じっかい
―――ああ、これで、10回目。
人生において、10回のやり直しの機会を与えられた私は、最後のやり直しをしたことに気が付いた。
もう、私はやり直すことが、できない。
1度目は、2歳のころ。
長屋の端の家で飼っていた秋田犬にがぶりとかまれた時。
顔面をがぶりとかじられて、眼球が破裂して、脳髄がこぼれだしたあの時。
私は太ももをかませて、命を長らえることに成功した。
2度目は、5歳の時。
保育園横の公園で一人で遊んでいたら、暴走車が飛び込んできてそのまま遊具と車に挟まれて内蔵が飛び出したあの時。
私はジャングルジムから飛び降りるのをやめて、難を逃れた。
3度目は体育の授業中。
跳び箱の上で前転をしてバランスを崩し、脳天から落ちてそのまま意識を失った時。
頭のてっぺんではなく、右肩から落ちることで意識を失わずにすんだ。
4度目、受験で遠くに出かけたあの日、早めに出かけようと朝一の電車に乗って、一番前で並んでいたあの時。
並んでいるおじさん同士がいさかいを起こして殴り合いになり、よけたパンチが私にあたってよろけた瞬間電車が通過したあの時。
腹部にきついパンチを受ける事で食べた朝食をすべて吐き戻したものの、記憶のすべてを撒き散らさず受験にぎりぎり間に合うことになった。
5度目、会社の同僚の車に同乗することになって共に取引先に行き、一方通行だから引き返してと懇願したものの、大丈夫だからと言われてそのまま進み、前からトラックに突っ込まれたあの時。
同僚の手を握って、ドギマギさせることに成功し…車を道路わきに停車させ、体積の半分を圧縮する大事故から逃げ出すことができた。
6度目、主人と初めて訪れた鉄のリサイクル施設で、タイミングを見計らって横断しようとして…右を見ないで突っ込んだあの時。
私は、初めて、自分の命を守るためではなく、誰かの命を守るためにやり直しをした。
私は、主人を、失いたくなかったのだ。
主人のいない人生が、信じられないくらいつまらないものだと知っていたから。
主人のまわりに集まる魅力的な人物、胸を踊らせる出来事。
主人が消えてしまったら、すべてが消える。
…私は、主人と共に過ごしたい。
…私は、主人のいない人生を送りたくない。
…私は、主人と何度だって苦難を乗り越えたい。
いつだって、主人との人生はハッピーエンドで終わっていたから。
私は、この人生を、何度も生きている。
主人と出会う人生も、出会わない人生も、何度も何度も生きてきた。
この後起きる出来事の流れを、ある程度知っている。
この後起きる出来事を知っているから、私は主人を生かしたいと思った。
主人の命を守ったことで、私の人生は確定したのだ。
…私は、主人の命を守るために、自分のチャンスを譲る人生を送ることになったのだ。
やけに何も考えない主人は、命を大切にできないタイプの人物だ。
今までだって、何度も危機を乗り越え…信じられないラッキーの恩恵を何度も受けていたのだから、今回も大丈夫だと、勝手に思い込んでいた自分の甘さを知る。
危険から遠ざけようと、回避の道筋を辿ろうと、もがく日々が続く。
私がもがけばもがくほど、危険を顧みない、主人。
7度目は、雨の激しく降る日に屋根の上に登る計画を強行して、アンテナを取り付けたあの時。
傾いた体を滑らせて体を激しくアスファルトに打ち付け、皮膚がはじけ、臓物が飛び出したあの瞬間。
大きな声をあげて激しい罵倒を聞かせることで、怒りに満ちた主人を屋根の上から下ろすことに成功した。
8度目、自己流で倉庫を作って、二階部分で足を滑らせ、頭をかばうスキがないままコンクリートの床に頭をめり込ませた時。
コンクリートの床に燃えるゴミを所狭しと並べておいて、腕と肩の骨を折らせることに成功した。
9度目、飲めない酒を無理やり飲まされ、断り切れずに呼吸を止めたあの時。
私は主人の酒をすべて奪い取って飲み干し、自らが生死の境をさまようことで事なきを得た。
そして、今回、10回目。
仲のいい近所の友達と出かけた主人は、つい、よそ見運転をしてしまい、前方から突っ込んで来たトラックを見る暇もなく、ただのたんぱく質とカルシウムの塊に成り果てた、その瞬間。
あなたの見つめるべきものは、夢見心地の仲の良い友人の表情ではなく、迫る危険となんだと、気付いてもらいたくて…電話をしつこく、しつこくかけた。
鳴り止まない電話の音に、苛立った主人は、車のドアを開け、スマホを片手に車外に出て。
同乗者の重体と、自身の左半身損壊を、主人は受け入れなければ、ならない。
同乗者は、目を、覚まさない。
同乗者は、もう、二度と、目を、覚まさないのだ。
覚ましたところで、表情を表す顔の部分が機能しない。
覚ましたところで、感情を表すための心の在処は機能しない。
同乗者の家族は、主人を攻め続ける。
こんこんと眠り続ける同乗者は、何も知らないまま、何を思い続けるのだろうか。
人工物に侵された、人であった名残を残すただの肉体に、心は残っているのか、それとも。
主人は、これから、どう生きるだろうか。
主人は、この先、生きてゆくことができるだろうか。
主人は、私がやり直し能力を使って…その命を長らえたことなど知らぬまま、自らの命をあっさりと捨ててしまうのかもしれない。
私の知らぬ人生が、今、進行している。
私は、どこで道を間違えたのだろうか。
私の知る、主人との人生は、幸せに満ちたものだった。
私の知る、主人との人生は、紆余曲折ありながらも、幸せにたどり着くものだった。
私は、主人の人生に、手出しをしてはならなかったのだ、おそらく。
やり直すのではなく、そうならないために道筋を変える、そういう努力をしてきたけれど。
…私の努力は、実らなかった。
やり直せるならば、やり直せばいいのだ、そう考えた私は、今、こんなにも後悔をしている。
…私はもう、やり直すことができない。
私を蝕むのは、病なのか、それとも。
私がやり直したのは、正解だったのかそれとも。
私は間違えたのか、それとも。
私が欲しかったものには、もう、手が届かない。
私の判断は正しかったのかどうか、それはわからない。
この先、私は、もう、誰の命も救えない。
主人がしきりに、僕は助からないほうがよかったのだと口にする。
動かない左半身を右手で叩きつけながら、涙をこぼして命の存在を悔やんでいる。
助けるならば、主人だけではなく、同乗者も助けるべきだったのだ、おそらく。
けれど、私は、同乗者など、助けたいとは微塵も考えない。
私は、私の幸せを阻害する存在を助けようとは思えない。
私は、ただ。
主人と共に。
幸せな人生を送りたいと、願っていたのに。
もう、やり直すことはできない。
もう、この人生を歩むことはできない。
もう、この人生を歩むことは、できないのだ。
私は、最後の「私」という人生を、心行くまで楽しみなさいと…10回のやり直しの力を頂いたのだ。
何度も何度も繰り返し、苦難の多い「私」という人生を生き抜いた私への、管理人からのプレゼント。
何度も何度も誰かの罪を許し、何度も何度も学び、何度も何度も手を伸ばして助け、何度も何度も生き抜いた、ご褒美。
私は、それを、使い果たしてしまった。
私はもう、誰も助けることができない。
私はもう、私として生まれることができない。
私はもう、私の人生の岐路に立てないのだ。
この人生は、最後の「私」の人生。
私の最後の人生は、辛く、暗いものとなった。
私が助けた主人の人生は、まだまだ終りが見えない。
私が助けた主人の人生には、今後、私は出現しない。
何度も私と共に過ごし、何度も私と寄り添ってくれた主人に感謝をしながらも。
最後の人生で、私を裏切った主人が、どうしても、許せなかった。
私は、自分のしでかしたことを悔いる主人を見ながら、命が尽きるその日まで、この人生を生きてゆく。
私は、喜びの多かった主人との人生の中で、数少ない悲しみという感情を与えてくれた、この人生を、生きてゆく。
この、悲しみを魂に刻んで。
私は次の新しい人生を生きるために、前を、向く。
ご主人の心境
人が雨の中作業してやっているのに、感謝もせず文句ばかり言うな。
人の苦労して作った倉庫にゴミを貯めるとはなんと堕落したやつだ。
人の酒を奪って飲んでつぶれて…よくも僕に恥をかかせたな。
腹立たしいことばかり言う、管理のできない、恥知らずの嫁。
それに比べて…。