73.賢者、暗躍する
魔王城からグリフの背に揺られて、ホーミィは王都へと戻ってきた。
彼らからの注文を沢山承ったのだ。それの仕入れと、報告にホーミィは王都を駆ける。
「驚いたなあ。まさか魔王城に暮らしているなんて。あの人が知ったら驚くぞ。この情報、いくらで売れるかねぇ」
イヒヒ、と笑ってホーミィは王都にある屋敷に足を運ぶ。
ここは宮廷魔術師として名高い、あの賢者の邸宅兼研究所でもある。
「おや、先客が居たか」
ホーミィが邸宅に入ると、ちょうど用事が終わったのか。ひとりの女性が立ち去るところだった。
彼はその女の顔には見覚えがあった。
ある傭兵団のリーダーを務めている。確か名前は――
「灰の顎門のローゼン、だったか?」
「何だ、俺のことを知っているのか?」
栗色の短髪に翡翠の瞳。男勝りな口調の彼女は鋭い目つきでホーミィを見つめた。
もう少し女らしくすれば男受けも良いだろうに、彼女はそんなことには興味がないらしい。それもそうだ。灰の顎門のローゼンと言えば、男よりも腕が立つ傭兵団のリーダーとして有名どころなのだから。
それにホーミィは柔和な笑みを浮かべて頷く。
「最近は特に活躍が目覚ましいと話題だからね」
「ははっ、昔ほどではない。それで? 一介の商人がこんな場所に何用だ?」
「そりゃ、賢者様にご用事だよ。いーい情報仕入れて来たんだ。あの勇者の――」
「勇者だと!?」
その一言でローゼンは目を輝かせた。
ホーミィの襟首を掴むとすごい勢いで詰め寄ってくる。
「本当にあの勇者……っ、勇者ヘイロンなんだな!?」
「そっ、そうそう……聞きたい?」
「もちろんだ!」
「それじゃあ、情報料をいくらか欲しいな。金貨五枚だ」
「はっ、いいだろう。持っていけ!」
彼女は懐から取り出した金貨をホーミィに投げて寄越した。
やけに羽振りがいいのは、それほど彼女にとって知りたい情報であるということだ。
そしてそれは、彼も同じだった。
「それ、私にも教えてもらえますか」
聞こえた声に振り向くと、そこには噂の賢者――アルヴィオが立っていた。
彼は魔法書を片手に、被ったフードのバイザーの奥から二人を見つめる。
「もちろんだ。金を払ってくれるならね」
「ええ、もちろんです。これでどうですか?」
「どれどれ……」
渡された袋の中には金貨十枚。こんなにもらえると思っていなかったホーミィは驚き、瞠目してアルヴィオの顔を見た。
「大金を叩いたんだ。洗いざらい話してもらいますよ」
「もちろんだ! 俺が知っていることはすべて話させてもらう」
アルヴィオはホーミィとローゼンを一室に招いた。
彼の執務室である部屋は、魔法書の山で埋まっている。足の踏み場もないそこで、ランタンに魔法で光を灯す。
明るくなっても散らかっている部屋で座る場所を探して、そこでやっと話が始まった。
「彼、どこにいました?」
「ははっ、聞いて驚かないでくれよ。魔王城だ」
「……っ、魔王城だって!?」
ホーミィの報告に驚いたのはローゼンだけだった。
アルヴィオは表情一つ変えないで、黙ったまま。
「もしかして予想してたとか?」
「少しは、そうですね……でもあそこに潜伏するというのは、あの人らしい。面白いことをする」
どういうわけか。彼は笑っている。
下らない悪戯に仕方ないなと呆れているようにも見えた。
「亜人の子供はいましたか?」
「亜人かは分からないが子供はいたな。他にはグリフォンが一頭に、あとは……獣人とでかいトカゲ――竜人って言ってたか? それと、女二人……片方は白髪に赤い目。もう一人は透明みたいな髪してて、綺麗な人だったよ」
「……師匠」
アルヴィオは少しだけ表情を陰らせた。
けれどそれもすぐに消えてしまう。
「もしかしたら他にもいたかもしれないが、俺が見たのはそれくらいか」
「わかりました」
ホーミィの話を聞いて、アルヴィオは腕を組んで思案する。
彼が何を考えているのか。それはここにいる二人には知れない。
やがてアルヴィオはぽつりと呟いた。
「彼の傍に誰かいるなら厄介だ。それにあの人もいる。まったく……こんなことをして、何を考えているのやら」
「魔王城と言ってもボロ城だ。城の守りだって機能していないし、何かをするなら今の内だと思うよ。まあ、俺はそこについては詮索しないけどな」
「……あなたは出て行ってもらっても結構です」
俯き、思案したままアルヴィオはホーミィを追い出した。
それに文句の一つも言わずに彼は去る。金はたっぷり貰ったし充分だと判断した為だ。
「勇者さんには悪いが、俺は金になるならなんでもやる。恨まんでくれよ」
賢者の邸宅を出て、商人は夜も更けた王都の街に繰り出していった。
===
ホーミィが出て言ったあと、アルヴィオは対面しているローゼンの顔を見た。
彼女は険しい顔をして、同じく何かを考え込んでいる。
「ローゼン、先ほどの話ですが」
「俺からもアンタに話がある」
真剣な目をして、ローゼンはアルヴィオに迫る。
「先の亜人との抗争の件、白紙に戻させてもらう」
「理由を聞いても?」
「今の灰の顎門は、俺のモノじゃない。本当なら俺がリーダーなんて務めて良いものじゃないんだ。本当なら、あの人に……」
憂いを帯びた瞳は、瞬間に鋭い目つきへと変わった。
「アンタのやったことは到底許せるものじゃない。今でも恨んでいる。でも、あの人はそうなっても俺たちの元へは戻ってこなかった」
「……そうですね」
「だから、本人の口から理由を聞きたい。それで、戻ってくるよう説得したい。もし腑抜けたことを言うようだったら、その時はどんなことをしても連れ戻す」
彼女は真に迫った様子で決意を語る。
アルヴィオはそれに頷いて手綱を放した。
「好きにしてください。私はそれに看過しない……今はね」
「分かった。そうさせてもらう」
ローゼンは立ち上がるとアルヴィオの前から去っていった。
彼はその後姿を見送って、苦笑を浮かべる。
「彼女だけでは役不足だ。こちらでも手回ししておきましょうか」
愉しそうに笑って、アルヴィオは部屋の中を歩き回る。
「雷火がいいかな。カードは揃ってる、話くらいは聞いてくれるでしょう」
彼が何を企てているのか。それは本人にしか知れない。
月光の下、悪魔は厭らしく笑みを深めた。