第9話 早起き
下部に前作までの簡単な登場人物紹介があります。参考にして下さい。
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「はぁー」
朝の目覚め。時計は午前5時。彩衣先輩との勉強会が楽しみで早起きしてしまった。私服に着替えて両親を起こさないようにいつもとは違った道をランニングした。
和奏の家、2階にある和奏の部屋は電気が消えている。まだ寝ているんだろう。
水の残っている田んぼ、小学生の時に体の片側だけ落ちていたやついたよなぁ。
この用水路、落ちていた下級生を友達と引き上げたことがあったよなぁ。
工場を囲うように鬱蒼と茂る草を掻き分けて冒険したよなぁ。
小さい頃の思い出が色々と蘇る。犬の散歩をする女性、杖をつきながら散歩する老夫婦に挨拶をしながら走っていた。
少し遠回りをして大銀杏のある神社の前を通る。彩衣先輩の家を見たくて奥にあるバス停側の道を選んだ。バスに乗るつもりが無ければ滅多に通らない道。
リビングの窓から灯っている明かり。中までは見えないがスマホを見ると5:30。ずいぶんと早起きなんだなぁ。
家の外観を見ただけで本人と会ったような満足感へと変わり、足早に走って家に帰った。
* * *
約束は11時。和奏が家に来る予定。2分程前にインターホンが押されて母親に呼ばれた。「和奏ちゃん久しぶりねぇ、つきあってるの?」なんて囃し立てられながら家を出た。和奏のことはキチンと否定しておいた。
「久しぶりにおばさんに会ったわ。変わらないわねぇ」
「小学校の高学年になると流石に家の行き来はなくなったもんな」
「お母さんに椎弥と勉強会するって言ってたら会いたがっていたわよ」
「和奏の母さん、美人だもんな。男子の憧れだったのを覚えてるよ。和奏も母さんにそっくりだよな」
「えっ、それって……」
「和奏、高校でモテるだろ。いいやつだからな、付き合えたやつは果報者だろうな」
「椎弥、私が誰かと……。やっぱりいいや。ほら、お弁当作って来たんだ」
「おー、さすが和奏だ。才色兼備の女子高生、僕なんかが手を伸ばしても手の届かない高嶺にいらっしゃる」
「まったく、椎弥ったら、バカ」
「ほら、彩衣先輩の家が見えてきたぞ、待ってるかもしれない、急ごう」
逸るこころが足を速くする。普通に歩く和奏の歩みが遅く感じられた。
彩衣先輩の家は神社の手前にある小道から奥に入った一角。古くからある建物と神社によって大通りからは僅かしか見えない。神社から直接向かえば畑を抜けて直ぐだが、さすがにこの歳になって他人の土地を通り抜けるなんてことは出来ない。
「この小道って懐かしいな。小学校の時は良く来たもんな」
「亜紀ん家ね。今はもう県外に引っ越ししちゃったけどあの時、椎弥って亜紀みたいな人が好きなんかなぁって思ってたよ」
「ほら、小学生って友達に何か言われるとその気になっちゃうことあるじゃん。良く遊んでいいたから友達にからかわれてなー。それから少し意識するようになってさ」
「それなら私のこともからかわれたんじゃないの?」
「和奏は無かったな。和奏のこと好きな奴多かったから亜紀とくっつけたかったんじゃないかな。そういえば、和奏が誰かと付き合ったって話を聞いたことないな」
「そうね、何回か告白はされたけど受けたことは無いわね。でも、それはお互い様でしょ、あの時までは良くモテてたじゃない」
「野球に夢中だったからな、あの時は……大変だったけど、いま思えば良かったのかもな。僕のことを考えてくれた人だけが今もつながってる。ありがとうな和奏」
「いーえ、どういたしまして。そのうち返してもらうからいいわよ」
ペロリと舌を出す和奏。
小道を抜けた先、彩衣先輩の家。神社から見た通りの家、それほど大きくはないがひとりで住むには十分な広さ。
「いらっしゃーい、ゴメンねせまい家で」
「彩衣、こんにちは。お昼作ってきたよ、ほら」
大きなお弁当。桜の花びらが縫われたピンクの風呂敷に包まれている。かすかに感じる匂いが食欲をかきたてる。
「お、おじゃまします」
玄関をキョロキョロ見回す。女性の家を訪ねるなんて小学生以来で緊張してしまう。家の匂いが鼻腔を刺激し頭に血液が集まってくるのが分かる。彩衣先輩に感じていた匂いの本丸が僕の思考を奪う。
「ちょっと椎弥、なにをキョロキョロしてるのよ。失礼でしょ」
「い、いや……初めて何で緊張しちゃって」
「ふふふ、あんまり見ないでね。恥ずかしいから」
下駄箱の上には流線型の不思議なオブジェクトが置かれ、正面には大銀杏の写真が飾られている。葉が生い茂っている大銀杏。しかし、そんな写真を気にする余裕もなくリビングに入った」
「良いところだ……」
思わず口をつく。リビングの窓から大銀杏がでかでかと見える。もし葉が生い茂ったら黄色い葉の嵐が凄く良く見えるだろう。
「いいにおーい」
和奏が声をあげた。お菓子を焼いている匂いがキッチンから漂ってくる。
「おやつにお菓子を焼いているの。じゃあ勉強会を始めちゃいましょう」
「和奏、彩衣先輩……あの……、お弁当の匂いにお菓子の匂いが……お腹が空いちゃって」
聞えないように一生懸命我慢していたお腹の音が一気に噴き出すようになった。クスリと笑う彩衣先輩、全くもうという感じの和奏。
「ふふふ、じゃあ和奏ちゃん。良かったらお昼にしちゃいましょうか」
「そうね、椎弥がこの調子じゃ勉強中もお腹の音が聞こえてきそうだからね」
お弁当箱を広げる和奏。お弁当の定番ともいえるメニューの数々が並ぶ。
「すごいな和奏。料理まで出来るなんていつのまに練習したんだよ」
「こういう時のために練習したのよ。お母さんや彩衣に教えてもらったの」
「彩衣先輩も料理が得意なんですか」
「ひとり暮らしが長いからね。わたしは感覚で作るけど和奏ちゃんはしっかりレシピを作ってたわ。食べてもらいたい人がいるんだなぁってのが伝わってきてたわよ」
「ちょっと彩衣、それ以上はやめてよね」
クスリと笑う彩衣。
「和奏が料理を食べさせたいやつか……。悪いな和奏。そいつより僕が先に食べちゃって」
「ふふふ」
彩衣先輩がにこやかに笑った。
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前作までの登場人物:
1B:花咲椎弥
……主人公:人間不信があったが徐々に心が融解されていく。
中村茜 ……クラスメート、美術部
西田謙介 ……クラスメート
担任:涼島啓介 ……担任、美術部顧問
美術部:2A:小鳥遊彩衣 ……心が読める不思議な少女
2C:海野夏美 ……元気、あまり異性を感じさせない
3C:石原早希 ……頭が良い。美術部が大切
幼馴染:原田和奏 ……家が近い。小学校の通学班が同じ距離に住む
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