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55.怪鳥、ついばむ

 

 ――力を貸してくれ。

 ヘイロンの頼みに、モルガナは首を横に振る。


「残念だけど、断らせてもらう」

「――はあ!? なんでだよ!」

「理由? それなら自分の胸にでも聞いてみるといい」


 にべもなく断られてヘイロンは困惑する。それはイェイラも同じだった。

 声を潜めて、どういうことだと耳打ちをする。


「あなた、なにやらかしたのよ」

「なにって……それが、心当たりがないんだ。まったく」

「でも弟子の頼みを断るなんてよっぽどよ」


 しかしヘイロンには本当に心当たりがなかった。記憶を探っても、モルガナが何にこんなに怒っているのかが分からない。


「正直、今の君を助けたいとは思わないなあ。とっても不愉快だ」


 笑いもしないその表情は氷のように冷たかった。

 初めて見るそれにヘイロンは言葉を失う。


 五年ぶりに会ったとはいえ、モルガナとの付き合いは長い。

 彼女の弟子になったのはヘイロンが十歳の頃だった。それから十年、彼女の元で過ごした。その間、一度だってこんな顔は見たことがない。


「昔はそんな奴じゃなかっただろう? 随分人間のふりが上手くなったね。私と最初に交わした約束は破るつもりかい?」


 諭すような物言いに、ヘイロンは彼女が何を言いたいのか分かった。

 モルガナと最初に会った時、ヘイロンはある約束を交わした。それを反故にするのかと、彼女は問うているのだ。


「そのつもりはない」

「それじゃあ問おう。私とその子、どっちを取る? 言っておくが、どっちもは通らないよ」


 ヘイロンはモルガナをまっすぐに見つめた。

 彼女は師匠でもあり親代わりでもある。ヘイロンにとって特別な存在だ。

 昔の彼ならば即答していただろう。けれど今のヘイロンは、モルガナの知る愛弟子ヘイロンではない。


「そうだなあ……」


 少し考えて、ヘイロンはニアの手を触って握りしめる。


「ニアは、俺じゃなきゃダメだって言ったんだ。俺が良いって。そんなこと、生まれて初めて言われた。けっこう嬉しいもんだな」

「……それだけ?」

「こんな俺に言ってくれたんだ。それだけで充分だよ」


 笑って言うと、モルガナは少しだけ驚いた顔をする。

 彼女にとってヘイロンの答えは予想外だったのだ。まさかこんなことを言うなんて、と……確かに昔のヘイロンだったなら、絶対に言わないことではある。


「ああ、でもフェイとの約束、諦めたわけじゃないぜ? だからそうやって意地の悪いこと言わないでくれよ」


 対面している師匠の氷の表情を溶かすように、ヘイロンは笑みを向ける。

 弟子の笑顔を見て、モルガナは奥歯を噛みしめて頭を抱えた。


「私を振っておいてそれはないだろう!? あー-っ、もういい! わかった!」


 ヘイロンの態度に、モルガナは根負けした。

 この五年で弟子は大層変わってしまったようだ。師匠の元を離れてさらに成長したいと言う熱意に負けて送り出したらこれだ。

 こんなことになるなら意地でも出さなければ良かったと後悔してももう遅い。


「これを喜べないのは師匠としては失格かなあ」

「喜ばなくてもいい。昔より腑抜けてるのは事実だし……」

「自覚があるならなおさらだ!」


 師匠に叱責されてヘイロンはペコペコ頭を下げた。

 こんなに低姿勢な彼を二人は見たことがない。完全無欠なヘイロンの唯一の弱点がこれとは、少し拍子抜けである。


 説教されまくって、数分後。

 モルガナはやっと重い腰を上げた。


「頼まれてやってもいいけど……一つだけ条件がある」

「なんだ?」

「カイグラードの王都にある、最高に美味しいと評判のケーキが食べたい」

「はあ?」

「アルはちゃあんと気を利かせて買ってきてくれたよ」

「――っ、はあ!?」


 畳掛けるようなモルガナの言葉に、ヘイロンは開いた口が塞がらない。

 ケーキが食べたい、まではいい。そんなものでニアのことを引き受けてくれるのならいくらでも用意する。

 けれど問題はその後だ。


「あ、アイツ……ここに来たのか!?」

「そうそう、数日前かなあ。彼とも久しぶりに会って、世間話をして帰っていった。あー、そうだ。君のこと気に掛けていたっけ」

「あんのヤロウ……ふざけやがって!」


 声を荒げたヘイロンに、ニアはびっくりして肩を揺らした。

 隣で話を聞いているイェイラも、彼が何をこんなに怒っているのか理由が判然としない。


「アイツに何か聞いてるか?」

「喧嘩しちゃって不仲だって聞いたね。理由は聞いていない」


 師弟の話を聞いてる二人は蚊帳の外である。誰かの話をしているのは分かるが、ヘイロンがあそこまで怒る相手とは何なのか。


「……だれ?」

「俺の兄弟子だよ」


 イェイラが尋ねると、ヘイロンは嫌々ながらも答えてくれた。


「私には出来の良い弟子が二人いてね。一方はこんなだが、もう一方は大変優秀で大人しいやつだ。少し面白みに欠けるけど、師匠を労う心はちゃあんと持ってる」

「わるかったな。土産の一つも持ってこないで」


 モルガナの嫌味にヘイロンは苦笑する。


「アイツからそれ以上は何も聞いてないのか?」

「そうだね。五年前から俗世の情報は入っていないから、君たちの身辺も全く知らない。無理に聞こうとも思わないから、気負わなくていい」

「……助かるよ」


 あえて言わないが、モルガナはヘイロンが何かを隠したがっているのを察していた。だからこそ、彼をハイロと呼んだのだ。

 せっかくの名前を、わざわざ偽名で呼ばせたのだ。よっぽど知られてはいけない理由があるのだろう。

 とはいえ、俗世に疎いモルガナはその何かに見当はつけられなかった。


「それで、店の名前は?」

「王都のミリオス洋菓子店ってところだ。お客人もいるからね。買えるだけ頼むよ」


 お土産という体なのに、モルガナは遠慮を知らない。

 けれどこれは交換条件だ。渋っているような場面でもないし、金に糸目をつける必要もないだろう。


 王都に向かうついでに頼まれていた用事を諸々済ませてこよう。留守番組の土産と、ミスリル鋼の換金……ヘイロン一人で出来るのはこれくらい。後の入用なものは帰りに調達することにする。


「でもここから王都ってかなり離れてるわよ? どうやって行くつもり?」

「あ、ああ……そうか」

「洋菓子だって日持ちしないし、歩いて往復なんてしてたらせっかく買っても悪くなっちゃうわよ」


 イェイラの指摘通り、王都に行くにしてもその足がない。

 仮に行きは徒歩でいけたとして、帰りは転移魔法で戻ってはこれる。けれど、モルガナの話ではニアの魔力のリミットがいつになるか。

 帰ってきて手遅れでしたでは意味がない。


「それなら安心したまえ。ちゃあんと考えてある」


 そう言って、モルガナはついておいで、と外へ出ていく。


「――グリフ!」


 庭に出ると、彼女は空に呼び掛ける。

 すると、どこからか鳴き声が聞こえてきた。と、同時にすさまじい突風が皆の視界を塞ぐ。


「な、なになに?」

「……へえ、こりゃ驚いた」

「モフモフ!」


 目の前に現れたものに、三人はそれぞれ反応を示す。

 毒鎖の魔女モルガナが呼んだのは、小屋ほどの大きさがあるグリフォンだった。


「グリフォンのグリフだ。彼に頼んで乗せて行ってもらう」

「なあに?」

「王都まで行ってきてほしいんだ。お駄賃は彼が払ってくれる」

「ほんと!? いいよぉ!」


 グリフはモルガナに頬擦りして喜んでいる。

 しかしこの状況、突っ込みどころが満載だ。そもそも、グリフォンとは魔物の一種である。このように人語を話せる知能は持ち合わせていない。


「どうなってんだ?」

「この子は私が調教したからね。言葉もペラッペラさ。子供程度の知能はある」

「へえ、賢いのね」

「賢いだけじゃない。グリフォンの凶暴さは知っているだろう?」


 モルガナの問いに、イェイラは頷く。

 グリフォンといえば、獰猛な肉食の魔物だ。村を襲って家畜を丸々一匹、空から攫っていってしまう。

 そんなグリフォンをこうも手懐けるとは。魔女という名も伊達ではない。


 イェイラが感心していると、彼女の隣ではヘイロンがなぜか青い顔をしていた。


「ちょっとまて。こいつ肉食だよな?」

「そうだね」

「お駄賃っていうのは……」

「彼、とっても大食漢だから。そうだなあ、君の身体で換算すると腕十本あれば良いかな」


 さらりと言ったモルガナの言葉に、ヘイロンはひとり後退る。


「これ、たべていいの?」

「いいよ。おかわり沢山あるからね」

「やったー―――!!」


 翼をはためかせて飛び上がったグリフに、ヘイロンは脱兎の如く逃げていく。

 けれど人間がグリフォン相手に逃げ切れるわけもなく、呆気なく捕まってしまった。


「さあ、君たちはこっちだ。お茶でも飲んでゆっくりしよう」

「ハイロ、だいじょうぶかなあ」

「あれは流石に同情しちゃうわね」


 グリフに襲われるヘイロンを残して、三人は小屋に入っていった。


「ま、まて! まってくれ! 踊り食いだけは勘弁してくれ!!」


 深い森のなか、悲痛な叫びが木霊する。


 数十分後、ヘイロンはげっそりとやつれた顔をして王都へと向かって行った。

 彼を背に乗せたグリフォンの口周りは血で濡れていたという。


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