76.賢者、交渉する
カイグラード王国から南西に位置するリカント大森林。
その奥地に彼らは来ていた。
「本当にこんな奥地に奴らの住処があるのか?」
「こんなの人が住める場所ではないですよ」
高低差は激しく、獣道は険しい。人間にはここで生きていく力はないだろう。
しかし獣人である彼らなら、こんな環境でも問題はない。
彼らの文句を聞きながら賢者は進んでいく。
しばらく歩くと獣道の終点にたどり着いた。
「ふむ、ここで行き止まりか?」
「ま、迷ったのですか?」
「いいえ、ここで合っています」
目の前には屹立する岩の壁、そのそばに小岩が不自然に置かれている。
「ジークバルト、ナイフを持っていますか? 貸してください」
「……? ああ」
ナイフを受け取ったアルヴィオは自身の手のひらを斬りつける。
血で汚れた手を岩に擦り付けると、直後――まるで生き物のように目の前の岩壁が瓦解していった。
「な、なんですか!?」
「彼らはこうして自分たちの痕跡を消しているんです。目立たない為には隠れるのが一番ですからね」
「そうか……」
アルヴィオの怪我をすぐさまパウラが治療する。
剣聖にナイフを返すと、アルヴィオは彼に指示をした。
「ジークバルト、貴方は先頭を行ってください。結界を破ったことは既に知られている。彼らはとても警戒しているはずです」
「了解した」
岩壁が崩れ、出来た道は数メートル続くトンネルだった。
向こう側には出口があるようで光が見える。それをジークバルトは迷いなく進んでいく。
「だ、大丈夫なんですか?」
剣聖の背を追って進んでいく。しかし聖女は不安げに怯えているばかりだ。
「剣聖の強さ、貴女も知っているでしょう?」
「そ、そうですね……」
「無駄な心配というものです」
アルヴィオには今回の交渉が失敗する未来が見えなかった。
その過程でどんな被害が出るかは知れないが、最終的な目的は達成できる。そう確信しているから彼の足は止まらないのだ。
やがて先頭を歩くジークバルトはトンネルの外に出た。
続けてアルヴィオとパウラも陽の光を浴びる。
トンネルを抜けた先は、深い森の小道が続いていた。
そして木の上には侵入者を排除しに来た影が見える。
「アルヴィオ、いたぞ」
「ああ、あれが雷火の一族ですか……」
「どうする?」
「まずは様子を見ましょう」
樹上にいる彼らは獣人の一族――雷火のマグナルィヴだ。
かつて魔王の座を争った長の名がマグナルィヴ。彼らの代名詞ともなっている名で、亜人たちの間でも有名である。
「この場所に何用だ! 貴様ら、人間だな!?」
「なぜここに入ってこられる! 結界はどうした!?」
緊張に強張った声が投げかけられる。
矢継ぎ早に質問されて、アルヴィオは一歩前へ出た。
「貴方たちと争う気はない。話をしに来たんです」
彼の一言に侵入者を警戒している雷火たちは狼狽えた。
数は見えるだけでも十人はいる。地の利もある。襲われたらたまったものじゃない。
「ど、どうする……」
「馬鹿者が! あのような戯言を信じる奴があるか!」
「俺たちを騙して皆殺しにするつもりかもしれない」
「人間の言うことなど信じるに値しない!」
彼らの疑念は募っていくばかりだ。
しかしこんなことは想定内。アルヴィオは至極冷静だった。
「どどど、どうするんですかぁ」
「ジークバルトはパウラの傍に居てください」
「お前はどうする?」
「さて、どうしましょうかね」
アルヴィオはこちらを睨みつける獣人たちから目を離さない。
「それは彼ら次第だ」
剣聖は命令通りに聖女の傍に寄る。
彼女が連れて来た護衛もいるが、それだけでは守れないと彼は判断した。
剣の柄に手を掛けて、これから起こるであろう事態に備える。
「それで、どうしますか?」
静かにアルヴィオは問う。
彼の問いかけに、雷火たちは樹上から襲い掛かってきた。