30.元勇者、差し伸べる
夕暮れの中、イェイラは村長宅へと招かれた。
招く、というにはいささか不躾な対応をされたが、それに腹を立てる気にもならない。
イェイラがこの村から去った、あの時と何も変わりはしないのだ。
そして、それはこの村長も同じこと。
「何をしにこの村に来た?」
「それはこっちの台詞。何の用で私をここに呼んだの?」
「こちらが質問しているのだ。それに答えろ」
どこまで行っても威圧的な態度を取る。それも昔から変わらない。
イェイラは深く溜息を吐いて質問に答えた。
「連れが負傷したから治療をしてもらっただけ。もう用が済んだから出て行くわ。それでいいでしょう?」
冷たい眼差しを受けて、村長は目配せをする。
その合図に、イェイラの背後に控えていた衛兵たちが槍を突き付けた。
「それはならん。お前も知っているだろう。あの魔王様が討たれたと」
「ええ、それが?」
「何のためにお前を創ったと思っている。あの方の手駒として生きるためだ」
椅子にふんぞり返って命令する。村長の態度にイェイラは笑いだしそうになった。
「ふふっ、おかしいったらないわ。その主人はもういないのに。不要になった手駒に何を望むつもり? 馬鹿を言わないで頂戴」
「魔王様を討った輩が残っているだろう。それらをすべて狩ってもらう。一匹残らずだ」
「呆れた……話にならないわね。そんなのお断りよ」
きっぱりと拒否したイェイラに、村長はいやらしく口元を歪めた。
「お前の連れ……人間の男と亜人の子供がいたな?」
「……それが?」
「お前が考えを改めれば、この村から生きて返してやろう」
「あの二人は関係ない」
「はははっ、気丈に振舞っているようだが動揺が透けて見える」
村長の強気の発言に、イェイラは唇を噛んだ。
彼らはイェイラが逆らわないことを知っている。彼女がそれを望んでいないからだ。
「……少し、考えさせて」
「ふん、良いだろう」
俯いたイェイラに村長は鼻を鳴らす。
背後の衛兵に合図をして槍先を下げさせると、出て行けと言った。
村長宅を出て、足取り重くイェイラは宿へと向かう。
「もう一緒には居られないわね……」
夕焼けに照らされて、自分の間延びした影を見つめながら呟いた声は酷く焦燥していた。
元々、成り行きで同行していた。
だからここで別れても、元の状態に戻るだけだ。何も未練なんてない。
そのはずなのに――
「あ、あれ? なんでっ」
どういうわけか、涙が溢れてくる。
地面に蹲って、必死に涙を拭っていると傍に気配を感じた。
「ウゥ、ナカないデェ」
呼んでもいないのに、ハイドが影から染み出してきてイェイラの傍に寄る。
まるで主人を慰める犬のようだ。
それに泣きながら微笑んで、イェイラは彼の背を撫でる。
「……ハイド」
「アゥ、アイツラ。ぜンブコロせば、イェイラ、ナカなイ?」
「だめよ、そんなこと。もう二度としないで」
「ウウゥ、デも、ハイドわかル。イェイラ、アイツラみィんなナ、コワしたイ」
ハイドはイェイラと同一の存在。彼女が隠した本心の一部でもある。
だからハイドの言葉はイェイラの言葉でもあるのだ。
けれど、彼女はそれを頑なに否定した。
「そうね。あなたはいつも私の為に怒ってくれるもの。あの時だって、私の代わりに全部壊してくれた。でもね、私はもうあなたにそんな事はさせたくないの。分かってくれる?」
「ウウゥ……」
「あなたをこんなにしたのは私なのに。ごめんね……ごめんなさい。許してね」
ハイドの頭を抱いて、抱きしめる。
ずっと一人で生きてきたイェイラにとって、ハイドは家族のようなものだ。
この村の村人たちが本当に恐れているのは、イェイラではない。彼女と共にあるハイドだ。
皮肉なもので、そうであることを望んでいたのに彼らはそうなったイェイラを恐れている。いつ自分たちに牙を剥くか、分からずに怯えている。
それでも彼らが強気でいられるのは、イェイラが絶対に逆らわないと分かっているから。そしてそれは慢心でもなく事実だ。
ハイドを抱きかかえて蹲っていると、頭上から影が落ちてきた。
それにイェイラは顔を上げる。
そこにはヘイロンが一人立っていた。
「や、宿に行っていなさいって、言ったじゃない」
「ニアが寝付いたから寝かせてきた。俺は暇だから散歩に出てる。まだ眠くねえんだよ」
欠伸を零しながらヘイロンは言った。
すぐに嘘だと見抜ける物言いに、イェイラは微かに笑んで涙を拭う。
「わ、わたし……もうあなたとは一緒に行けない」
「そうか……ニアが悲しむな」
「あなたからあの子に言っておいて。もうお別れだって」
目を見ずに一方的に告げるイェイラに、ヘイロンは天を仰ぐ。
それからゆっくりとイェイラの目を見て語って聞かせる。
「俺は良いって言ってないぜ?」
「え?」
「今考えてんだよ。どうすれば一緒に行けるかってな」
ヘイロンの答えはイェイラにとって予想外のものだった。
驚きに目を見開いてすかさず問う。
「な、なに? どうしてそこまで」
「あの時、お前とハイドに助けられたんだ。その借りをまだ返してない。さっきの金のこともあるし……男としてそれは頂けないだろ」
やれやれとヘイロンは肩を竦めてみせた。
軽く笑って、それからイェイラに向けて手を差し出す。
「どっちか選べ。俺と一緒に来るか。この村に残るか」
「えっ、」
「これ以外はない。選べない、どっちもなしはダメだ。今すぐ選べ」
ヘイロンはイェイラに選択を迫る。
どうしたいか決めろ。それを聞いたイェイラは少し躊躇ったあと、差し出された手を取った。
「わっ、わたしも……私も連れて行って」
「ははっ、任せとけ!」
細い手を握りしめて、ヘイロンはそれを引っ張り上げる。
暗闇から救い上げた影は、涙の痕を拭って微かに笑った。