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雪の翼  作者: 谷兼天慈
3/4

第3話「第三楽章」

 ───ガラッ───

 引き戸を開けるとそこは音楽室だった。普通の教室とは違ってかなり広い空間である。

 音楽室は教室のある校舎とは別の校舎の最上階にある。

 長方形をした校舎の端の場所にあるので両側に大きな窓があった。そのために室内はどの教室よりもとても明るくなるのだ。

 入口よりも奥まった場所、左側のすみにグランドピアノが、そして黒板の上には名だたる作曲家の肖像画が飾られてあった。もちろんボクの好きなベートーヴェンもだ。

 誰もいない───すでに授業は始まっているにもかかわらず、不気味なくらいの静けさがあたりに漂っている。

 この日、音楽の松村先生は出張でいなかった。市が主催するクリスマスコンサートに学校の吹奏楽部が出演することになっていて、その打合せのために今日一日音楽の授業はどの学年もなかったのだ。

 音楽室は生徒たちの教室がある校舎とは別棟になっている。

 一階の玄関近くに職員室があるだけで、あとの教室はすべてが理科室とか視聴覚室とか、そういった普段はあまり使われることのない部屋がほとんどであった。

 ボクはこの音楽室が好きだ。でも、なかなか入室する機会がなかった。

 それはここが吹奏楽部に占領されていて、一番すごしたいと思っている放課後は部外者ということで入れてもらえないからだ。

 だからといって吹奏楽部に入部するつもりはさらさらなかった。

 クラシックなどの音楽を聞くことは好きである。でも自分で楽器をあやつることはボクにはできなかった。

 ピアノとかギターとかなぐさみ程度に触ってみたことはあるけれど、根気がないというか、けっきょくものにはならなかったのだ。

 ましてや吹奏楽部のような集団でするようなものは、ボクのようなヒネくれものにはついていけなかった。

 とくにこの高校の吹奏楽部は上下関係が厳しい。同じクラスの女の子で吹奏楽部に入っている子がいたが、いつもそのことで悩んでボクに相談しにきていた。

 話を聞けば聞くほどいやになってくる。部長がとても厳しいらしく、いつも怒鳴られているそうだ。彼女は彼女なりに一生懸命やってるっていうのに、まったくそれはないと思う。

 それに、大勢で何かをするということは苦手だ。だからボクには向かないと確信した。

「雪だ」

 ここ何日かやんでいた雪が、いつのまにかまた降ってきていた。

 北向きの窓に目を向けていたボクは傍らの少女へと視線を移す。

「アンジェ?」

 彼女も同じように窓から外を眺めている。

「ここからの眺めはとても素敵だわ」

 唐突に彼女はそう呟いた。相変わらず夢見るような口ぶりだ。

「そうだね」

 窓枠に手をそえ、外を見ながらうなずく。

「ボクはここからこうやって外を眺めるのが夢だったんだ」

 ここからの風景はこの時期とても淋しい。

 でも、時間によってはまた格別な眺めにもなる。今はまだその時間ではないが。

 目線の先には連なる山が見える。

 その山々に夕日があたると、言いようのないくらいの素晴らしい眺めになるのだ。

 残念なことに今は雪が降るばかりで、灰色の姿を見せつけているだけだ。

「あ…自転車…」

 アンジェが呟く。山並みを眺めていたボクは反射的に目線を下にもっていった。

「ああ。ほんとだ」

 校舎の下には駐車場を兼ねた玄関前の庭が広がっている。その先には校門があり、出たところに広い道路が走っている。

 ボクが見たとき、ちょうどそこをどこかのおじさんが自転車で通りすぎるところだった。

 しばらくそんな光景をじっと眺めた。

「ボクは中学のときから、この高校の音楽室に憧れていた…」

 ボクは呟く。すでに自転車のおじさんは、もうどこにも姿が見えなくなっていた。

「図書館へ向かうあの道はボクのお気に入りだった。ほとんど毎日のようにあそこを通って向こうに見える図書館へかよっていた」

 白くてしゃれた建物が見える。そばには町で一番の大きさを誇る市民会館が寄り添うように建っていた。山を背景に、雪にかすみながら淋しそうに建っている。

 目のはしにアンジェの横顔が見える。彼女はボクの目線を追っているようだ。目を細めて窓の外を見つめている。

「ここを通るのは放課後だったから、音楽室から吹奏楽部の練習する音がいつも聞こえていた。トランペットやフルートなどの気持ちのいい音色がボクの耳に届くんだ。たぶんあの教室は音楽室にちがいない。いつかあの教室から、沈みゆく太陽を見つめることができたらどんなにいいだろうと思った。それなのに、いざ入学してみると、ボクのささやかな願いもなかなか叶わぬものだと思い知らされたよ」

「聖夜くん……」

 アンジェが身をよせてきた。ふんわりといい香りが立ちのぼる。

「アンジェ……」

 さらに彼女はボクの手にそっと自分の手をそえた。

「………」

 ボクはじっと彼女のその手を見つめる。白くて細い、完璧な美しさのその手を───

「ここに入学したとき……」

 ボクの手は、あの夜のあたたかさを感じていた。

 とても幸福だ。これ以上はないという高揚感が身体を包み込んでいく。

 その気持ちに酔いしれながら、ボクは言葉を続けた。

「……ここでは音楽と美術は選択で、ボクはもちろん音楽を選択したよ。授業の時にはここに入れるからね。でもボクが一番望んでいた夕日をひとりで眺めることはやっぱり無理だった」

 ボクは再び窓の外を見やる。

「ここにはいつだって誰かがいたんだ。土曜の昼からだろうが、日曜日だろうが、人がいない時間はなかった。部活が休みの日なんてなきに等しかったよ。そりゃそうだ。ここは吹奏楽部の部室のようなもので、この学校でも文化部で一番に活躍している花形の部だったからね。ひとりで音楽室を満喫するなんて夢のまた夢さ」

「どうして…」

「え…?」

「どうしてあなたはそんなにひとりでいたいの?」

 ボクは彼女の顔を見つめた。

 なんて悲しそうな表情だ。今にも泣きだしそうな顔───何だか妙な不安が心にわきあがり、ボクはそれを打ち消そうと喋りだした。

「どうしてって……他人はボクのことなんかどうでもいいって思ってるから……だから、ボクはひとりでいたいんだ……そうだよ…」

 喋っていくうちに何となく確信めいた気持ちにとらわれていく。

「そう、そうだよ。人間なんてどうせ独りなんだ。たとえ愛する人がいたって、いつかは死という別れがやってくる。死ぬ間際にそばにいてくれたって、ボクと一緒に死んでくれるわけじゃあない。死ぬ時はみんな独りぼっちってことさ」

「そんなことないわ!」

 アンジェが血相かえて叫んだ。

「そんな淋しいこと言わないで。この前もお話したじゃない。海の底の天使のことを。彼女には彼女のことを慈しむ姉妹がいるわ。悪いことをして罰をあたえられても、姉妹たちは彼女を忘れない。忘れられなければ独りではないわ。あなたも天使を思ってくれるひとりでしょ。天使には姉妹もいるし、あなたもいる。独りぼっちじゃないわ。誰かがどこかで自分のことを思ってくれてると、そう思えるだけで自分は独りじゃないんだって人は信じられるのよ。あなたにだっているじゃないの。あなたを思ってくれる人たちが」

「え……?」

 わからない。なぜ彼女はこんなに一生懸命に喋っているのだろう。

 でも、彼女はおかまいなしに喋り続ける。

「あなたにはお父さまがいるし、お母さまもいるじゃない。それにお友だちだって……」

「友だちなんてボクにはいないよ」

 ボクは言い切った。

「たしかに少しは親しくしている者はいるけれど、ちっとも友人って感じじゃない。彼らはボクをまるで年上のお兄さんかなんかみたいにしか見てくれないし、そうじゃなかったら、ただからかって遊んでるだけだ。そんなのが友だちってもんなのか? もっとこうお互い助け合ったり、励まし合ったりと同等の位置にあるもんじゃないのか?」

「………」

 アンジェの顔はさらに深い悲しみに包まれた。なんだか苛めているようで辛くなってくる。

「ごめん……」

 ボクは素直に謝った。

 こんなこと言うつもりじゃなかった。今までだって本音を喋るなんてことは絶対しなかったのだ。それをどうしてだろう。彼女にだけは素直に自分のいやな面をさらけ出せる。

「きみを悲しませるつもりはなかった。こんなこと考えてるから…だから友だちができないんだよね」

「そんなことないわ」

 彼女は健気にも微笑んでくれた。

「あなただけじゃないわ。そういう考えにとらわれてしまう人は。ただ、自分だけの思いに沈み込んでしまってはだめ。今のように、もっと他人にぶちまけなきゃ」

 確かに彼女の言うとおりだ。頭ではわかっているんだ。でもどうしても本音をさらけだせない。

「ボクは心の底で他人を信用していないのかもしれない。本音を喋った瞬間に、相手は自分を傷つけるんじゃないんだろうかって考えてしまって臆病になるんだ」

「でもだからといって、そんな自分は他の人間とは違う、異質なんだって思うのは性急すぎると思うわ。あなたが思うほどみんな本音をさらけだしているわけじゃないのよ」

「そうかもしれないね……」

 ボクはうなずいた。少し心も落ちついてきたみたいだ。

「ボクはあまりにも思いつめすぎるのかもしれないね。そうすることはこれからの永い人生をまっとうするにはつらいことだろう。途中で挫けてしまうかもしれない。そうならないように、ボクは多少なりとも楽観的に生きるべきなのかもしれないね」

「………」

 なぜかアンジェは悲しそうな顔をした。

「や…やくそくするよ!」

 ボクは慌てて叫んだ。彼女のそんな顔は見たくない。

「約束する。もっと他人と話すようにする。もっと心を強くして傷ついても立ち直れるようになる。きみのそんな悲しい顔は見たくないよ。だからきげんを直して笑ってくれ。お願いだから」

「聖夜くん……」

 ほとんど泣きそうになっていた彼女の顔にかすかな微笑みが戻ってきた。

「よかった……」

 とりあえずほっとして胸を撫で下ろす。

 彼女はそんなボクの様子にずいぶん機嫌がよくなってきたみたいだ。

「雪がすごいわ……」

 アンジェはボクから視線を外し、またもや窓から外を眺めた。

 ボクも彼女にならう。

 幻想的な風景が広がっている。普段ならばそう感じることもないだろう。

 ただ町並みが広がって、緑多い情景が見えるばかりだからだ。

 都会とはとても言えない。ここはこれからも高層ビルの立ち並ぶ場所とはならないに違いない。

 木々はだんだんと雪に彩られ、いつもの風景が見たこともない町へと変わっていく。それは変身願望の強いボクにとっては羨望の気持ちをいだかせる情景だ。

 雪の持つ魔法───白い魔法はすべてをいつもと違う世界へと変えてくれるのだ。

 雪はどんどん降ってくる。

 駐車場にとめられた先生たちの車も、街路樹も、遠くに見える山々さえも真っ白に変わりつつあった。

「そういえば……」

「え?」

 アンジェの呟きでボクは物思いから引き戻された。

「あのコンサートのピアニストもこの高校の卒業生じゃなかったかしら」

「ああ…よく知ってるね」

 ボクは少し驚いた。

 目を向けると、彼女は片目をつむってみせた。そんなおどけた仕種もなんだかすごくかわいらしい。

「あら。ファンだったら知っててあたりまえでしょ」

「うん。そうだね」

 ボクは少し赤くなってうなずいた。

「彼女ってあなたとは正反対の人だったみたいね。ほら、あのエッセイ読んだ?」

「読んだ、読んだ」

 何だかとても嬉しくなって声がはずんでくる。そういえば、彼女のことを話せる相手なんて今まで誰もいなかった。

「自分の思うことははっきりと主張する。かなりきつい性格だったらしいね。まったくボクとは正反対だ」

「でも……」

 ボクの言葉に、彼女は不満そうな声を出した。

 どうしてだろう。ボクと正反対だと最初に言ったのは彼女なのに。

「だからといって書かれてあることをすべてうのみにしてしまうのはいけないわ」

「だって!」

 ボクは少し声を荒らげた。

 なんとなく釈然としない。いったい彼女は何が言いたいんだろう。

「小説とはちがうんだよ。うそ書いちゃだめだろう!」

「あら。そういうつもりで言ったわけじゃないわ。彼女はうそは書いていない。ただ、書かれてあるものの向こうにある作者の真実の心っていうものを読み取らなくちゃ……そうでなくちゃファンとは言えないわね」

「そんな……」

 ボクは思わず絶句した。

 人間は何もかもを既知しているわけではない。

 確かに、文章から作者が何をいわんとしているかを読み取ることは不可能なことじゃないだろう。でも───

「でもすべての人が文学者というわけじゃないんだ。書かれてあることでしかその人の人となりを知ることはできないよ。ボクは今までだってそうやって他人を理解してこようとした。他人と意見を交換するなんてあまり得意じゃないもんでね。ボクなりの人間探査というやつさ」

 思わず握り拳つきで力説する。

「?」

 ボクは訝しそうに眉をひそめた。

 彼女がにこにこしている。さっきまでのあの悲しそうな表情がうそのようだ。

「こほん……」

 ボクは咳払いをした。何だか知らないけど照れくさい。

 でもまあ、彼女の表情が明るくなってくれたことは喜ばしい。

「よかった……」

 彼女はボクに近づいてきてそう呟いた。胸に身体をそっと押しつけてくる。

「アンジェ…?」

 ボクはどぎまぎしてしまった。

 ───どきん、どきん───

 胸の鼓動が激しい。普段よりも少しはやくなっていくのがわかる。

「………」

 腕をまわし、おそるおそる彼女をそっと抱いた。でも彼女は動こうとはしなかった。

「あなたがそうやって、他人のことを少しでも知りたいって思ってくれただけでもよかったと思うわ」

 彼女はボクの胸に顔をうずめていたため、くぐもった声になっている。

「ボクだってわかってるさ」

 しっかりと彼女の身体を抱きとめ、少しでも男らしいところを見せようとした。

 時として自分の弱さを認めることも男らしさだと、ボクはこのとき気づきつつあったのかもしれない。

「分かってるさ。人間は独りなんだってかっこつけてるけど、その実、心では人恋しくて淋しいって叫んでるボクが見えるんだ。もっとみんなに近づきたい、もっとボクを知ってほしい。それはもう強迫観念のようにボクの気持ちを支配している……」

 そしてボクは気がついた。

「そうか……きみはこれが言いたかったんだね。人は見かけによらない。羽賀さんは見かけ通りの人間ではないかもしれない。そしてそれはもちろんボクにもあてはまるんだ。ボクだって見かけ通りってわけじゃない。一見クールで世の中を冷めきった目で見つめているようにも見えるけど、ほんとうは誰よりもさみしがりやなんだ……」

 ボクの胸でアンジェが身じろいだ。顔を上げてボクを見つめている。

 ボクは彼女の視線を感じながらも、彼女には目を向けることなく話しつづけた。

「なんだか、きみとこうしていろんな話をしていたら、ボクという存在もそう捨てたもんじゃないなって思えるようになってきた。今までボクは他人と心から話し合うということをしなかったけれど、それはやっぱり怖かったからなんだ。でもきみにボクの胸のうちを聞いてもらってわかった。他人にボクの話を聞いてもらうこともまんざらそう悪いことでもないね。そう思えてきたよ。きみに感謝しなくちゃね」

 ボクはここでやっと彼女の顔をまともに見た。

「聖夜くん……」

 彼女はこぼれんばかりの笑みをうかべていた。

 なんてかわいい笑顔なんだろう。それに美しい。

「………」

 ボクの心に不思議な想いが生まれようとしていた。

 ボクはそんなに永い時を生きてきたわけではないけれど、今までにこんなに完璧な美しさをそなえもった女性を見たことがない。

 まるで───そう、まるで神のつくりたもうた芸術作品のように均整のとれた存在───

「きみは……」

 思わず口をついて出る。

「きみはいったい何者なんだ?」

「………」

 彼女はボクの身体からそっと離れた。窓を背にして姿勢を正す。

 彼女の後ろで雪はさかまくように降っている。ほっそりとした彼女の身体は、降りしきる雪に飾られて何かしらえも言われぬ神秘さを見せていた。

「あ……」

 ボクの見ている前で、彼女は黙ったまま後ろ手で窓をひらいた。

 ───ブワァァァ───

「ああっ!」

 開かれた窓から雪が風とともに吹き込んできた。彼女を取り巻いて吹雪く。

 まとわりつく雪は、あくまでやさしく彼女を包んでいる。

 ボクはプラットホームに立つ少女の姿を思い出した。彼女はあの時の少女と同じ雰囲気をかもしだしていた。

 身体にまとわりついてくる雪───その眺めは冷たく見えるはずなのに、なぜかそうは見えない。

 あたたかい───以前、彼女に感じたあのあたたかさを吹雪に感じる。

 と、そのとき───

「あ…つつつ……」

 またもや胃痛がボクを襲った。こんなときになんて間の悪い。

「?」

 なんだろう。とつぜん言いようのない不安が心を駆け抜ける。

(なんだか、いつもの痛さとちがう……)

 ボクはだんだんとひどくなっていく胃痛にたまらなくなって、その場にうずくまってしまった。

「アンジェ……?」

 ボクは痛さをこらえながら、顔を上げて彼女を呼んだ。

「?」

 彼女がいない。

 開け放たれた窓からは相変わらず雪が吹き込んでいる。

 だが、雪をまとわりつかせながらそこに立っていたはずの彼女がいない。

「!」

 ボクは驚いた。

(ああ、信じられない───)

 窓の外はふぶいている。さかまく雪の向こう側にはいつもの見慣れた山々が連なっていた。

 だが───ボクは非常な恐怖を感じた。

(ああ、なんということだ!)

 山が赤い。

 鮮やかな夕日を浴びて、山々は赤く輝いていた。その茜色を背景に雪は白く荒れ狂っている。

「!」

 さらにボクは驚愕した。

 雪が───白くふぶく雪が、今や白い羽根と変わっていたのだ。あとからあとから吹き込んでくる。

 今や音楽室は真っ白な羽根でうめつくされようとしていた。

「天使の羽根───」

 窓の外も真っ白だ。

 空から舞い降りてくるもの、はるか天空を目指し螺旋を描きながらのぼっていくもの───無数の羽根は見つめる瞳を真っ白へと変えていくようだ。

 ───バサァァァァ───

 翼の羽ばたく音が───それも巨大な翼が───聞こえたような気がした。

 ボクは窓に辿り着こうとして手を伸ばす。だが動けない。

「ああ……」

 ボクはだんだんと意識が遠のいていくのを感じた。

 いったいボクはどうしてしまったのだ。

 アンジェはどこへ行ってしまったのだ。

 ボクは夢を見ているのだろうか。では、どこからが夢で何が現実というのだろう。

「重い………」

 なぜこんなに身体が重いのだろう。まるで重りをのせられたようにまったく動かすことができずにいる。

 いつのまにか痛みは消えていた。

 だが、痛みが消えたわけではない。何も感じられないのだ。まるで麻痺したかのように何も感じられない。

「憧れた景色……」

 もうろうとした意識のなか、必死になって窓の外を見つめた。

 羽根は今はだいぶ少なくなっていた。赤く染まった山がボクに手招きしているみたいだ。

 なんだか見えているものが遠のいたり近づいたりして見える。

 すべてがゆらゆらゆらめいている。そしてだんだんとぼやけていく。

「ボクは……」

 ボクは───最後に何を言おうとしたのだろうか。その呟きはたぶん自分自身でさえもわからなかったにちがいない。

 そして目を閉じる。それはたぶん醒めることのない永遠の眠り───

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