75.首謀、動き出す
「亜人と交渉するだと!?」
荒々しく立ち上がった剣聖――ジークバルトは吠えた。
奥歯を噛みしめ、拳を握る。
「ジ、ジークバルトさん! お、落ち着いて!」
彼の隣にいた聖女パウラは慌てて止めようとするが、彼女の制止は意味をなさない。
賢者アルヴィオの執務室。散らかっている部屋の中。
床に積み上げられた魔法書を蹴り飛ばして、ジークバルトはアルヴィオに掴みかかった。
「あのような蛮族と交渉など……っ、正気か!?」
「ええ、私は正気ですよ」
怒り心頭の様子に、それでも賢者は冷静に見つめ返す。
「亜人たちは魔王亡き今、次代の魔王の座を狙って争っている。彼らの抵抗が激しいのはそれが要因で士気が上がっている証拠です。方々の戦場でも我々は苦戦を強いられている。貴方がそれを知らない訳はないでしょう?」
「ぐっ、……確かに、そうではあるが」
「そんな中、次代の魔王を目指す一族の長を殺すとなると、こちらの被害も甚大になることは容易に想像がつく。それでも確実に倒せる保証もない。そこで漁夫の利を狙おうということです」
「つ、つまり……何をしようと?」
「勇者は魔王の縁者と共に居る。そこに亜人の彼らをぶつける。疲弊しきったところで一網打尽。どうです?」
にやりと笑って、アルヴィオは計略を披露する。
剣聖はそれを聞いて彼から手を離した。
「それ、いいですね!」
パウラは呑気にアルヴィオの策に賛成した。扱いやすいのが彼女の利点でもある。ここで渋るのは剣聖だけであるとアルヴィオは見抜いていた。
「ジークバルト、貴方も良いですね?」
「……っ、仕方あるまい」
ソファにどっかりと腰を下ろして、ジークバルトは嘆息した。
渋々と言った様子だったが納得はしてくれたようだ。
「それで、どこの誰と交渉するつもりだ?」
「雷火の大狼――マグナルィヴ」
その名を口にすると、二人は瞠目した。
「マグナ、ルィヴ?」
「初めて聞く」
「それはそうでしょう。彼らは普段表には出ない」
この千年間、魔王の座を奪えなかった彼らは、魔王ガルデオニアスが消えるまでこの時を虎視眈々と狙っていたのだ。
人間に滅ぼされるようなヘマはしない。姿を隠し、機を狙っていた。
ジークバルトは亜人を軽視しているが、それほど易しい相手ではないのだ。
「……強いのか?」
「ええ、とっても。ジークバルト、貴方では彼らには勝てないでしょうね」
「……っ、なんだと!? ふ、ふははっ! それほどの強者ということか! 腕が鳴る!」
「誰であっても怖気づかない。貴方のそういうところ、好きですよ」
話がひと段落したところで、アルヴィオはこれからの計画を彼らに語る。
「交渉には私が行きます。しかし念のため、貴方たちにも着いてきてもらう」
「交渉決裂と判断したら、皆殺しか?」
「ま、またそんな物騒なことを!」
「そうですねぇ……場合によってはそれもあり得るでしょう」
アルヴィオはジークバルトの問いに即決しなかった。
おそらく何か策があるのだ。それを察した剣聖は話題を変える。
「しかし、そいつらの居場所は分かっているのか?」
「でなければこんな話はしません。……彼らの住処は南西の大森林。その奥地です」
「ふむ、では早速支度をしよう」
膝を叩いてジークバルトは立ち上がると、笑みを浮かべて部屋から出ていった。
その後姿を心配そうに見つめている聖女にアルヴィオは声を掛ける。
「パウラ、貴女は何人か護衛を連れていきなさい。もしもの場合、貴女を守れる保証はないのでね」
「は、はい!」
聖女の洗脳を使えば、いざという時は彼女の身を守るくらいは出来る。
最も強い支配を受けた者は、彼女の命令には絶対順守。従順な手駒になる。それこそ自らの身命など捨ててしまうほどだ。
そして彼女に心酔している者は、周りには沢山いる。
一人になった室内でアルヴィオは微笑を浮かべる。
彼にはこの先の景色が鮮明に見えていた。