谷の麓というタイミング
ある程度の予想はできていたけど、橋の向こう側はもはや人族の領域とは呼べなくなっていた。
伸び放題の草木に、魔法でも使ったのか所々えぐれている地面。
名残こそ残っているものの、王都へ続くはずの街道は馬車どころか人も通れないくらいに荒れ果てていた。
もちろん、衛士隊の能力なら街道を修復させることもできるだろうし、俺も喜んで手伝う。
だけど、事はそう簡単なものじゃなかった。
「絶対に前に出るな!功を焦って抜け駆けした奴から魔物のエサになるぞ!!」
土橋を通過して谷から降りてきたのは、第一陣の残り八百と俺達四人。
分かっていたこととはいえ、使い物にならない街道の惨状に少なくない嘆きの声が聞こえた後、各部隊長の指示で修復が始まろうかと思ったその時、平原の方から聞こえてきた無数の足音と共に、そいつらが現れた。
「ヘ、ヘルジャッカル……」
ヘルジャッカル。
草原に生息するする四つ足の魔物で、少数の群れで行動して自分達よりも弱い生き物を捕食する。
もちろん、人族も例外じゃないけど、犠牲者のほとんどは女子供で大の男は滅多に狙ってこない。
それも、ある程度の人数で固まっていれば脅威になることはまずない魔物だ。
だけど、この日は違った。
「な、なんで、こんな数……!?」
通常、群れ単位でしか動かないヘルジャッカルは加護を持たない平民にとって恐れるべき存在だけど、しっかりと武装した冒険者パーティや騎乗した騎士が追い払えばすぐに逃げていき、しばらくはその場所に近寄ってこない。
だから、あまり危険視されないことで有名なんだけど、今俺達に向かってきているヘルジャッカルは明らかに敵意をむき出しにしていた。
少しでも視界を確保しようと、馬車の上に飛び乗って強化した視界で見た限りだけど。
群れの数は約五十。総数は二百頭以上。
一目でわかる異常事態だ。
「ぼ、防御陣形!!急げー!!」
思考停止しようが、恐怖に足が止まろうが、彼らは衛士。
状況を正しく理解した部隊長の怒声がきっかけで、訓練によって染みついた無意識の動きが八百人に力を与えて、あっという間に二百人ずつ四つの密集隊形を作った。
「盾構え!!」
さらに、部隊長の命令で外側の衛士が一斉に背負っていた盾を掲げる。
金属の光沢が放つ抗戦の意志に、急速に接近していたヘルジャッカルの足が鈍る。
だけど、まだまだ狩りを諦めていないらしく、防御陣形の周りを旋回し始めた。
すでに衛士隊の間合いに入っているとも知らずに。
「総員、投石用意、始め!!」
足元の小石を拾う人、予め携帯していたものを使う人。
用意もサイズも様々だけど、部隊長の号令と共に一斉に放たれた数百の投石はほとんどが威嚇にしかならなかったものの、一部がやせ細った魔物の体を捉えて転倒させた。
「ケダモノ共が怯んだぞ!塹壕設置!」
僅かに下がったヘルジャッカルの動きを、注意深く観察していた部隊長は見逃さず、次の命令を飛ばした。
その途端、密集している衛士隊がゆっくりと地面に沈み始めた。
「あれは……」
「なんだ、テイルは塹壕を知らんのか」
ヘルジャッカルと対峙する衛士隊のさらに後方。
万が一のために谷へと戻る道を確保できる本陣と言うべき位置に、俺達の姿はあった。
理由はもちろん、衛士隊の戦いを邪魔しないためだ。
「ああやって、身を隠せる程度に地面を掘った空間のことを塹壕っていうんだ。まあ、衛士隊は魔法で掘るし、見た目はただの穴なんだがな」
「でも、それでどんな効果が?」
「単純に、攻撃しづらいのよ」
そう言って、レナートさんの出番を奪ったのはリーナだ。
「昔、まだパーティを組んでいたころに、穴を掘る習性がある魔物を討伐したことがあったのだけれど、周囲に何個も小さな穴を掘ってそれが地下で繋がっていて、その中を逃げ回っていたわ。とにかく、一匹倒すのにも大変で、特に魔力が空になるまで魔法を無駄打ちさせられたルミルは激怒していたわね」
「そうなのか」
「まあ、衛士隊のとはちょっと、いやかなり違うんだがな……他にも、ヘルジャッカルの目線に合わせることで間合いをはかりやすくなってる。んで、あちらさんが近づいてくれば――」
「放て!!」
レナートさんの説明に合わせるように部隊長の一人の声が届き、何頭かのヘルジャッカルの鳴き声が響く。
少し高い位置にある谷の麓からも、また魔物の攻撃を防いだのは一目瞭然だった。
「これだけやれりゃ、第二陣が来る明日まで持ちこたえられそうだな」
「第二陣を待つんですか?」
「第一陣の役割は王都までの街道の修復だからな。元低ランク冒険者が多く、魔物討伐を得意とする第二陣の援護を受けながら、えっちらおっちら工事に励むってわけだ。もっとも、当初の予定は狂っちまうんだがな」
「じゃあ、ヘルジャッカルとの遭遇は……」
「本来はこんなに好戦的な魔物じゃないのさ。エサはその辺でくたばった獣や他の魔物の食べ残し、それか自分達よりはるかに弱い小動物くらいにしか手を出さない習性のはずなんだがな……」
「もしかして、災厄の影響だっていうの?」
珍しく言葉を濁すレナートさんに、勘が鋭いリーナがすかさず切り込む。
だけど、それに答えたのは別の人だった。
「先ほどのレナートの説明の通り、ヘルジャッカルは滅多に人族を襲わない魔物です。それが、ここまで狂暴化したのは災厄の影響としか考えられません」
「うわっ!?」
今回は、目の前で魔物との戦闘が起きていることもあって、死角はもちろん五感を総動員して警戒していた。
にもかかわらず、ガーネットさんの接近を感知できなかった。
リーナも相当驚いたらしく、俺も二の句が継げない中で、ガーネットさんが、
「失礼しました。つい癖で、いつもの足運びを使ってしまいました。テイル殿を驚かせるつもりはなかったのです」
「テイル、ガーネットの神出鬼没ぶりにいちいち反応してちゃキリがないぞ。言ったろ、アドナイ国教会で一番おっかない連中の一員だって」
「心外ですね。私は教会の敵を滅していただけで、民を脅かしたことなど一度もありません。それよりも、いつにするのですか?」
唐突に話題を切り替えたことだけは分かっても、その内容までは分からない。
そんな中で答えたのは、長い付き合いらしいレナートさんだった。
「なんのことだ?俺は衛士隊の戦いを見守ってるだけなんだがな」
「とぼけるのはやめなさい。橋を通過して以降、あなたの関心が公国軍からの離脱のタイミングにしかないことは分かっています」
「タイミングって、とうとう俺達だけで行くんですか?」
「それを今、考えてるって話だよ」
ちょっと不満そうな声色を見せながら、それでもレナートさんの話は続く。
「正直、当初の予定じゃ今夜にでも出発するつもりだったんだがな、今は迷ってる」
「衛士隊は魔物の襲撃に対応できているみたいだし、別に問題があるようには見えないけれど?」
「そっちの心配なんざハナからしてねえよ。基本、俺の心配は俺のことにしか向かねえんだ」
「最悪ね……」
「最悪です」
「最悪ですね……」
「ここぞとばかりに団結してんじゃねえよ!!……アンデッドの匂いがねえのが、ちょっとな」
「そうですか」
レナートさんとガーネットさんがそう言い合って、沈黙が訪れる。
二人の視線は王都の方を向いていて、ぞっとするほどの冷気がこっちにも伝わってくる。
やがて、聞きたくても聞けない雰囲気に気づいてくれたようで、俺とリーナの方を見たレナートさんが、
「ワーテイルの死霊術がどれほどのもんかはわからんが、不死神の加護があったとしても数万のアンデッドを完全に制御できる人族は存在しない」
「高位の騎士や冒険者を使役するだけでも手一杯のはずです。死後と言えど、ジョブの加護で得た魔法に対する耐性が完全に消えるものでもありませんから。ましてや、数だけは多い普通のアンデッドの管理までは行き届いているわけがありません」
「つまり、どういうことですか?」
「その辺に腐乱した死体や骨の一つでも転がっていないとおかしいってことよ」
「リーナ嬢の言うとおりだ。距離はまだまだあるが、王都まで大した障害や高低差もないこの辺りで一体も見つからんとなると、何か作為があると考えるべきだ」
「でも、行くんですよね?」
食い気味の俺の言葉に、レナートさんが驚いた表情を見せてくる。
当然だ、言った俺が一番驚いているんだから。
ジオの命令があるとはいえ、わざわざ案内役を買ってくれている以上、レナートさんの指示には素直に従うべきだ。
ところが、俺の提案はまるで逆で、最低限の安全すら確認せずに行き当たりばったりで出発しようと言っているようなものだ。
むしろ、判断を保留する方向に傾いていたレナートさんの迷いを無理やり誘導するような口の出し方だ。
だからこそ、言いたいことは言ってしまおうと思う。
「今、王都に迫っているのは公国軍だけじゃない。連携して不死神軍と戦おうとしている王太子の派閥もですし、他にも多くの貴族が兵を率いて来ているかもしれないんですよね?」
「あくまで可能性の話だがな」
「でも、万が一俺の目的の物を先に手に入れられて、真実を知った四神教の信者がどうするか、大体の想像はつきます」
「極一部ですが」
そこに、割り込んできたガーネットさんがなぜか俺への理解の色を見せ始めた。
「神の遺物が発する気配――神気を感知する司祭や聖術士がアドナイ国教会に存在します。もし、彼らが王太子派などに従軍して遺物の気配に気づけば、テイル殿の危惧は現実のものになるかもしれません」
「……神気か、なるほどね。そっち関係は俺の専門外だが、せめて昨日までに聞いてりゃ、もう少し策を練る余裕があったんだがな」
「そこを臨機応変に修正するのがあなたの役目であり、私の役目でもあるのでしょう」
「まあな」
相変わらず、レナートさんとガーネットさんのやり取りは展開が早すぎてついていけない。
それを補ってくれたのが、俺の肩に手を置いたリーナで、
「そうと決まったのなら、早めに食事を摂って仮眠しておかないとね」
「リーナ?」
「テイル、あなたが決めたのだからその通りになるということよ。今夜、王都に向けて出発よ」
「いいのか……!?」
「さっき挙げた違和感を放置するのも気持ち悪いしな。嫌な予感は自分で確認するのが一番だ」
「聖職者の末席に座る者として、不死神軍の動向は把握しておく必要があります。状況によっては、私達だけで殲滅することも視野に入れるべきです」
「そ、それはさすがに……」
そう言いかけて、メンバーを見て少し考えを変える。
この三人、いや、俺を含めたこの四人なら、ちょっとやそっとのことじゃ早々にはやられない自信がある。
不死神軍の殲滅という目標は、きっと俺の尻を叩くために大げさに言ったんだろう。
「アンデッドを滅ぼすのは久しぶりです。万が一のうっかりがあったとしても、無数の死体を隠れ蓑にごまかしはいくらでも利きますから、今回は本気を出せそうです」
……大げさに言ったんだろう、と信じたい。
こうして、夜更けの頃合いを見計らい士官用馬車を抜け出して街道を外れた俺、リーナ、レナートさん、ガーネットさんの四人。
この先に待つのは希望か絶望か。
その答えは王都にある。