121.幼女、手柄を立てる
上空に放り投げられたニアは顔面蒼白になりながら叫んだ。
どうしてこんなにも焦っているのか。ヘイロンは空を飛んで逃げろと身勝手に言ってくれたが、ニアは自分の能力を自在に操れるほどの技量はまだ持ち合わせていないのだ。
翼を生やして飛ぶことは出来る。でもそれは集中しないと無理なこと。こんな大空を舞いながら片手間に出来る事ではないのだ。
「うううっ、おちっ――おちる!」
必死に手足をバタつかせながらニアは眼下を見た。
地上ではヘイロンが燃えていた。雷火たちの炎に巻かれて大変な事態になっている。しかしそれを呑気に観察している暇もなく、無慈悲に地面が眼前へと近づいてきていた。
落下までほんの数秒のことだが、ニアにはそれが途轍もなく長く感じた。
落ちたら痛いのかな、なんて頭の片隅で考えていると――
「あれ?」
ふわりと身体を支えられるような感覚に、ニアは閉じていた目を開いた。直後、すぐ傍で聞こえた声。
「思わず助けてしまったが……これはいったいどういう状況だ?」
ニアを助けてくれた人物は魔王城に侵入してきた雷火の一人だった。確か、雷火兵の二人に隊長と呼ばれていたはず。
彼は空中でもがいていたニアを攫って、樹上に着地すると困惑気味に眼下を見据えた。雷火の大群とそこで燃えているヘイロンの姿を見れば誰しも言葉に詰まってしまうだろう。
「あ、ありがと」
「礼には及ばない。それで、この状況は……説明できるか?」
「ニアもよくわかんない……でも、ハイロあの人のこと、つかまえるって」
樹上から見えた人影を指さして、ニアは説明する。それを聞いて雷火の隊長はしばし思案した。
ここに来る前、ルプトから事情は聞いていた。今は協力関係であると。ならば手を貸すこともやぶさかではない。
それに元々、ルプトと同様に彼もこの状況には不満を抱いていた。人間に命令されて無為な争いをすることに。だから、その大元である人間を捕まえるのなら文句などあるはずもない。
「分かった。そういうことなら協力しよう。君も手伝ってくれるか?」
「うん!」
「しっかりつかまっていてくれ」
ニアを肩車すると隊長は樹上から飛んだ。雷火である彼の身体能力なら、走って逃げる人間などすぐに捕まえられる。
隊長は樹上を軽やかに駆け出すと、一瞬でパウラの面前へと躍り出た。
「――止まれ!」
「ひいぃ!!」
大仰な叫び声を上げるとパウラは急停止して、自身を捕まえようとする腕をしゃがんで避ける。
なるべく生け捕りにしようと手加減したのが仇となった。この人間、意外とすばしっこい。
すぐさま踵を返したパウラだったが、予想だにしない伏兵に瞬間足がすくんだ。
「つかまえた!」
「んぎいぃぃ!!!」
死角から現れたニアはパウラの顔面に飛び込んだ。
視界を塞いで、足を止める。両腕を獣化すれば大人の力でだってすぐには振りほどけない。無力化するには打ってつけの作戦!
「はぅ、離してください!」
「だめだよ! わるいことしたら、はんせい!」
ニアもいたずらをすると大人たちに怒られるのだ。怒られたら反省もする。それなのに、ニアよりも大人なこの人はそんなことも出来ないなんて!
子供心に憤っていると、こちらに駆けてくる足音が聞こえてきた。
「ああ、よかった。助かったよ」
雷火たちの炎に焼かれて丸焦げになっていたヘイロンは、何とかあの地獄を抜け出してきていた。多少手荒な真似にはなったが、死人は出ていない。
おかげで着ていた服はボロボロになってしまったので、テントの厚布を拝借して腰布代わりにしてきた。
「ハイロ!」
「おお、ニアが捕まえてくれたのか? お手柄じゃないか」
「うん!」
「後でご褒美あげなきゃな」
「いいの!? やった!」
頭を撫でられてご機嫌なニアはパウラから離れてヘイロンへと抱き着く。それと入れ替わりで自身の腕を掴んだ手を目にして、パウラは言葉もなく絶望した。
「お前にも、後でご褒美だ。わかってるよな?」
「ひッ!」
小さく息を呑んでパウラは言葉もなく俯いた。きっと何を言ったところで逃がしてはくれない。
大人しくなったパウラの傍。成り行きを眺めていた隊長はヘイロンへと尋ねる。
「仲間たちは無事だろうな?」
「ああ、操られてたやつらは皆のしてきた。目が覚めたら元通りだ」
「はぁ……ならいいが」
先ほどの状況は彼も肝を冷やした。
今回はこのような事態になってしまったが、仮に。仮にルプトが勝っていた場合……洗脳された味方同士で血を流すような惨状だって考えられたのだ。
考えただけでも恐ろしい。
雷火の元へと来たあの人間たちのうち、一番弱そうだと侮っていたが……油断しすぎていた。
心中で反省しながら、隊長は蹲っているパウラを一瞥しながら問う。
「その人間はどうする」
「こっちで持ってくよ。欲しいって言ってもやらないからな」
「それはルプト様の采配次第だ」
「まあ、やることやったらくれてやってもいいけど」
ヘイロンの一言にパウラはびくりと肩を揺らした。その顔は恐怖に歪んでいる。
「な、何をするつもりですか」
「んー? なんだと思う?」
「ら、乱暴ですか? 嬲っていたぶって……それから」
「どうするかなあ。楽しみだよな」
笑えない状況なのに、この男は楽しそうだ。
それに心の底から戦慄する。こんなのは勇者などではない、悪魔だ。
「一応、言っておくけど。俺から逃げられると思うなよ?」
その一言を聞いた瞬間、ついに限界が来たのか。極度の恐慌状態にパウラはあっさりと気を失ってしまった。
「まったく……軟弱なやつめ」
「……しんじゃった?」
「こんなの死んだふりだ。ま、ずっと騒がれるよりはマシか」
気絶したパウラを肩に担いで、ニアを抱えなおすと魔王城へ向かう。
「そうだ。ニア、ご褒美なにがいい?」
「……なんでもいいの?」
「とうぜん!」
頷くと、ニアは少し遠慮しながらこんなことを言ってきた。
「ニアね、ハイロとあそびたいなあ」
聞こえた呟きにヘイロンは瞠目する。
けれどニアの気持ちはなんとなくわかった。ここ最近は皆忙しく、彼女にかまってやれなかったのだ。
「よし、いいぜ。なにして遊ぶ?」
「ええっと、かぜになるやつ!」
「おっ、それを選ぶとはニアも分かってるじゃないか」
「あとね……ぐるぐるって、まわるやつ!」
腕の中ではしゃぐニアに微笑みながらヘイロンは帰路に就く。
――こうして、明け方の攻防は終わりを告げた。