1・女子会準備
ガランガルダンジョン下町には上の町と下の町がある。
町があるのはヤロウ山脈のふもとで最も大きな川の傍に迫り出した岩盤の上。
巨大な岩盤は半ばから割れ、片方の町が高く、片方の町が低くなっている。
その岩盤の割れ目に、ダンジョンへと潜るための入り口がある。
下の町は比較的新しくできた区画という事もあって、他所から移住してきた者が多く住み、多少なりとも荒事の多い町でもあった。
そんな下の町の食堂兼酒場。
「女子会に相応しいメニュー?」
何だそれはとサトルが問えば、仕事も頭も雑と評される酒場の店主、タイムは、雑に答える。
「分からん、だから聞いてる」
雑だなあと思いながら、サトルは考える。
サトルの知る女子会という概念がこの世界にあるとは思えない。という事は、その女子会と自動翻訳されている会合は、サトルの知っている女子会とは違う可能性がある。
「今回依頼された女子会って、具体的にどんな会なんだ? 何を目的としていると聞いてる?」
その文化を知らなければ聞きましょう。海外旅行の心得に従い、サトルは雑なタイムに再度問う。
「オリーブ姐さん所の、女性陣が店借り切ってやる慰労会」
オリーブとはサトルが世話になっている冒険者のグループのリーダーだ。
オリーブ姐さん所の女性陣、というと、サトルのよく知る面々の他に、臨時でパーティーを組む冒険者仲間や、オリーブが所属している互助会の女性を指すことになる。
「ああ、そういう事か。で、誰をどうゆう理由で労わる?」
それは聞いていなかったのか、タイムはうーむと腕を組んで唸るばかり。
「予算は? 後誰が来るか分かってる?」
冒険者メンバーだけなら、サトルも知った仲が多い。何だったら食や酒の好みも網羅している相手すらいる。
「予算は一人銀貨三枚から五枚、二十人ちょっと来るって。店に入るギリギリ。あと酒はいっぱい欲しいらしい。むしろお前の料理は期待してないからって言われた」
タイムの料理に期待をするくらいならば、オリーブたちはサトルに頼むだろう。それだけの自負サトルにあるのではなく、そう思わずに居れないほどタイムの料理は雑なのだ。
「まあそうだろうな」
予算銀貨五枚。サトルが家を世話してもらっているダンジョン研究家のルーなららば、半月の食費にはなると言いそうだが、ルーの食生活ははっきり言ってタイムの作る料理並みに雑なので宛てにはならない。
それでも、銀貨五枚という金額が、一回の食事にしてはかなり多い方であることは確かだ。
金額の幅が広いのは、酒をどれだけ飲むことになるか分からないからだろう。
それだけの金額を提示されたなら、普段出している料理では問題だろうと、そうタイムが考えるのも仕方ない。
「オリーブさんとこの女性陣と言うか、ローゼルさんのとこの互助会は、酒飲み多いからな……料理よりも酒メイン。酒が入るならある程度塩分濃いめ、肉と魚両方用意、ラパンナやヌーストラの人のために基本は油少な目、野菜多め、胃に優しいスープ物も選べるようにして、その上で甘い物も二種類以上用意しておけばいいじゃないか?」
酒が入るのなら塩分が欲しい、とは、サトルが普段世話になっている別の冒険者、マレインの言葉。
美食のために冒険者をやっていると言っても過言ではないらしい彼は、酒のあてについても一家言があるらしく、サトルにこんこんと説明したことがあった。
それを踏まえ、サトルは提案する。
この町のダンジョンは病気や怪我の平癒と美食に特化している。だからこそマレインの様な冒険者が居付くのだそうだ。
「えー、めんどくせえよ、うちのメニュー知ってるだろサトルー」
一日に一品だけスープを仕込んで、煮込みと焼き物の二品くらいしか選べず、たまに気が向けば揚げ物をするという雑運営の、雑な酒場。それがタイムの切り盛りする銀の馬蹄亭夜の部だ。
もっとも、このガランガルダンジョン下町の下の町と呼ばれる区画の大衆居酒屋ならば、料理は多い方だ。
酒以外は加工肉やチーズ、干した果物がメインの提供物、せいぜい炙るための竈を持ってる程度、という場所もザラにある。
それでも他所の町に比べれば美味しい酒のあてだという。そう考えると、このガランガルダンジョン下町以外で生活するとしたら、現代日本の食に慣れてしまったサトルとしては、なかなかに辛い環境かもしれない。
タイムは水と火の精霊と契約が出来たので、雑な頭そのままに、それを楽に生かせる家業を継いで居酒屋をやっている。
そんな銀の馬蹄亭で慰労会などあまり賢い選択とは言えないが、銀の馬蹄亭は昼間をタイムの父親が、夜をタイムが仕切る事で、長い時間何時でも開いている状態にしてあるため、活動が不規則な冒険者にとっては、有難い場所だった。
「面倒でも少しくらいは頑張れ。そんなんだと親父さんにどやされるぞ」
「だって面倒なのは面倒なんだよ」
面倒と言われ、サトルは肩を落として盛大にため息を吐く。
サトルは仕方ないなあと呟きながら、料理についての相談があると聞いていたので持ってきたノートを開き目を通す。
「ったくお前はなあ……」
この世界に来て色々食べて、気になった物を書き付けたり、ルーの家にあったレシピを再編したノートだ。
サトルがわざわざこんなものを作ったのは、一種の趣味であり、別に深い意味はない。もしあえて意味を付けるのなら、ただメモをして、見える範囲に日本語を書き付けておかないと、不安があったのかもしれない。
自分が望まずして異世界来てしまい、此処ににいるという、得体の知れない恐怖や孤独を紛らわせるための作業だ。
ルーの家にあった「タチバナ」の日本語の手紙やレシピも、同じ気持ちで書かれた物だったのだろう。
目を通しながらサトルはもう一度ため息を吐く。
「じゃああれだ、まずいつもの野菜スープを作れ。具材は大きめにして。いつもよりも多め。それでそこに白身の魚、塩ふって水分しっかり拭き取ったククカープの羽切りの切り身を入れて、魚に火が通ったら鍋から上げて置いて置く。料理として出す直前に多めの油で両面をさっと焼く。クランブルワインのソースで、塩を強めに効かせて、刻んだデイルを少しだけ振る。横にサフルライムの半切りを添えて、好みで絞って食えと言えばいい。これで野菜と、スープと、魚料理だ」
ククカープはガランガルダンジョン下町でよく食べられる鯉の仲間。羽切りは内臓を取った後の輪切りの断面がクジャクの羽のように見えるからそう呼ばれる切り方。クランブルワインはガランガルダンジョン下町の特産フルーツの酸味の強い甘みのあるワイン。デイルはよく匂い消しや食中毒予防に使われるハーブ兼薬草。サフルライムはダンジョンの中で採取できる柑橘類で魚料理用にタイムが自分で採取に行くことも多い。
つらつら口にしながら、随分と自分もこの町になじんだよなあと、サトルは感慨深く思う。
サトルがこのガランガルダンジョン下町に来てからもう二ヶ月だ。
「むう……それ位だったら」
サトルの提案にタイムは難しい顔をしながらも、それなら自分もできるかもしれないと勢い込む。
「どうせ親父さんが作るようなシュニッツェルとか面倒なんだろ? 焼き物はいつものチキンのグリルを多めに用意しておけばいい。鶏肉はパサつきやすいから、ソースだけ深皿に二種類か三種類、別に用意しておいて、それを付けて食べるように言えばいい。こっちもクランブルワインのソースと、後はハーブバターでもいいし、何だったらタチバナのレシピから照り焼きのソース教える。ああ、いや、ソースは親父さんに作ってもらえよ? お前雑だから塩とか入れ忘れるだろ」
「あははー、まあな」
自分の雑さを否定しない。そこはもうちょっと努力するとか、そんなことを言うべきところだろうに。そんなサトルの呆れを感じてか、タイムはいやいやと首を振る。
「俺だって頑張ってるんだ、けどなサトル、人には向き不向きがあると思わねえ?」
「注意力散漫は向き不向きの問題じゃないだろ。責任感の問題」
「それ親父にも言われたなあ」
あははーと笑うタイムに、サトルはもう一度深々とため息を吐く。
人に何度言われても改まらないのは、本当に改める気が無いのか、それとも甘えているのか。
ダンジョンに潜る際は、意外と周囲に気を払っているので、きっとこの雑さは甘えなのだろう。
いい歳した男に甘えられると言うのは、何かしらうすら寒い気もするが、まあ甘えてもいいという信頼をされているのなら、それに答えるしかないかと、サトルは次の提案に移る。
「で、後はいつものように芋を揚げるでも焼くでもいいから用意しておいて、甘い物は、オリーブが好きなリンゴとカラントのオープンタルトを三ホールくらい作ってクリーム添えておけばいい。親父さんにクランブルのジャムのベルリーナ作って置いていてもらえば、まあ彼女たちなら満足するだろうな」
うっす、と適当に答えるタイムは、本当にサトルの言葉を覚えているのかどうか。
雑な頭で雑に覚えているだけ、当日も雑に作って雑に給仕をするのだったら目も当てられないことになりそうだ。
オリーブたちにも借りは返しきれないほどあるので、こうなれば乗り掛かった舟として、最後まで慰労会の手助けをするべきだろう。
サトルは自分のノートに目を落とし、当日も手伝う覚悟を決めた。