50.獣人、激怒する
時刻は夕方。
城の補修――その進捗はレンガを焼く炉を作って、粘土を混ぜて型を取る。そのあと焼きを入れて百個のレンガが出来上がった。
しかし素人の作ったものだ。かなり効率も悪い。こんなレンガ百個あったところで、まだまだ古城は穴だらけ隙間だらけである。先は長い。
それと、ミディオラの表皮に混ざっていたミスリル鋼は探し回って十五個発見した。こぶし大の大きさのそれは、全部売ればかなりの額になる。
初期投資の金額としては充分すぎるくらいだ。
問題はこれをどうやって金に換えるかである。
「なんとか商人との交易ルートを見つけないとね。といってもこんな場所に彼らが来るはずもないけど」
「物資が潤沢な人間の領域で商売をしたいところだなァ。亜人の儂らには難しい話だ」
作業を終えて、三人は畑作業をしているニアとミディオラの元へ向かっていた。
イェイラは用心としてハイドを置いてくれていたが、何の反応もなかった。大人しく畑作業に精を出してくれたのだろう。
「進み具合はどうだ?」
顔を出すと、ヘイロンに気づいたニアが駆け寄ってきた。
しかしどういうわけか。ニアは泥まみれ。ミディオラは灰色だった体躯が汚らしくまっくろに汚れていた。
この竜人が汚れているのは分かるが、ニアも汚れているのは……二人で泥遊びでもしていたに違いない。
「ハイロぉ!」
「うわっ、なんだよ。随分見違えたなあ」
「トカゲさん、すごいよ! 土のなか、およげる!」
興奮して話すニアを抱き上げて、ヘイロンは彼女の話を熱心に聞く。
そうしていると、畑の土壌からミディオラが顔を出した。
「そうでしょ! オイラのこと、好きになった!?」
「はいはい、仕事出来る奴は好きだぜ」
「お前じゃない! その子に聞いてるんだよォ!」
邪魔者であるヘイロンにミディオラは吠えた。
それを宥めるように、ニアは彼に笑顔を向ける。
「ニア、トカゲさんのこと好きだよ」
「ウッ! オイラ、もう死んでもいい!!」
「トカゲさん、死んじゃうの?」
「いいや! やっぱり生きる!」
「どっちだよ」
感極まったミディオラは川を跳ねる魚のように、地中に潜っていってしまった。
ヘイロンは呆れながらも、彼の仕事ぶりを確認する。
ミディオラが耕した土地は、ヘイロンが指示したものよりも広かった。思わずそれに驚嘆の声を上げる。
「へえ~、やるもんだな。予想よりちゃんと出来てる」
「あら、意外ね」
「オイラ、ちゃんと頑張ったよ!」
イェイラが驚いていると、ミディオラが遠くから威張り散らした。
彼がこんなにも意欲的だったのはニアが傍にいたからだろう。好きな相手には張り切ってしまう、というのは種族を超えて共通なようだ。
「ここにあとは土壌改良で灰を撒いとこう」
「灰……って、まさか」
「地下にたくさんあるだろ?」
突如、ヘイロンはぶっ飛んだことを言い出した。
それにイェイラが目を丸くしていると、すぐさまムァサドが反論する。
「まま、魔王様の遺灰だぞ!? 何を考えている!?」
「もう死んでるんだからどうでもいいだろ? 死んだやつにいつまで忠誠誓ってるんだよ。そんなの無意味だし無駄だ」
「きっ、貴様ァ……言って良いことと悪いことがあるだろうが!」
ムァサドは怒り心頭で、ヘイロンに掴みかかる。
彼の巨体から繰り出される力は、並みの人間ならば簡単に骨が折れてしまうほどだ。
けれどヘイロンはそれを受けても涼しい顔をして、ムァサドを睨みつけた。
「あの地下に遺体を放置してたのはお前だろ? それが今更なに言ってんだ」
「ぐっ、……それは」
「そもそも、俺に尻尾振ってる時点でお前の忠誠なんてからっぽなんだよ! 納得いかねえなら俺を殺してでも止めたらいい。もっとも、そんなこと死んでも出来ないだろうけどな」
ヘイロンの煽り文句に、ムァサドは身体を怒りで震わせる。
イェイラとニアは彼らの様子を緊張した面持ちで見守っていた。二人の間に割って入った所で解決できる問題でもない。
「――ッ、勝手にしたらいい」
なんとか怒りを飲み込んだムァサドはヘイロンから手を離す。
そのまま無言で魔王城の中に戻っていった。
「なんだよ。殴らねえのか。偽善野郎だな」
解放されたヘイロンは残念そうに言い放って、ひとり地下室に向かって行った。
その後姿を眺めて、ニアは傍にいたイェイラへ質問する。
「ムァサド、なんで怒ってた?」
「ハイロが非常識なこと言ってるのよ。私もあれはどうかと思うけど……」
「でもイェイラ、大じじさま嫌いっていってた」
鋭い指摘にイェイラは言葉に詰まる。
確かに魔王のことは嫌いだし、それを信奉する者たちも嫌いだ。けれど、誰かを悼む気持ちを蔑ろにしていい事にはならない。
「まあ、そうなんだけど……だからってハイロのあれはないわよ」
「ハイロ、悪いことしてるの?」
「うーん、ムァサドはそう思ってるみたい……私は、関わりたくないってところね」
イェイラの話を聞いて、ニアはどうするべきか考える。
ムァサドが怒っていたのは、きっと彼が大事にしていたものを蔑ろにされたからだ。大事な人を貶されて怒らない人はいない。
そこまではニアも分かる。けれど、ヘイロンは魔王を貶したわけではない。それを後生大事にしているムァサドを貶したのだ。
原因はヘイロンの行動にあったけれど……だから彼がすべて悪いとはニアは思えなかった。
ニアにはムァサドのように大事に思える人はいない。今までそんなものは存在しなかった。両親、兄、家族……彼らの存在を貶されたからといってニアは嫌な気持ちにはならないだろう。
そこまで考えてニアは気づいてしまった。
きっとハイロも同じなんだ、と。
だったらそれはとても悲しいことだ。
なぜなら、ニアも同じ気持ちだから。
役立たずでいらないと、出て行けと言われて独りきりになった時、ニアはとても悲しかった。もう誰も助けてくれないんだと絶望した。
いつも笑顔でニアを笑わせてくれるヘイロンも、同じ気持ちになったことがあるのだろうか。
そうであったら、それはとても哀しいことだ。
「――だから、彼にはあまり関わらない方がいいわよ」
「な、なんで?」
イェイラは無慈悲なことをニアに言って聞かせる。
突然のことにニアは理解が及ばなかった。
「ハイロは助けてくれるけど、普通とは少し違う。それはニアも分かるでしょう? 何も嫌いになれって言ってるわけじゃないの。ただ……依存しちゃダメって話ね」
「イェイラ、ハイロのこと嫌い?」
「……どうかしら。彼には助けてもらったし、感謝してる。でも私が本当に恩を返したい相手は彼じゃない。魔王を殺してくれた勇者よ」
「ゆうしゃ?」
「彼のおかげで今の私があるの。だから、本当に感謝してる」
勇者のことはニアも知っていた。
彼は亜人にとって敵でもある。それでもイェイラはその勇者に恩義を感じているのだ。
「その人、なんていうの?」
「確か……勇者ヘイロン、って言ったわね」
「……ヘイロン?」
ニアはその名を聞いて眉を寄せた。なぜだかどこかで聞いたことがある。
でもそれがどこでなのか、思い出せない。初めて聞く名前に思えないのだ。
必死に記憶を掘り起こしていると――
「でも、私は亜人だから会った瞬間には殺されちゃうかもしれないわね。どんな人かも知らないけど、問答無用で首を撥ねる人じゃないことを祈ってるわ」
イェイラは冗談めかして言う。
けれど、彼女は死んでもいいと言うのだ。恩を返せるなら、死ぬのも厭わない。
きっとイェイラの大事な人なのだ、とニアは思った。ニアにとってのハイロと同じだ。
「ニア、ハイロのこと好きだよ」
「そうね」
「だから、ずっとそばにいたい」
「……それじゃあ、彼以外にも大切だって思えるものを見つけなさい。そうしないと、ニアの好きだって気持ちが変わっちゃうから」
イェイラが真剣に語る話は、今のニアには難しかった。
彼女が何を伝えないのか。その半分も分からない。けれどきっと、とても大事なことなんだろう。
「うん、わかった!」
「そろそろ暗くなるから中に入りましょう」
「トカゲさんは?」
「彼は……今日は野宿してもらいましょう。あの恰好じゃあ、城の中が汚れちゃう」
「しかたないね」
「帰ったらニアもお風呂、入りましょう。確か、城の中に大きなお風呂あったわよ」
「うん!」
ご機嫌なニアを連れてイェイラは魔王城へと帰っていった。
のちに置いていかれたミディオラがグチグチと文句を言いまくるのは、もう少し後の話だ。