44.元勇者、賭けにでる
ヘイロンはニアの傷の度合いを見極める。
このままでは確実に死んでしまうのは明白。かといって、治療師が使う回復魔法でこの傷は癒せない。
なにより出血が酷い。仮に傷を回復魔法で塞げたとしても、血液が不足しているならショック死してしまう可能性もある。
けれど、ヘイロンならばそれら全てを解決できる。
「今からやるのは賭けだ。上手くいく保証はない。でもニアを救うにはこの方法しかない」
もちろんリスクはかなり大きい。失敗する可能性もある。
だからヘイロンは賭けだと言った。
成功する確率は……五割にも満たない。
ヘイロンの扱う復元魔法は、制約の多い魔法だ。そしてそれを他人に使ったことは一度だってない。
試す前から失敗すると分かっているからだ。
けれど、この状況ではそんなことを言っている暇など、微塵もない。
「イェイラはハイドを使って、奴の注意を引いてくれ。ムァサドも同じだ。邪魔されると困る」
「承知した!」
「私は何をすればいい?」
「イェイラはこれが済んだらニアを安全な場所まで運んでくれ」
小さな体に突き刺さった剣を抜いて放り投げる。
……皮肉なものだ。この剣はヘイロンが聖剣だと偽られ使っていた、ただのなまくら。魔王殺しの剣だ。
それが魔王の縁者であるニアを死に追い詰めている。
けれどそんな運命、ヘイロンが許すわけはない。
ヘイロンはニアの傍にしゃがみ込むと、彼女が持っていた護身用のナイフを手に取る。
そしてそれを、自らの右手首に当てて引いた。
温かい鮮血が指先を伝って傷口に流れ落ちる。
「な、何をするつもりなの?」
「今からニアに復元魔法を使う。命を救うにはこれしかない」
「でもそれって……他人に使えないんじゃ」
「そうだ。だから、情報を書き換える」
「書き換える?」
ヘイロンの説明にイェイラは眉を寄せる。
彼の話を聞いても理解できない。情報とは何のことなのか。今の奇行にどんな意味があるのか。
イェイラでなくともヘイロンがやろうとしていることを瞬時に分かる者などいないだろう。
「復元魔法は使用者……俺の理解や知識が一番重要になってくる。だから他人に使えない。これは前に話したよな?」
「ええ、身体の隅々まで知っていないと失敗するって……」
「俺はニアの身体のことは知らない。ましてや亜人だ。人間と違うところもあるはず」
「だ、だったらどのみち失敗するんじゃ」
「だから一時的に俺と同じ状態に書き換える」
ヘイロンの説明を聞いてもイェイラにはさっぱりだった。
彼にしか理解できない論理で何かをしようとしているのは確実。今はその成功を祈って傍で見守るだけだ。
傷口に充分血液を染み込ませたら、ヘイロンは次の行動に移る。
彼は右手の人差し指を自分の口に捻じ込むと、それを嚙み千切った。指の第二関節――皮、肉、骨を分断して口の中に含む。そしてそれを嚙み砕く。
かなり不快なのだろう。苦い顔をしながら、ヘイロンは咀嚼物を手のひらに吐き出した。
当たり前だが、並大抵の精神力では出来ない芸当だ。
傍でそれを見ていたイェイラはすでに突っ込む気力を失っていた。
もう何をされても驚かない。彼がどうにかすると言っているのだから、今はそれを信じて待つだけ。
ヘイロンがイェイラへ説明した情報の書き換えは、一時的にニアの身体をヘイロンの身体――つまり、自分自身と同じにすることを言う。同化である。
通常ならこんな荒業思いつきもしない。けれど短時間で、ヘイロンはこれが最善であると判断した。
復元魔法の使用は知識や理解も重要だが、それと同じく魔力も肝心である。
人それぞれ内包する魔力は違う。一人として同じものはなく、それが復元魔法を他人に使えない障壁ともなっている。
仮にこれがニアでなかったら、ヘイロンに打つ手はなかっただろう。
けれど幸か不幸か。ニアは魔力を持っていない。彼女固有の情報が欠落している。まっさらな状態。
ヘイロンはそこに目を付けた。
身体全体ではなく、損傷した一部。
かつ、そこにヘイロンの情報を入れる。素体の魔力は自分と同じ。
ここまで条件が整っているなら、成功する確率はグンと上がる。
だからこそ、ヘイロンは賭けに出たのだ。
「上手くいってくれよ……!」
右手を握り込んで、ニアの傷口の中に突っ込む。
損傷個所は内臓の一部と、血管、筋繊維。それをいつも自分にするように復元魔法で治していく。
ニアの傷は損傷から多くはないが時間が経っている。しかし今ヘイロンが復元しているのは、自分の身体でもある。
亜人と言えど、人であるなら身体の構造は同じだ。子供故、大きさは違うだろうが……そこを考慮すれば完治は可能!
「な、なおった!」
「はっ――はぁ、なんとか上手くいったな」
「呼吸も脈も落ち着いてきてる! よ、よかったぁ」
目に涙を浮かべてイェイラはニアを抱きしめた。
意識はまだ戻らないが、ひとまずの危機は去った。
「イェイラはニアを連れてここから出てくれ。どこかに地下への入り口があるはずだ」
「わかったわ。気を付けてね。あの化け物、ハイドでも手に負えない」
二人の視界の外では、ハイドとムァサドがあの化け物とやり合っていた。
影を移動でき、実体を持たないハイドならダメージは受けないが、それでも手ごたえはまるでない。ムァサドに至っては、こんなデカブツ相手では彼の利点を活かせない。苦戦を強いられている。
魔王――ガルデオニアスは変幻自在の能力を持っていたと言われている。
現に先ほども目にした。腕の形態を変化させての攻撃。
ヘイロンはあれを灰招きであると断じたが、能力は魔王そのものである。手ごわい相手に変わりはない。
「気をつけろって、誰に言ってんだ?」
「そうね……いらない心配だった」
「俺に任せとけ。さっさと片づけて戻るからよ」
去っていくイェイラに振り返らずに手を振って、ヘイロンは先ほど放り投げた剣を手に取る。
「さて、二度目の魔王殺しといきますか」