71.守銭奴、来訪する
叫び声を聞いて、城の裏手に行っていたヘイロンはニアを抱きかかえると駆け足で城の正面へと向かった。
そこには、まるで玩具で遊ぶように何かを脚で振り回すグリフがいた。
彼は上機嫌で夕陽の中を飛び回っている。
「おいおい、なんだよあれは」
「……だれ?」
「うーん、見たことないやつだな」
呑気に観察している二人に、その男は青い顔をしながら必死に叫ぶ。
「たっ、たすけてくれ! 後生だからァ!」
遠目から見たところ、あの男は人間のようだ。
しかしなぜこんな場所にいるのか。グリフが攫ってきたってことは、少なくともここ魔王城の近辺には居たことになる。
「しかたねえな……おい、グリフ。放してやれ」
「いやだよぉ!」
「いやだぁ?」
「いうこときかないね」
どういうわけか。グリフはヘイロンの言葉に従わなかった。
命令よりも今はあの玩具で遊ぶのが楽しいらしい。
どうしたもんかと思案していると、二人の背後からモルガナが現れた。
「グリフ、放しなさい」
彼女は一言命じる。
するとグリフは、脚で掴んでいた男をパッと、空中で放した。
「うっ、うおおおおおおおお!! しぬしぬしぬゥ!!」
空中で慌てる男だが、彼が何をしても地面に激突する未来は変えられない。
恐怖でぎゅっと目を瞑った――が、彼は死なずに済んだ。それは誰かが落ちてくる男を支えてくれたからだ。
「うっ、ぐうおおおおおぅ!!」
男が目を開けると、そこは獣人の腕の中だった。
どうやら彼が受け止めてくれたらしい。
「こ、腰……腰がァ!」
「ちょっと、大丈夫? 痛みが引いてるからって無理するから」
ムァサドを心配してイェイラが彼の傍に寄る。
彼らをみて驚いたが、今の男にはそんなことを気にしている余裕はなかった。
「す、すまない……吐きそう」
「えっ!」
「な、なんだと……我慢しろ!」
「無理だぁ……うっ」
男は我慢できずにムァサドの腕の中で吐いた。
ゲロにまみれたムァサドは声にならない叫びをあげる。腰も痛いしゲロにまみれるし、踏んだり蹴ったりだ。
しかしこの男を責めるにはかわいそうでもある。あれだけ空中で振り回されては、吐いてしまうのも致し方ない。
「と、とにかく……降りてもらえないか」
「うぐっ、……す、すまない。ありがとう」
口元を拭って男は地面に立った。
まだ眩暈はするが、体調はそれほど悪くはない。怪我もしてないし、助けてくれた獣人に感謝だ。
「あなた、とりあえずお風呂に入ってきなさい。腰の方は大丈夫よね?」
「むぅ……なんとか。そうさせてもらうよ」
しょんぼりと肩を落としてムァサドは城の中に戻っていった。
未だ状況を掴めない男は、気分の悪さをかき消すように周りを見渡す。
目の前には古城、勝手に動き回る石像。周囲には幾人かの人が見える。
先ほど助けてくれたのは獣人だった。ということは、彼は亜人で……きっと他にもいるのだろう。
けれどその中に人間も見える。
人がいるならそうそう邪険にはされないはずだ。
「おい、お前」
声を掛けられ、目を向けるとそこには子供を抱えた男が居た。
怪訝そうな眼差しをする彼に、迷い込んできた男は居住まいを正す。
「ホーミィだ。こんなナリだが商人をやっている」
男――ホーミィの言葉にヘイロンは彼の恰好を凝視する。
彼は商人という割には身軽だった。大荷物も背嚢も持っていない。身に着けているものと言えば、見えるだけでは耳当てのついている防寒の帽子と身体をすっぽりと覆う茶色の外套。
「その恰好で商人だって?」
「ま、まあ……疑う気持ちも分かるよ」
ヘイロンの指摘に彼は頷いて、外套の留め金を外す。
「実はこの外套少し特殊でね。内側に何でも入ってしまうんだ。だからデカイ荷物を持つ必要はないってわけ」
そう言ってホーミィは外套の内に手を突っ込んで、そこから剣を取り出した。
鞘に入ったそれは、到底外套に収まるものではない。
「これは俺の護身用の剣だから売り物じゃないけど……」
彼は次々と商品を出していく。
清潔な布に暖かそうな毛布、解れていない衣服に食料や酒。
「へぇ、珍しいものを持ってる」
「俺の一張羅で仕事道具だ。こいつは非売品だよ」
モルガナの呟きにホーミィは笑って答える。
確かにこれがあれば便利なんてもんじゃない。どんなものでも運び放題だ。
「でもこれ、一つだけ欠点があってね。重量だけは軽減できないんだ。だから――」
彼は外套を脱いでそれを地面に放った。
普通なら風に吹かれて舞うものだが、それは重力に従って重い音を立てて地面に落ちる。
「かなーり重い。だから何でもかんでも運べるってわけではない」
「ふぅん、面白いな」
この男が商人、というのはどうにも本当らしい。
けれど、どうしてこんな場所にいるのか。それが一番の疑問点だ。
「でもどうしてこんな場所に来たんだ? ここがどんな場所か、知っていて来るなんて相当おかしいぜ?」
「……あなたに言われたくはないでしょうね」
ヘイロンの台詞を聞いてイェイラが薄ら笑いを浮かべる。
けれど彼の質問に対して、ホーミィは呆けた顔をしていた。
「いやあ、それがその……俺もここがどんな場所か、分かっていなくてなあ」
「はぁ?」
「意味が分からない」
「はははっ、けったいだねぇ」
呆ける者、眉を寄せる者、笑い飛ばす者。
三者三様な態度を見て、男は苦笑する。
「まよったの?」
「おお、お嬢ちゃん。それは半分正解だよ」
「半分?」
怪訝がるヘイロンに、ホーミィはごほんと咳ばらいをした。
「俺は数日前にカイグラードの王都にいたんだ。そこの武器屋の主人がなにやら騒いでいてね。なんでもミスリル鋼が手に入ったっていうじゃないか」
彼の証言に、ヘイロンは心当たりがありまくりだった。
なんせそれを売り払ったのは自分なのだから。
「持ち込んできたのは、一人の男。俺はそれに金の匂いを感じた。上手くすればミスリル鋼の売買を独占できるかもしれないってね」
「商魂たくましいねぇ」
「その日に駆けずり回って情報を集めると、その男はグリフォンに乗って去っていったってところまで掴んだ。つまり、俺はアンタを探してたってわけだ!」
ビシッ――と、ヘイロンを指差してホーミィは得意げに笑った。