42.元勇者、背を借りる
それにいち早く気づいたのはヘイロンだった。
「……なんだ?」
魔王城の方角を見つめて、ヘイロンは足を止める。
とてつもなく嫌な予感がする。頭の中で何かが引っかかる。
先ほど、イェイラは先に戻っていると言った。
――ハイドが違うと言ったから。
彼女の話では、ハイドはずっと何かに警戒しているという。その何かが未だ隠れたまま。
ヘイロンが魔王城に着いてから、密かに気にしていたことがあった。
それは残党であるムァサドのことでもなく。水源を止めていたミディオラのことでもない。
あの魔王城の城主――魔王のことだ。
ヘイロンは勇者として魔王を殺した。その遺体があの城の地下にある。
この情報は勇者であるヘイロンと、魔王の先兵であったムァサドしか知らない。
魔王城でのあれこれが落ち着いたら処理をするつもりだった。
魔王はすでに死者である。
けれど腐っても魔王だ。あれが他にどんな影響を与えるものなのか予想が付かない。
ヘイロンの胸騒ぎ、嫌な予感は当たってほしくない時によく当たるのだ。
「ムァサド、魔王の遺体はどうした?」
「な、なんだいきなり……」
「まだ城の地下にあるのか?」
「うむ、そうであるが……何か気になることでも――」
ムァサドが言い終わる前に、古城から雄叫びが響いた。
地の底から響くようなそれは、明らかに異常である。
瞬時に察したヘイロンは、ムァサドの背に飛び乗った。
「俺を乗せて山を下りろ!」
「な、何かわからんが……迷っている暇はなさそうだ!」
彼も事の重大さを感じているらしい。焦燥を滲ませて山を駆け降りる。
その道中、先に山を降りて行ったイェイラを見つけた。
「イェイラ! さっきの聞いたか!?」
「ええ、なんなのよあれは!?」
「分からない。とにかくニアが心配だ。ハイドを向かわせてくれ」
ヘイロンの頼みにイェイラは頷く。
「ハイド、ニアの所に行って」
「ウゥ、でキナィ」
しょんぼりと項垂れるハイドの様子を見て、イェイラは何かに気づいて顔を上げる。
「今は無理みたい。誰かの元に行くには、その人の意識がある時じゃないと出来ないのよ」
「……寝ておるのかねェ?」
「あんな爆音が鳴って寝てられるか?」
「むぅ、それもそうか」
ミディオラの激突に加えて謎の咆哮。あれで起きない輩はいないはずだ。
そもそも誰もいない、暗い城の中でニアが眠っているとは考えにくい。
「あなたの転移魔法は?」
「マーキングを変えていないからどっちみち使えない。こいつに頑張ってもらうしかないな」
「緊急事態ゆえ、致し方なしか」
ムァサドはイェイラも背に乗せると、全速力で山を下っていく。
各々が緊張した面持ちで気張っていると、背後にいるイェイラがヘイロンへと耳打ちをした。
「ハイロ……私の今の話、最悪の状況も考えておきなさいよ」
「最悪の状況って?」
「私にそれを言わせるつもり?」
「馬鹿だなあ。俺がそれを許すと思ってんのか」
ヘイロンは笑って答えた。
彼の言葉には虚勢は混じっていない。真面目にそう言っているのだ。
「ニアと約束してるんだ。俺が傍にいる限り、そんなことは許さねえってな。だから安心していい」
「……ええ、そうさせてもらうわ」
ヘイロンがどんな男か。イェイラは知っている。
彼は助けてほしい時に手を差し伸べてくれる人だ。だから、今回だってきっと大丈夫。なにより、彼自身がそれを許さないと言っている。
だったらこの憂慮も余計なものだ。