クソみたいな橋
腕立て橋と呼ばれるそれは、橋というにはあまりも不安で不安定で、クソだった。たったと、増水とかがけ崩れで、流れてしまってくれたらいいのにと思ってしまう位。それくらい、クソだった。
だが、無くなってしまっては困る。死活問題になるから。
激しい渓流に隔たれた外界とここを結ぶ唯一の路。
そして、数多の流されてしまった橋の死骸の山の上に立つ、唯一の、この場所で成立し続けている橋なのだから。
構造としては至極単純。
蔓を編むように束ね、ロープにし、あやとりのように数多に交差を重ねながら、毛糸のマフラーでも編むように作られ、こちら側と外界の対岸に渡されたそれは、さながら巨大なハンモックのよう。
左右に手すりなんてない。
漆やゴムといった様々な樹脂の混合物を塗り込んだことによって、伸縮性としなやかさと弾力性を持った、その端を、私たちは転がって渡る。
街に行くときなんて、だから最悪だ。
夏の早朝のこと。
涼しげな日差しにさわやかさを感じながら、軽かった足取りは、あのクソみたいな橋の前で重くなった。
ザァァァァァァ――
渓流の流量はいつもの通り。河童が川流れしてしまいそうな位、えっぐい流れ。川を直接横断するなんてまず考えられないくらい。
それに今の私の恰好、
やぼったい恰好でなんて出られない。当然スカートだって履くし、髪の毛だって整える。服はひらりらとレースや飾りつけがついていて、恥ずかしくないくらいにおしゃれ。白いフリル。かけらのようなクリスタルの飾りの輝き。白いソックスに白い靴。日焼け止めとサイフを入れた白い小さなバッグ。
だというのに、上を転がっていくという渡り方するしかないから、乱れに乱れる。
街中みたいに人がいっぱいな訳じゃないし、近くに男の人がいないことさえ確認しておけば問題ないのが不幸中の幸いだけど。
それは嫌だった。特に今日は。気になる男の子に遊びに誘われた。その子は街の子。ほんと、うらやましい。うらやましい。
目の前の橋を見て、現実に引き戻される。
私が横に寝転がっても、まだまだ幅が余る橋。なら、と思って、足掻くことにした。
この橋をつるしているこちら側の棒の片方からよじ登り、いつもだったら転がり始めるところで、転がるのではなく、足を下ろし、立ってみた。
どうしてこれまでそうしなかったのだろう? どうして誰もそれを教えてくれなかったのだろう。
やってみればあっけないものだった。
ギィィ。ギィィ。
きしむような音が鳴る。
この橋は丈夫だ。千切れるなんてありえない。足元に穴が開くなんてことも。
怖いことといえば、ただ一つ。足を滑らさないかどうか。
けど、思っていたよりも大丈夫そうだ。足の裏からめり込んで吸いつかれるかのように、私の足は、蔦にめり込んでいるから。そして、次の一歩、と足を踏み出そうとして、あっさりめり込んでいる足は抜けてくれるのだから。
この調子。この調子。
流さ数十メートルの橋。いつもよりも、長く、そして、落差を大きく感じる。
渡るとき、当然だけど、真ん中にいくほど、よく凹む。水面が近くなる。下手すれば、近くなるを通り越して、水に沈む。というか、大概そうなる。
今日なんて、別にいつも通りの水量なのだから、多分沈む。
……。靴を脱いだ。ソックスを脱いだ。捨てていく訳にはいかないから、丸めて、脇に抱えて。
ギィ。ギィィ。
パシャッ。ギィィ。バシャッ。
足首から下は完全に水より下。
バシャッ。バシャッ。
重い。重い重い。
より深く沈む。転がるときとは違って。だいたい転がるときだったら背中とおなかとお尻が濡れるくらいで済んだのに。
膝下位まで沈んでしまっていた。
足は重く、重く、重く、動けない。前にも。後ろにも。
ザァァアアアアアアア!
水の音がいつもよりも近く、大きく、聞こえた。
ザァアアアアアアアアア!
なんだか、更に深く、沈んでいるような……。
膝を越えて、太腿へ。
強く横から押され続けるような感覚。踏ん張るけど、踏ん張れない。もうダメだ、と後悔してももう遅い。
私は自身の体が横薙ぎに倒される感覚を感じ、絶望し、諦めた。
目を閉じ、苦しくないように息を止めて、無残に流されてゆく。
ブクククククク、ゴォオオオオオオオオオ――、バスッ、グンンン、ザバァンン!
っ! ……。ほんと、クソみたいな橋……。
安全のために計算されて備え付けられた下流の網に弾かれ、跳ね返され、強制的に立ち上がらされた私は、全身ずぶ濡れになった自分を自覚する。
そして、靴とソックスは、もうこの手にはない。バッグも当然。
人を助けるためのこの網は、落とし物を拾い上げてくれない程度にはガバガバなのだから。
こんなじゃあ、街へは行けない。ごめんなさいの連絡も入れられない。楽しい今日が流れて、月曜日がいつもより数段憂鬱に待ち受けることに決まって、私はこの場を後にした。
ほんと、クソみたいな橋。……。惨めにずぶ濡れになりながら、負け犬みたいに引き返すことしかできなかった。
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