123.化け物、冷笑する
魔王城の地下には牢獄がある。
長らく使われていなかったそこに、千年ぶりに捕虜が収監された。
「いいなあ、貸し切りの牢獄だぜ? 羨ましいよ」
おどけて言って、ヘイロンは眼下を見据えた。
鉄格子を挟んだ向こう側には、聖女パウラが冷たい床にへたり込んでいた。
蝋燭の明かりが照らした横顔は、薄暗い中でも分かるほどに酷く沈んでいる。
「……何をするつもりですか」
「お前には俺と同じ苦痛を味わってもらう」
腐りかけの木椅子を引いて、ヘイロンはそれに座した。
真正面で対面して宣言したヘイロンに、パウラは意味が分からないと瞠目する。
「……っ、こ、殺すなら一思いに」
「お前なあ、俺を何だと思ってる」
面白くもない勘違いにヘイロンは声を荒げた。大声を聞いて、パウラは肩を震わせて視線を下げる。
「俺を殺そうって気概もない奴を嬲っても、なーんも面白くねえよ」
ギッ――と、椅子に腰かけて、ヘイロンは聖女へと問う。
「お前、あの二人が助けに来ると思ってるのか?」
「え?」
思ってもみない問いかけに、パウラは目を見開いた。一瞬の沈黙ののち、聞こえた声は微かに震えていた。
「仲間なら、当然助けに」
「ははっ、仲間ねえ」
いつも通りの回答に、ヘイロンは可笑しさに笑みを深めた。
こんな状況でもおめでたいことだ。
「お前にそれだけの価値があると思うか?」
「な、なにを」
「あの三人の中じゃ、聖女なんて足手まといでしかないだろ。こうやって俺に捕まってるんだ。自力でも逃げ出せない。居ても居なくてもどっちでもいい存在」
「……っ、」
「――って、アルヴィオなら言うだろうな。あいつ、容赦ないからなあ」
かつての兄弟子の姿を想像して、ヘイロンは頷く。
アルヴィオの真意は知れないが、敵陣の中に一人残していったのだ。つまり、彼の中ではパウラなどすでに用済みの存在なのだろう。
「ジークもあいつの言葉には従う。だから、誰も助けにこない」
「っ、何を根拠にそんなことを言うのですか」
ここでやっと、パウラは語気を強めた。
先ほどまで怯えていた表情は鳴りを潜めて、まっすぐにヘイロンを見つめている。
「根拠ってお前、わかるだろ? 俺がお前らに裏切られたんだから。簡単に仲間を切り捨てる奴らだって、わかってるだろ」
「それは、あなたが罪を犯したからで、私は何も」
「……ああ、そうだった。お前はそういうやつだったな」
以前と同じことをのたまうパウラに、ヘイロンはうんざりとして嘆息した。
――そこまで言うなら、思い知ってもらおう。自分がどれだけ愚劣であるかを。
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ヘイロンの決定に、魔王城の皆はそういうことなら、と納得してくれた。
――一人を残して。
「――ッ、ヘイロン!」
一週間が経ち、そろそろ落ち着いてきたと思えばそうではなかったらしい。
憤然と抗議してきた人物はヘイロンを心の底から慕っているローゼンだった。彼女だけは、彼の下した決定に猛反発したのだ。
「あの女、いつまで置いておくつもりだ!?」
「いつまでって……俺の気の済むまで」
休憩しようと魔法書を開いた途端にこれだ。こんなんじゃ集中できない。
ローゼンを一瞥して立ち上がると、その後を追うように彼女もついて回る。
「あのなあ。同じ話、昨日もしただろ」
「私があんな戯言で納得するとでも!?」
「出来なくてもしてくれよ」
「無理に決まってるだろ!」
肩を掴まれて、反転させられる。
ヘイロンをまっすぐ見つめる眼差しは真剣そのものだ。
「今すぐ斬首して、さらし首にすべきだ!」
「蛮族かよ。物騒なこと言うなあ」
「これでもまだ生ぬるい!」
怒りの収まらないローゼンは尚もヘイロンへと突っかかる。
「あいつらはヘイロンを裏切ったんだ。到底許される行いではない」
「あー、そうだな」
「私なら、絶対にそんなことはしない」
悔し気に顔を歪めて呟くローゼンに、一瞬だけ言葉に詰まる。
ここまで想ってくれる人間は、ヘイロンにとっては稀有である。だからだろうか。普段なら思いつかないことが口から出た。
「ローゼンは、どうしてそこまで言ってくれるんだ?」
「え?」
予想外の言葉に、ローゼンは肩を掴んだまま固まった。
彼女がヘイロンを気遣う根本的な理由は沢山ある。彼は命の恩人でもあるし、傭兵団では苦楽を共にした仲だ。
ヘイロンが傭兵団を辞めて出ていった後も、ずっと気にかけていた。大切で大事な人だ。
これを一言で、簡潔に言い表すとなると――。
「私が貴方のことを好いているからだ」
「は?」
真剣な告白に、ヘイロンは呆然として固まった。一瞬何を言っているのか分からなくて、目線があちこちを彷徨う。
「ま、まってくれ。もっと分かるように言ってくれ」
「っ、今のでも充分だろう!?」
「いや、その……つまり、ニアと同じってことだろ?」
「ぜっ、全然違う!!」
ニアはよくヘイロンに好きだと言ってくる。それと同じかと聞くと違うと返されてしまう。
彼の態度を見て、ローゼンは胸中で大いに嘆いた。ここまで勇気を出して伝えても、こうなるとは。
けれどここまで来てしまったら引くに引けない。
「愛してるってことだ」
「……ああ、そうか」
ローゼンの答えを聞いて、ヘイロンは妙に納得してしまった。
あの時、裏切られたのは必然だったのだ。
化け物を愛してくれる者などいないのだから。
ならば安心だ。裏切りに苦心することもない。それがヘイロンの望んだ姿で、必然の事象なのだから。
「ローゼン、ありがとう」
「え?」
「おかげで俺のすべきことがわかった」
いきなりそんなことを言われても、ローゼンは状況が呑み込めなかった。
たったいま、告白して。返事を待っていたけれど……これは、良いのか悪いのか。
けれど、あまりにも清々しい顔をするものだから、どうなんだと聞くに聞けない。
「……返事は、後で聞かせてくれ」
顔も見ずに去っていたローゼンの後姿を見送って、ヘイロンは足早に向かう。
彼女の進言は確かにその通りだ。あんなものに構っている暇はないのだから。