師匠の教え 下
「初めに言っとくがな、俺は説教をするのもされるのも大嫌いだ。だから、これからする話は説教じゃない」
「はあ……」
「だいたい、俺の性格をよく知ってるくせにあのクソジジイめ、だまし討ち同然にグランドマスターなんかに祭り上げやがって。おかげで片腕なくした後も冒険者どもの尻を叩き続けなきゃ――俺の話はどうでもいいんだよ」
「いや、何も言っていませんよ」
曇天の中でも、空が夕焼けに染まりつつあることくらいはわかる。
なぜか、ドラゴンの出現はいずれも日中に集中していて、夜間の襲撃は目撃情報の上じゃ一度もない。
もちろん、前例に縛られて油断することはあってはならないけど、とりあえず俺とレナートさんの監視の役目は日没まで、と決められている。
そんな、見張り終了まであと少しというところで切り出すような話題じゃない。
なぜか、聞く前からそんな予感がしていた。
「テイル、王都であってからこっち、お前に色々なことを教えてきたよな?」
「はい。レナートさんが稽古をつけてくれたおかげで、今の俺があると思っています」
「なら、俺はお前の師匠と言えるわけだ。そして、師匠の命令は絶対だよな」
「は、はあ、理不尽すぎることじゃなければ、従いますけど」
「安心しろ。お前のためを思ってのことだ。じゃあ、命令するぞ」
「はい、どうぞ」
「近いうちに、白いうさぎ亭に一度帰れ」
「……」
肯定でも否定でもなく。
俺は沈黙を選んだ。
「お前も分かってたはずだ。公王陛下もマクシミリアン公爵も、リーナ嬢も、口には出さなかったが、お前が白いうさぎ亭に帰るどころか手紙一つ出してない状況を心配してたことを」
もちろんわかっている。
衛士兵団宿舎の俺の部屋の寝台脇には、ジュートノルから送られてきた手紙が何通も積まれている。
ほとんどはティアやルミルからの、その日の出来事が綴られたもので、文末には必ず俺への文句が添えられている内容だ。
一度、ダンさんからの手紙が来たときは心底驚いた。
文面自体はとても短く、こっちは心配いらないとかそんな感じのことしか書いていなかったけど、それが却ってダンさんらしさがにじみ出ていたことを憶えている。
ターシャさんからは、あの手紙以来、一度も来ていない。
「理由はわかってる。お前は家族を、お前の居場所を、戦いに巻き込みたくなかったんだな」
家族なんて、はっきりと言葉にしていいのかわからない。
だけど、だけど、だからこそ、俺は白いうさぎ亭を背負って、前を向いて戦えているんだと思う。
背負って、決して振り返らない。みんなのことは考えない。
こんな、尋常じゃない力を振るうようになった俺を見たらみんながどう思うか、今は考えずに済むから。
「とはいえ、だ。もう自分の役割は終わった、って考えてるんじゃないか?」
考えなかった、と言えば嘘になる。
王都奪還戦争までは、俺自身と俺の大切な人達への脅威が、確かにあった。
災厄による魔物の群れの襲撃だったり、不死神軍だったり、レオンだったり。
だけど、ドラゴンの標的は俺じゃなく人族そのものだ。
ノービスの英雄に祭り上げられてはいても、騎士でも衛士でもない俺が望んだことじゃない。
今も戦っているのは、ジオやレナートさんたちへの義理だ。
「テイル、お前には感謝してるよ。お前がいなきゃ、ここまでの公国の道筋はずいぶんと様変わりしてただろう。もちろん、悪い方向へな。それが、こうしてドラゴンに対して万全の準備を整えられている」
衛士兵団、公都ジオグラッド、タイタン。
その全てに俺が関わってきたことは、まぎれもない事実だ。
そこに、大きな影響を及ぼしたことも否定できない。
実際、最近のジオは、俺を英雄として扱うだけで、実戦に参加させることはほとんどなくなった。
正直、お役御免にしてくれても問題ないんじゃないかと思い始めているところだ。
「まあ、お前の気持ちも分かるが、もう少し付き合っておけ。いや、いてくれ。公国がお前という切り札を手放すのは今じゃない」
「……レナートさん、何かあったんですか?」
出すまいと思っていた声を出したのは、レナートさんの変化を感じ取ったからだ。
客観的に把握している状況説明じゃなく、私情を含んだ自嘲の声色を。
「実はな、俺の加護は近々消滅する」
今度は、意識的なものじゃない、本物の絶句だった。
レナートさんの加護が消えるということは、王国最強の冒険者がいなくなるということだ。
なぜ、どうして、どうする。
そんな言葉にならない衝動が次々と浮かんでは、問いかけて意味はあるのかという反問に打ち消されていった。
そんなことをしなくても、答えはすぐにやってくるのに。
「結論から言うと、ドラゴンって存在を舐めていたってことだ。俺も、テレザも、公王陛下もな」
「どういうことですか?」
「王都で受けたドラゴンブレスがな、右腕を持って行くだけじゃ満足できなかったらしい」
「傷が、まだ治っていないってことですか?」
「お前も聞いたことくらいあるだろ。失われた手足を復活させる高位治癒術の噂を。そして、テレザはその使い手の一人だ」
「じゃあ、なんでレナートさんの右腕は無いままなんですか?」
「簡単に言うと、傷口から侵入したドラゴンの魔力が、治癒術を減衰させるらしい。切断面の血を止めたり皮膚で覆う程度はできても、一定以上の治癒神の加護を弾いてしまう。実際は、もう少し複雑な仕組みらしいがな」
「つまり、レナートさんの加護が消えるっていうのも?」
「神に匹敵するドラゴンの魔力が、加護と反発しあって打ち消すって話だ。今はまだ、悪さする冒険者どもをしばき回るくらいなら余裕だが、今じゃ全盛期の半分も力が出せねえ。ドラゴンブレスを防ぐなんて芸当は二度とできないだろうな」
「だから、竜災が終わるまではジオに協力しろってことなんですね……?」
「そこまでは言わねえよ。せめて、ドラゴンの群れが襲ってきても公国が十分に対抗できる、ってところまでは見届けてほしい。なに、そう長い話じゃない」
その時、強風でレナートさんのマントが捲れて、ドラゴンブレスを防いだ代償に失った右腕があらわになる。
片腕がなくなれば平衡感覚が失われて、戦うどころか歩くことすら困難になると聞いたことがある。
そんな中で、加護が消滅する恐怖と戦いながら、レナートさんは自分の役目を全うしようとしている。
「……わかりました。レナートさんがそう言うなら」
「満足に加護も使えねえ奴が師匠面するのも変な話なんだが、俺にも守りたい奴がいる。だから、お前の大切な奴らを引き合いに出すという、姑息な手段を使わせてもらった」
「姑息だなんて思いませんよ。俺だって、使うべき力があったらなりふり構わず使いますから」
「そこまで覚悟できてるんなら大したもんだ。だが、時には足を止めて、後ろを振り返れ。自分の帰るべき場所を確認して、決して忘れるな。どんなに強大な力を手に入れても、それで心が強くなるわけじゃねえし、それで強くなっちゃならねえ」
「はい、……はい」
「まあ、今すぐってわけにもいかねえだろうが、早めにな。じゃねえと、俺みたいに後任が見つかるまで引退できなくなっちまうからな。まったく、テレザの奴め……」
最後は俺への説得というか、ただの愚痴を聞かされる形になったけど。
レナートさんの言葉は、俺の心に深く沁み込んだ。
別に、一生帰らないと決めていたわけじゃない。
だけど、先のことはこの竜災を乗り切ってからだと、固く誓っていた。
それまで、白いうさぎ亭の誰かと会えば、戦う意志を保てなくなると思い込んでいた。
だけど、俺の役割は終わりを迎えつつある。
気を抜くにはまだまだ早すぎるとは思うけど、一日とは行かなくてもほんの少し、会いに行ってもいいんじゃないのか?
少なくとも、そんなことで悩めるくらいには、俺の心は軽くなっていた。
レナートさんの説得は、まさにベストなタイミングだったと思う。
それは、俺に監視以外の仕事が無くて長話をできる状況だったという、個人的な事情だけじゃなく。
公国の、アドナイ王国全体の事情として、この日しかなかったと断言できる。
翌日、数十匹の黒竜の群れが公都に襲来した。