニアの頭上から降り注ぐ。浴びた血の温かさに、ニアは血の気が引いた。
こんなに怪我をしていたら死んでしまうかもしれない。すでに泣きそうになっていたニアは、それでもなんとか涙を堪えて耐えていた。
けれどヘイロンにはニアを気にかけてやれる余裕はなかった。
このローゼンという女は、相手が子供だろうと容赦はしない。傭兵として戦場を渡り歩いている猛者だ。敵意を持って向かってきたならそれが誰であろうと関係ない。女、子供、老人――どんな相手でも手を抜く奴ではないのだ。
そして、その事をヘイロンは良く知っている。
左腕を損傷させたことで、力が弱まった。
その隙を見て、ローゼンはヘイロンの身体を貫いていた剣から手を離すと距離を取る。
ローゼンが離れたことで、ヘイロンは一先ず安堵した。
こちらを見るニアの顔は今にも泣きそうに歪んでいる。
「は、ハイロぉ」
「わるい、汚れちまったな」
安心させるように笑みを浮かべると、潤んだ瞳から涙が溢れてきた。
「し、しなないで……」
「そんなに泣くことないだろ」
「だ、だってぇ」
顔をしわくちゃにしてニアはヘイロンに抱き着く。
どうしてニアがこんなに取り乱しているのか。その理由はすぐには分からなかった。
こんなにも動揺しているニアは初めて見る。けれどこんな怪我はヘイロンにとっては何ともない。
少し考えて、ニアに今のような血みどろの争いを見られるのは初めてだったな、と思い至った。
それなら泣かれようが心配されようが当たり前だ。
「俺は大丈夫だから、ほら。離れてな」
「でもっ……」
「あー、そうだよなあ。こんな格好で言われても納得できねえよな」
軽く笑って、ヘイロンは肩に刺さった剣を抜こうとする。
けれど手に力を込めようにも神経が傷ついていて力が入らない。
「はぁ、こっぴどくやられちまったよ」
グチグチと文句を言って、ヘイロンはローゼンを見遣った。
彼女は突っ立ったまま身動き一つしない。さっきの凶暴さとは雲泥の差である。
「なあ、これ抜いてくれない?」
「な、なにを言って……」
「出来ないっていうならいいよ。べつに頼む」
素っ気なく言い放って、ヘイロンは城の入り口に目を向けた。
「イェイラ、これ抜いてくれよ」
「――ッ、馬鹿じゃないの!?」
壁の陰に隠れていたイェイラは、慌てた様子で罵倒してきた。
明らかにヤバいやつがいるのにわざわざ呼ぶ奴があるか! というのがイェイラの心の主張である。しかしヘイロンはそんなこと気にもしていない。
今は大人しいけどまたいつ攻撃してくるか分からないのだ。あんな八つ裂きになるなんて……そんなのを食らって無事で居られるのはヘイロンだけだ。
「い、いやよ……危ないじゃない」
「だーいじょうぶだって。ほら、あいつ大人しいだろ?」
「い、今はでしょう!? 油断した隙に襲ってくるかも!」
警戒しまくっているイェイラは意地でも出てこないつもりだ。
それに気づいたヘイロンは、ローゼンに問う。
「こう言ってるけど?」
「はぁ……そんな真似はしない」
どうしてかローゼンは溜息を吐いて呆れた表情を見せた。まるで毒気を抜かれたみたいだ。先ほどまでの敵意を全く感じない。
彼女の様子をみてヘイロンは大丈夫だと判断した。
「だってよ」
「あなたほんとに馬鹿ね! そんなの信じられるわけないじゃない!?」
なおも喚くイェイラに、ローゼンは地面に胡坐をかいて座って見せた。
「何もしない。約束する」
空手を見せてイェイラに語り掛けると、彼女はおずおずと陰から出てきた。
「もう、ほんと……っ、なんなのよ」
「ごめんごめん。ほら、両手こんなになってるからさぁ」
「そんなの見れば分かる! わたしが言ってるのはそういうことじゃなくて――」
グチグチと文句を言いながら、イェイラは刺さった剣を抜いてくれた。
「こっちの腕の方はどうするのよ」
「まあ、見てろよ」
無残な状態になった手を、引き攣った表情で見つめてイェイラは問う。
それにヘイロンは目を瞑って意識を集中させる。この手の魔法は繊細だから高い集中を要するのだ。
ヘイロンが目を瞑った数秒後、両手の先端からサラサラと腕が瓦解していった。
正確には指先から灰となって崩れていったのだ。肉も骨も血も、すべてが燃え尽きた後のようになくなっていく。灰と一緒に腕に食い込んでいた鉄の刃が地面に音を立てて落ちていった。
肘あたりまでなくなったと思ったら、瞬きする瞬間には元の腕に戻ってしまった。
「うん、これで元通りだな」
「何が元通りよ。また服がダメになったじゃない」
「うっ、……それは、すまん」
溜息交じりのイェイラの小言にヘイロンは首を竦めた。
苦笑を浮かべたところで、さっきまでくっついて泣いていたニアが目元を拭ってヘイロンの手を握る。
「うっ、ハイロぉ」
「ほら、もう大丈夫だろ?」
「う、うん」
頑張って泣き止んだニアの頭を撫でて、汚れた顔を拭ってやる。
甲斐甲斐しく世話を焼いていると、そんなヘイロンを見てローゼンはゆっくりと立ち上がった。
「アンタ、おかしいよ。亜人なんて今まで散々殺してきたくせに、なんでこんな奴らの傍に居るんだ!」
「俺が誰と一緒に居ようとそれは俺の自由だ。お前にとやかく言われる筋合いはないよ」
ヘイロンの反論に、ローゼンは唇を噛みしめて俯いた。
涙を堪えるように息を飲んで、諦めたように頭を振る。
「アンタは変わってしまった……私の憧れたヘイロンはもういないんだな」
呟いた言葉に、イェイラとニアは瞠目した。
一人だけ頭を抱えているヘイロンを置いて、口火を切ったのはイェイラだった。
「……ヘイロン?」
「もしかして知らないのか? お前たちと一緒に居るその男は、魔王を殺した英雄。勇者ヘイロンだ」
その一言で、二人の視線が向けられる。
ヘイロンはその眼差しにバツが悪そうに頷くのだった。
腕の橈骨(手首から肘までの間)という場所の神経を損傷、圧迫すると手の甲、指がマヒするそうです。
作者がたまに指痺れるのもそれかいな~?