31.影者、過去を語る
今回はちょい重いです。
ヘイロンはイェイラを連れて宿に戻ってきた。
部屋に入るとベッドでニアが眠っている。熟睡している彼女はちょっとの事じゃ起きないだろう。
イェイラはベッドに、ヘイロンはソファに腰かける。
向き合ったところでヘイロンは説明を求めた。
「さっそく聞きたいんだが……『エイシャの白い悪魔』だったか? それってなんだ?」
「それは私の事よ。影者って一族だから、そう呼ばれている。不名誉な異名だけどね」
影を使役する一族を影者というのだとイェイラは言った。
「でも私は普通とは少し違うの」
「普通とは違う?」
「ええ、ハイドを見たら分かるけど……普通はあんなに禍々しい姿にはならない」
イェイラの説明によると、影者の一族が使役する影は姿も大きさも微々たるものだという。
大きさも小動物並みで力もない。戦闘向きの一族ではないのだ。
「嘘だろ?」
「残念だけど本当よ。だから私は少し特別なの。でもこれは生まれ持った力じゃない。そういう風に創られただけ」
「創られた……」
「影者の能力の形成は心の機微に影響される。だから私は五歳の時から十年間、親元から離されて、誰も寄らない地下牢に幽閉された」
そこから彼女は淡々と語ってくれた。
けれどそれは、あまりにも過酷な半生。生易しいものではなかった。
「最初は何をされたか分からなかったわ。今まで普通に暮らしてたんだもの。でもね、給仕係の大人が言うの。お前は親に売られたんだ、もう誰も助けてくれないって。もちろんそんなの、信じなかったわ。両親は私のことを愛してくれていたから。でも……ある日、私の元に父と母がやってきた。助けてくれって泣き叫ぶ私に、父は見たこともないような顔をして怒鳴った。お前みたいな化け物は俺たちの子じゃないって。母はずっと泣いてた。私は……泣きたいのに涙もでなかった」
やるせなく笑って、イェイラは続ける。
「あの首飾りはね、母がくれたものなの。あの時、泣きながら渡してくれた。この場所から出たら返してねって、ずっと待ってるからって。本当に嬉しかった。私の味方は母だけなんだって思ったわ。でもね、本当に案じているならずっとあんな場所に居ろなんて言わないのよ。そうでしょう? もしかしたら何か理由があったのかもしれないけど、私にはそんなの関係なかった。……たっ、助けてほしかったのに」
嗚咽交じりに語るイェイラは、ヘイロンの目には幼い子供のように映った。
彼女の中で、過去の苦痛は未だ生きている。何も癒えてはいないのだ。きっと正気でいられるのは、彼女の心の半分をハイドが受け持っているからだろう。
それがなかったら、とっくの昔にイェイラの心は壊れていたはずだ。
「私があの場所から出たのは、十四歳の時。ハイドにお願いしたの。ぜんぶ壊してって。あの子はその通りにやってくれた。私が嫌いなもの、憎んでいるもの……すべて。父も母も、殺してくれた。別に悲しくなかったわ。たぶん、情も何もかも消えちゃったのね」
イェイラは呼び出したハイドの背を撫でて、穏やかに語る。
背を撫でられて気持ち良さそうにするハイドを見つめて、彼女は最後に語ってくれた。
「ハイドはね。私の心が限界まで抑圧されて出来た存在なの。だから、こんなにも歪な形をしてる。この子をこんなにしたのは私なのよ」
イェイラの告白に、ヘイロンは言葉もなく絶句した。
ハイドの凶暴さはヘイロンも知るところだ。あれが彼女の心から形作られたものであるなら、イェイラに与えられた苦痛は想像を絶するものだろう。
信じていた両親に裏切られ、誰も助けてくれない。暗闇でずっと一人。まだ子供であった彼女を想えば、胸が苦しくなる。
「お前はそれを後悔してるのか?」
「……少しだけね。でも、ハイドは私にとって身体の一部みたいなもの。家族と同じ存在。それを否定することは出来ればしたくないわ。でもこの子にはもう誰も殺して欲しくない。本当はとっても優しい子だから」
「そうだな……」
これはイェイラにとって一番の願いなのだろう。
大事な人が自分の為に誰かを殺すのを、見たい奴なんていない。
「でも、どうして村の連中はこんなことをしたんだ?」
「それは、私を魔王の先兵として使うためよ。あの頃はまだ封印されてても生きていたし……でも勇者に殺されちゃったから。私の役目はそこで終わり」
ヘイロンはその話にドキリとした。
彼女は望んではいなかったが、間接的に生きる目的を奪ったことになる。そもそも亜人にとって勇者なんて目の敵にされる存在だ。
でもイェイラは笑って言う。
「私ね。感謝しているのよ」
「え?」
「あの魔王を殺してくれたっていう勇者のこと。だって、そのおかげで私は自由になれた。もう何にも縛られて生きなくても良いんだって思えたから。本当にアイツ、死んでくれて済々したわ!」
晴れ晴れとした表情でイェイラは語る。それを聞いてヘイロンは思わず笑ってしまった。
「ふっ、はははっ……そんなこと初めていわれたよ」
「なによ。あなたに言ってないわよ」
「わっ、わるい……っ、そうだったな」
イェイラの気持ちを聞いて、ヘイロンは心に巣食っていたもやが晴れた気がした。
自分を裏切った元仲間のことは今でも恨んでいる。到底許せるものではない。けれど、ヘイロンのしたことには意味はあったのだ。
それを知れただけでも心が軽くなった。
「お前の事情はわかった。俺に任せてくれよ」
「え? でも……」
「言っただろ。任せろって。大丈夫、悪いようにはしない」
イェイラはそういう風に創られたと言ったが、化け物として生きることを望んでいない。彼女は何も許容していない。普通に生きていくことを望んでいるのだ。
そこがヘイロンとは違うところだ。
だったら――やるべきことは決まっている。