59.剣聖、雪辱を晴らす
戦闘シーンはやっぱ苦手です……
ヘイロンは王都を駆けていた。
背後からは血眼になってヘイロンを追いかける王都民。聖女の洗脳のせいで、彼らはここ王都にいる限りはどこにいてもヘイロンを追ってくる。
「あー、面倒だ!」
ケーキの箱を大事に抱えて、ヘイロンは建物の間に滑り込む。
けれど、どうやっても彼らを巻くことは出来ない。まるで血に飢えた猟犬の如く迫ってくる。
しかしヘイロンも無策で逃げ回っているわけではない。
「すこし黙ってろ、よっ!」
狭まった路地の入口。
走りながら、踏みしめた地面に重力魔法を使用する。
限りなく威力を弱めた、罠のような使い方だ。
突然の重力負荷によって走っていた足は上手く動かず、先頭にいた数人は地面に転んでしまう。
それを尻目に、ヘイロンは路地の反対側から大通りに出ていく。
聖女の支配――洗脳には弱点がある。
確かに彼女の能力は強い。環境が整っていればいくらでも意のままに動く兵隊が作れる。しかし、効果範囲が広ければそのぶん効力も落ちる。
今回は王都すべての国民が対象だ。
ゆえに彼らに掛かった支配の効力は微々たるもの。わずかな衝撃を受ければ簡単に洗脳は解けてしまう。
例えば、何かに躓いて転んだ衝撃で洗脳が解ける、なんてこともあるわけだ。
「と言っても、こんなに追われてりゃあ、焼け石に水だな、っと!」
群衆の死角から飛んできた矢を、前腕を盾にして防ぐ。刺さった矢を抜いて魔法で傷を治す。
どんなに追手が多くても掴まりさえしなければいい。ひとりひとりの攻撃などではヘイロンを殺すことは叶わない。
けれど、懸念事項が一つ。
聖女の支配は洗脳の他にもう一つ能力がある。
それが、身体強化――こうして疲れ知らずで追ってこられるのも、それがあってのことだ。
もしこれが、ヘイロンを殺せるような強者に使用されたら……逃げおおせるのは至難の業だ。
「あっ――いましたよ!」
大通りを駆けていると、どこからか叫び声が聞こえてきた。
顔を上げると、近場の建物の二階の窓。そこから聖女パウラが身を乗り出している。
「あんのヤロウ! いつかぜってぇ泣かす!」
ヘイロンのイライラはマックスだった。
王都での用事はすべて完了した。これ以上ここにいる必要も、奴らの相手をする意味もない。
今回は逃げに徹するしかないが、いつかまた会った時はタダじゃおかない。それを心に決めて、ヘイロンは走り去ろうとした――
「ジークバルトさぁん! あそこです!!」
嫌な名前を聞いた、と思った瞬間。
ヘイロンの行く手を塞ぐように、頭上から鬼神が降ってきた。
「――っ、ジーク……」
突然の剣聖の介入に、ヘイロンは顔を顰める。
目の前には鬼、背後からは群衆。退路は断たれている。この状況、どう考えても詰みだ。
「こりゃあ、ちょっと厳しいかもなあ」
ヘイロンが心配しているのは抱えているケーキの箱である。
流石にこれを守りながらあの剣聖の相手は出来ない。しかし、これを持ち帰らなければニアが困る。
とはいえ、目の前の剣聖がヘイロンを素直に逃がしてくれるとは思えない。
「はぁ……フェイには後で頭下げるしかねえか」
帰ったら土下座して謝ろう。
そう決めたヘイロンは抱えていたケーキの箱を投げ捨てた。
――と、同時に背後に重力魔法の結界を張る。民衆に邪魔をさせないためだ。
「ふ、ふははっ……また会えるとは、なんたる僥倖! 今度は易々と逃げられると思うな」
声高に吠えたジークバルトは、剣先をヘイロンに向ける。
「一応聞くけど……そこ、通してくれよ。急いでるんだ」
「笑止! 貴様はここで死ぬ定め。死者を通す道などない!」
「あっそう、じゃあもう頼まねえよ。力づくで通らせてもらう」
ヘイロンは両手の拳を握りしめる。それはあっという間に手中に炎を生み出した。
けれどただの熱を、炎を生み出すだけのものではない。
――前回、ジークバルトとの戦闘で使われた魔法阻害の道具。あれを使われては生身のヘイロンでは、剣聖には勝てない。
だったら使わせなければいい。
そんなことは可能なのか?
魔法に秀でた人物が自らの魔力から魔法を発動させるなら、発動を防ぐことは不可能だ。けれど、ジークバルトはあのような高度な魔法は使えない。だからこそ道具に頼った。
魔法効果を道具に落とし込むには何かしらの制約が必要だ。効果を限定したり、範囲を絞ったり。通常の魔法行使よりもそれは弱いものになる。
ヘイロンの予想通り、あの時の魔法阻害は限定的な効果しかもたらさなかった。
つまり、あれはヘイロンの使用する魔法だけを阻害していたのだ。対象者の限定……その制約をすることで、誰でも使える代物になっている。
ジークバルトの能力である血陣生成も魔法の一種だ。
あの場では彼の魔法は効力を失ってなかった。だからヘイロンは対象を限定するものであると目星を付けられた。
そういったものは、魔法の発動に条件がある。簡単なもので言うと、対象とする個人の情報を刷り込むこと。
あの場ではおそらくヘイロンの血液を使ったのだろう。
それに加えて、血液はジークバルトの武器にもなる。
だから、彼の前で手傷を負うことは避けなければならない。
ならばどうするか?
――〈燠来炎躯〉
簡単なことだ。血を流さなければいい。
ヘイロンが生み出した炎は燃え盛ることはなく手中に消えて行った。
けれどこれは消えたわけではない。体内に鎮めて細胞を焼き尽くすもの。炭化した手の末端は燠のように熱く、強度は生身よりもある。
それを復元と交互に繰り返す。
身体を焼く痛みは消えてくれないし、あまりやりたくない手段であるがここまでしなければ剣聖ジークバルトの相手は出来ない。
「いくぜ!」
剣を構えたジークバルトにヘイロンは肉薄する。
両手の異変に素早く気づいた剣聖は、息を飲んで口元を歪めた。
「貴様、そこまでするかッ!?」
「ここまでしねえと、勝てねえからな!」
絶え間なく襲う痛みを顔に出さずにヘイロンは吠えた。
剣聖相手の対策はこれが最善である。
ジークバルトは自他の血で強化される。あの血赤の鎧を纏われては奴に傷の一つすら与えることは出来ない。
ゆえにこのような荒業に出たのだ。
しかし、肉薄したとしても相手はあの剣聖である。
そう易々とダメージは与えられない。ヘイロンの拳はすべて剣撃によって防がれてしまう。
しかし決め手に欠けるのは相手も同じ。剣の切れ味ではヘイロンの腕を切断するまでには至らない。
「それは私とて同じだ! あの時の雪辱、ここで晴らさせてもらう!」
叫んだジークバルトは、ヘイロンから距離を取ると自らの左腕を斬りつけた。
流れ出た血は彼の白い衣装を赤に染めていく。
それと同時に、身体に纏われていく血赤の鎧。
彼は左腕を捨てる代わりに、能力で自らを強化した。しかしあの血の量では身体すべてを覆うことは出来ない。
形成されるのは右半身の不完全な状態だ。そして、それを待ってやれるほどヘイロンもお人好しではない。
「させるかよ!」
すかさず攻撃に転じる。
しかし、そこにまたも横やりが入ってきた。
「うお――っ」
何かがヘイロンの足を掴んだ。
振り返れば、洗脳された民衆の一人が手を伸ばして足止めをしたのだ。
ヘイロンの背後は重力魔法で足止めをしていたはず。
目を向けると、そこには人の山が出来ていた。洗脳が解けた群衆が山となり重なっている。あんなに人が溜まっていれば魔法の効力も落ちてしまう。
あれではもう足止めの意味をなさない。
「クソッ、次から次へと」
這いずって足を掴んでいた男の顔を蹴り上げて、ヘイロンはジークバルトへと向かって行く。
こいつらの相手なんてしていられない。一気に殴りぬいて、さっさとここから逃げ出す!
しかしそれはあと一歩遅かった。
「血陣生成――血斬赤花」
ジークバルトの握る剣が、赤く染まっていた。
彼の血で染めたそれの切れ味はヘイロンも良く知っている。それこそなんでも真っ二つに斬り裂いてしまうのだ。
振り上げた剣からは赤いもやが立ち上っている。血の飛沫。あれを全力で振りぬいたならば、かなりの衝撃を生み出すだろう。
それこそ、ヘイロンの背後にいる国民たちも無事では済むまい。
「はっ、大量虐殺でもするつもりか?」
「貴様が避けなければあれらも死ぬことはない。しっかりと考えて選択することだな」
ニヤリと剣聖は笑みを深めた。
彼らにとってはここで国民が死のうがどうだっていいのだ。そこに善悪は関係ない。悪者ならば聖女の一声で簡単に作り上げられる。
「クソ共が」
「悪を討てるのならば些細な犠牲だ」
真っ向から受け止めてはこちらの命が取られかねない。
しかし、剣聖の攻撃を防ぐ手段をヘイロンは持ち合わせていない。魔法で物理的に防いでもあの剣の前では無意味。
つまり、ヘイロンが避けても避けなくても、背後の彼らは犠牲になる可能性が高い。
人質としては弱いが……あの群衆の中には子供だっている。
「死ぬがいい」
考える暇も与えず、ジークバルトは剣を振り下ろす。
その一瞬――彼の背後に見覚えのある人影が見えた。