67.魔女、忠告する
「なにこれェ!?」
狩りから戻ってきたイェイラは驚きに叫んだ。
魔王城のエントランスに入ると、ガチャガチャと空の甲冑が動いているのだ。しかも剣や盾ではなく、箒を持って。
さっさと床を掃く彼らはイェイラが叫んでも何の反応も示さない。
少しずつ綺麗になっていく城内に、イェイラは瞠目しつつこの現象について考えた。
きっとこれはモルガナの言っていたゴーレムという奴だろう。
イェイラの予想していたゴーレムとかなり風貌は違うが、こうして城の掃除に精を出している。
とても有り難いが、薄暗い古城に独りでに動く鎧。傍から見たら恐ろしい現象にも見える。
「なんだ、そういうことね……」
ほっと胸を撫で下ろして、イェイラは炊事場へと向かった。
ハイドが頑張ってくれたおかげで狩りの成果は上々だ。シカが二頭にウサギが四羽。ヤマドリが六羽。
これだけあればしばらくは食うに困らない。
「……なにこれぇ」
炊事場に入って、イェイラは呆然とする。
室内の一角が魔女の工房になっていたからだ。大釜が煮えて、赤色の煙が立ち昇っている。しかも変な匂いもする。
「おつかれさま。すごい成果だね」
ボロのテーブルにはモルガナがいた。
彼女は紙の束を抱えて、そこに炭で何かを書き殴っている。
「ご、ごはん……作りたいんだけど」
「ああ、そうか。ここ炊事場だったね」
テーブルの上をさっと片づけて、すまないとモルガナは謝った。
「獣人の彼に薬を作っていたんだ」
「ムァサド、怪我でもしたの?」
「なんだったかな……張り切りすぎた、とか言っていたか」
数時間前、イェイラはムァサドと狩りに出た。
競うつもりはなかったが彼を焚き付けてしまったのは事実。悪いことをしたな、と反省していると――
「それ、手伝おうか? 一人でやるには苦労する」
「え? ええ、お願いしようかしら」
大漁なのは有り難いが、獲物の処理に困っていたところだ。
この量では下処理で一日終わってしまう。
モルガナの申し出をイェイラは受け入れた。
獲物の皮を剥いで、脂をこそぎ取る。
血抜きはすでに済ませてあるから、骨から肉を剥いで筋を取って――慣れた手つきで作業しながら、イェイラはモルガナに尋ねた。
「あの、……聞いてもいい?」
「なにかな?」
「ハイロのこと」
モルガナは彼の師匠である。となれば、彼に一番詳しい。
「あの人のこと、まだよくわからなくて」
「それは、良いやつか悪いやつかってことかい?」
単刀直入に、モルガナは聞き返す。
イェイラはそれに頷いた。
「それは君の中の定義にもよる」
ナイフの刃を振って、彼女は諭すように語り掛けた。
「例えば……君の中で良い人っていうのはどんな奴だ? 他人を助ける人? 善い行いをする人?」
「……それは」
「でもそういう奴は決まって人を殺さないだろ? だったら彼は良い人ではないね」
断言したモルガナは笑って言う。
「誰かを殺すことに彼は罪悪感を抱かない。殺すと決めたら殺す。自分の邪魔をする奴には容赦がない。私の弟子は、そういう奴だよ」
モルガナの知るヘイロンは元々がそういう奴だった。
彼女が出会った時から、そうで……きっと今でもそうであるのだろう。多少の疑念は抱いているが、人間はそう簡単には変われない。
「人殺しをするのが悪いやつなら、私もそう。だから、同じ穴の狢ってやつね」
自虐的ともとれる物言いで、イェイラは微かに笑む。
それを言うならモルガナだってそれに当てはまる。しかしヘイロンの本質はそんなに生易しいものではない。
もっと醜悪なもので出来ている。それを知っているのは、ここではモルガナただ一人だけだ。
「私からも一つ聞きたいんだけど、いいかな?」
「なに?」
「彼、どうしてこんな場所に住もうと思ったのか。何か聞いてる?」
些細な質問に、イェイラは眉を寄せた。
もっと大掛かりなことを聞かれると思ったからだ。
「うーん……」
ヘイロンはイェイラが出会った時から、魔王城に住むなんて馬鹿げたことを言っていた。
その前のことは何も知らないから確たることは言えない。
「あ、でも隠居生活がどうとか言っていたわね」
「隠居? それにはまだ早いだろうに」
「静かに暮らしたいんじゃない? どうしてなのか分からないけど」
モルガナはそれを聞いて、弟子の意図を考える。
平穏に暮らしたい、なんてどう考えても彼には不釣り合いな願いだ。
「本人に直接聞いたら? その方が早そう」
「ま、いずれね」
果たしてモルガナが聞いて、ヘイロンは答えてくれるのか。
彼について。この五年間、何をしていたのか。モルガナも詳しくは聞いていない。
特にアルヴィオと別れてからの約四年……聞かなければいけないことはまだまだ沢山ありそうだ。
「それはそうと、ずっと聞こうと思ってたことがあるんだ」
「私に?」
「そうだ。君の影について。あまり良いものじゃないね、それ」
率直に尋ねて、モルガナはイェイラの顔を見た。
彼女は笑みを消して、強張った表情をする。それを見据えて続ける。
「影者のことは私も少しは齧っている。心の分離なんて珍しい能力だ。でも、そんな風に歪に変化するものじゃない」
ハイドの姿は異質なものだ。
それをモルガナは見抜いていた。きっとヘイロンも同じことを思ったに違いない。
「君がこれから先、幸せだと思う時が来たら必ずそれが邪魔になる」
「ど、どういうこと?」
「それは君にとって目を背けたくなるような心の一部なんだろう? だからそうして切り離している。不幸の塊そのものだ」
容赦のない指摘にイェイラは言葉に詰まる。彼女の言う通りだからだ。
ハイドはイェイラの心の内にある負の部分でもある。過去に感じた絶望や怒り、憎悪。それらを一身に受けて形作られた存在。
不幸の塊――言い得て妙だが、その通りだ。
「それを乗り越えるならいいけれど、蓋をして隠すなら必ず君の障害となるだろう」
「で、でも……ハイドは私の」
「大事なものなんだろう? 何も今すぐにってわけじゃない。でも、覚悟はしておいた方がいいよ」
「覚悟……」
モルガナははっきりとは明言しなかった。
けれどイェイラには彼女が何を言いたいのか分かってしまった。
いずれハイドを棄てなければいけない時が来るということだ。
そんなことはしたくない。けれど、今のままではいけないことは、イェイラも薄々感じている。
救うか、殺すか。
手中にあるのはその二択だ。