57.聖女、交渉する
誤字修正しました。
ケーキの行方は、僅差でヘイロンよりも彼女の方が早かった。
「あら、聖女様。今日も買いに来てくれたんですか?」
「ええ、ここのケーキすごく美味しいですから!」
「せっかくですから、サービスして差し上げますよ。ちょうど三つあるのでお仲間の皆様と、どうぞ召し上がってくださいな」
「えっ! よろしいのですか!? ありがとうございます」
彼女はとても嬉しそうに笑顔を振りまいて、ケーキの入った箱を受け取る。
直後、隣の気配に気づいてはっとした。
「あ、すみません。あなたもこれを……」
聖女がヘイロンの顔を見た。
すると、瞬く間にその表情は凍り付く。
「よお、パウラ」
「あ……え?」
「元気そうで安心したよ。もちろん俺も元気でやってるぜ?」
「な、なぜあなたがここに……っ、だって」
動揺している聖女の腕をヘイロンは掴んだ。
ここで逃げ出されてはケーキも一緒に逃げてしまう。それだけはなんとしてでも阻止しなければ。
この際、元仲間である聖女パウラのことはどうでもいい。
とはいえ、ヘイロンも気になっていることがある。情報を得るためにここは利口にいこう。
「あー、そうだな。積もる話もあるし、ここでお茶でもしてくか。付き合えよ」
「ううぅ……わ、分かりましたから。手を離してください」
「そういやお前、触られるの苦手だったな。……逃げるなよ?」
「に、にげませんよ」
おどおどと挙動不審なパウラは、ヘイロンが手を離すとほっとした表情を浮かべた。
この聖女様、誰に対しても優しくニコニコ笑ってはいるが、本人は極度の対人恐怖症を患っている。
聖女や治療師として誰かと話すときはその人の前で仮面を被るのだ。国民はそれをパウラの本性として捉えているが、本来はそんな奴じゃない。
彼女の素を知っているのは、賢者と剣聖、あと元仲間であるヘイロンくらいだ。
洋菓子店の窓際の席に着いて、お茶を頼む。
待ち時間のあいだ、ヘイロンが問う前にパウラが先に口火を切った。
「な、なぜあなたがここにいるのですか?」
「……ケーキ買いに来たんだよ」
「え?」
「だからぁ、ケーキ!」
「こ、これですか?」
「ああそうだよ! お前のせいで買えなかったけどな!」
「そっ、そんなに怒らないでくださいぃ」
「それが手に入らなかったら俺はお前を末代まで呪うぜ」
「ケーキだけで呪われるんですか!?」
ヘイロンの脅し文句に、パウラは目を見開く。
それから先ほど買ったケーキの入った箱をみて、一度頷いた。
「そ、そんなに食べたいなら一つ差し上げますよ? ジークバルトさんは甘いもの、嫌いですから」
「それ一つっきりあっても意味ねえんだよ!」
「一個だけじゃ足りないってことですかぁ!?」
ヘイロンが声を荒げるとパウラもますます挙動不審になってビクビクする。
けれど彼女の態度を見ているとこうもなろう。なぜだか分からないが無性にイラつくのだ。
しかし決して手はあげない。それをしてしまったら男として失格だ。
かわりに語尾を強めて半ば脅し文句とも捉えられる怒声を浴びせる。
「はぁー、お前と話してると疲れるよ」
「ご、ごめんなさい……で、でもあなたが無事で良かったです」
「はぁ? 誰のせいでこんなことになったと思ってんだ? 頭大丈夫か?」
語気を強めて、ヘイロンは聖女に食ってかかった。
けれど彼女は呆けた顔をしている。どうしてそんなことを言われているのか分かっていないようだ。
「あれについては、勇者に咎があると満場一致で決まったじゃないですか。聖剣を所持出来るのは勇者であるあなただけ。私たちにはそれが本物であるか偽物であるか、確かめる術もないですから」
ペラペラと、実に饒舌にパウラは話し出す。
彼女の言い訳はヘイロンも一度聞いている。思い出したくもない悪夢である。
「それともあなた一人の咎を私たちも一緒になって背負えば満足でしたか? そんなこと国王様は望んでおられません。そもそも、勇者という肩書は魔王亡き今、必要ないのです。ですから、不要なものを切り捨てただけですよ」
最後に、パウラはバッサリと切り捨てた。
――不要なものを切り捨てただけ。
その言葉一つで、彼らがヘイロンをどう見ていたか。分かってしまった。
どんなに強くても、彼らは人間だったのだ。そこに紛れて人間のふりをしていたのはヘイロンだ。だから見破られて切り捨てられても、文句を言う資格もない。
「何か間違ったこと、言ってましたか?」
まっすぐに聖女はヘイロンの目を見て言った。
いつもの挙動不審とは打って変わって、澄んだ瞳で語り掛けてくる。
自分たちは何も間違ったことはしていない。悪いのはお前ひとりだ。言外に、そう言っている。
「俺がお前らと他人の関係だったら、間違いなんて何もないんだろうな」
それを理解した途端、心の奥底が急激に冷めていくのが分かった。
「……やっぱりフェイの言った通りだ。腑抜けてやがる」
余計な情を掛けるからこんな気持ちになる。傷つけられたと感じる。裏切られたと憎悪する。
だったらどうすればいいか。そんなものは、随分昔に学んだはずだ。
きっと今のヘイロンを見たら、彼の師匠であるモルガナは酷く落胆するだろう。
こんなのは喜ぶべき変化ではない。目も当てられない程に醜悪な痴態そのものである。
「あ、あの!」
険しい顔をして黙り込んでいると、ふいにパウラが声を掛けてきた。
それに顔を上げると、彼女はケーキの入った箱をヘイロンに渡す。
「……何のつもりだ?」
「これがないと困るのでしょう? 差し上げます。お代は結構ですよ」
「はあ?」
突然の変わり身にヘイロンは警戒する。
先ほどまで冷徹なことを躊躇なく言ってのけた女とは思えない。
睨みつけるような眼差しに、パウラは苦笑を零す。
「その代わり、私の話を聞いて欲しいのです」
「……はなし?」
「はい。二人とはもう話はつけてあるのですが……ヘイロンさんは今、亜人と共に居るのですよね? ジークバルトさんから聞きました」
「それが?」
パウラの話にヘイロンは意味が分からずにいた。
それを確認して何をするつもりなのか。お前の行動はお見通しだとでも言いたいのか?
勘繰っていると、彼女は耳を疑うようなことを言ってきた。
「魔王が不在の間、そしてこれから先、魔王が現れた際……必ず亜人たちは人間に報復をしかけてきます。そうなった時、あなたに助力をお願いしたいのです。それを約束していただけたなら、過去の失態は不問にするというのが皆の総意です。国王様にはこちらから掛け合って恩赦を与えるよう説得します。どうです、悪い話ではないでしょう?」
笑顔で語る、聖女パウラの言葉をヘイロンは一つも理解できなかった。
何を思ったらこんな馬鹿な話が出来るのか。
「おまえ、おれを馬鹿にしてんのか」
「いえ、そういうつもりは」
「じゃあ何か? お前の頭の中は花でも詰まってんのか?」
「は、はな?」
「頭んなか、花畑かって言ってんだよッ!」
バンッ――と、テーブルを叩くと聖女は途端に弱々しい態度を醸す。
今はそれが無性に腹立たしい。殴りそうになるのを必死に抑えて、ヘイロンはケーキの箱をぶんどった。
「話にならん。二度と俺の前に顔を見せんじゃねえ!」
「そ、それでは……交渉決裂ということでよろしいのですか?」
「ああ、そうだよ! あの二人にもそう伝え――」
ヘイロンが荒々しく席を立った、その瞬間。
死角から、何かが飛んできて顔に当たった。焼けるような痛みを感じて、ヘイロンは顔を顰める。
投げつけられたのは熱いお茶の入っていた陶器のカップだった。
投げつけたのは、店の店員だ。聖女に心酔している者たちの内のひとり。
「それでは仕方ないですね。交渉に応じなかったら、始末するのが妥当であるとの判断です」
「はっ、……そうかよ」
「ですから――勇者ヘイロン。あなたはここで死んでください」
聖女パウラは首元のブローチを触って、命じた。
真っ赤に輝くそれを目にした瞬間、ヘイロンはすぐさま店外に飛び出す。
外の景色は、赤く染まっていた。
その原因は空に浮かんだ魔紋だ。これこそが、聖女パウラの聖女たる所以。
彼女は他人を支配できる。その対象は、自身を慕って信奉するものすべて。
つまり、ここ王都は隅から隅まで、彼女の手足となりうるのだ。
パウラが勇者を殺せと命じれば、王都の国民はみな血眼になってヘイロンに襲い掛かる。
「……っ、クソが!」
この状況を誰よりも理解しているヘイロンは、脇目も振らずに王都の出口に向かう。
それを追いかけるように、衛兵、店の店主、買い物客。老若男女、大人子供。皆が各々武器を片手に迫ってくる。
「ころせ!」
「殺せ!!」
「コロセ!!!」
怒号が木霊する王都を、ヘイロンは駆けていく。
「は、はははっ! いいぜ! 殺せるもんなら殺してみろよッ!」
声を張り上げて叫ぶ。
楽しいことなんて何もないくせに、狂ったように笑いながら――。