0・コウジマチサトルは勇者だが、非力である
「コウジマチサトルのダンジョン生活」の重要なおさらい。
特殊業務の会社員、コウジマチサトル(二十六歳)は、ある日目覚めたら異世界にいた。
サトルは元の世界では比較的異世界、という存在に対して寛容な仕事をしていたので、すんなりと……というには多少現実逃避じみた形で、その異世界で暮らすことに順応した。
そんなサトルが異世界に来た理由は、その世界にある「ダンジョン」と呼ばれる特殊な空間が、サトルに助けを求めたから。
ダンジョンの異変を解決するための勇者として、サトルの力を必要としたと言う。
この日、サトルは改めて己の身の上を話した。
サトルの話を半信半疑に聞きつつ、ジスタ教会治療院の有能治療士、兼シスター見習いのアニスは「ふーん」と気のない返事。
サトルはその反応を好ましく思い、口の端に笑みを浮かべる。
人というのはすぐに他人を利用する。
それ自体が悪だとサトルは思わない。しかし、サトルは自分から困っている他人に手を貸すことをいとわない反面、無遠慮に利用しようとしてくる人間にはつい警戒心を持って接してしまう。
ところがアニスはサトルを何かに利用したいと思う事もなく、話を聞いて、不思議そうにするだけ。
「サトルはつまり、異世界からダンジョンに呼ばれた勇者なのね?」
「らしい」
「勇者ってもっと強そうな人なんだと思ってた」
「俺も」
サトルがいるこの町「ガランガルダンジョン下町」は、その名の通り「ガランガルダンジョン」と呼ばれるダンジョンのひざ元にある。
と言っても、ダンジョン自体は町の下から近隣の山脈や平地に広がる空間。広さで言うならば、たぶん東京二十三区よりも広い範囲に広がっていると思われる。
そんなダンジョンの空間に近年異変が生じ、その異変を解決するための人材として、サトルは選ばれ、この世界に呼ばれたらしい。
それをサトルに告げたのはダンジョンの管理者を称する妖精。
彼女たちが言うには、管理者である一人の妖精を、悪い「夜の色の竜」がバラバラにしてしまった。そのためダンジョンが崩落や変質をしているのだという。
ダンジョンは世界に恩恵をもたらすものであり、ダンジョンによって人の世界は潤う。
そのダンジョンを失うことは人にとってはとても困るので、ダンジョンに選ばれたサトルを支援する者達もいる。
が、しかし、サトルはそんなサトルを支援する誰よりも、自分が非力な存在だと思っていた。
「どうしてサトルが? 何か心当たりはある?」
アニスもサトルと同じように、サトルが勇者であるなんて、まるで似合わないと思っているようだ。
それもそうだろう、アニスと会うのはたった一度を除いて、常に命の危機やらそうそうないような怪我をした時だった。
今も、サトルは瞼が腫れ、唇は切れ、頬は赤や青に染まり、見てわかるほどの傷や痣が至る所に付いている。
サトルの感覚が正しければ、手足の指の骨のいくつかと、肩や肋骨の先端の骨などは、剥離骨折やひびが入っているかもしれない。
慣れているとはいえ、やはり怪我は痛い。全身に及ぶ傷や骨折は呼吸をするだけでも痛む箇所が何箇所かあり、サトルは胸の痛みに耐えるように、浅い息をできるだけ静かに何度も繰り返す。
アニスはそのサトルの傷を、掌をかざし癒していく。
どういう魔法なのか、この世界の知識に乏しいサトルにはまだわからないが、サトルの目にはアニスの掌周辺に、淡い緑の光が舞っているのが見えた。
「あるとも言い難いんだが、最近気が付いたことがあって……それを考えると、無いと言い切れないかもしれない」
サトルはダンジョンの妖精を見ることが出来る。普通の人間は特殊な条件江でもなければ、妖精は光の粒にしか見えないらしい。
そしてもう一つ、サトルは妖精とはまた違う、精霊に好かれ、その精霊たちが力を行使するときのエネルギーを目視することが出来た。
しかしサトルは以前の世界でそんな超常現象を、一人だけ目視できる、という事も無かったので、これはダンジョンのある世界に来て行こう、勇者として付加されたものだと思っている。
ならば何がサトルが勇者たり得る条件だったのだろうか。
考えてみると思い当たる物が無くもなかった。
しかしそれを人に話すのは有りなのか無しなのか、サトルはまだ自分の中で判断付きかねていた。
「煮え切らない返事ねえ」
「基本的に俺は非力なんだよ」
勇者と言われるにはあまりにも普通の、一般市民でしかないサトル。
むしろ健康状態が良かったことの方が稀な人生だったので、いっそ一般人よりも非力かもしれない。
「そうね」
そしてアニスはそんなサトルの言葉を真顔で全肯定する。
「否定くらいしてほしかった」
拗ねたように溢すサトルに、アニスはひょこりと肩をすくめる。
「一般人に道端で絡まれてボコられて財布を奪われてるんだもの、非力でないと言われたらその方が困るわ」
サトルが今日治療院に運ばれた理由は、たまたま行きずりの暴漢に絡まれ、一対三でボコられ、財布を盗られ、捨て置かれたからだった。
彼らが何故サトルを狙ったのかは不明。殺さない程度に痛めつけてやれ、という悪意すら感じる執拗な暴行に、サトルは思うところがあったが、それを確かめるすべは今のところ無い。
ボコられたサトルを見つけたのは、ジスタ教の敬虔な信者で冒険者をしている二人の青年。
以前サトルが初めてダンジョンに潜る際に気にしてくれていたことから、少し話をしたことがあった二人だ。
二人は倒れているサトルを見つけ、すぐに治療院に運んで手当てをするよう頼んでくれたのだ。
最初の印象はあまり良くなかったが、思想はともかく根っこからの善人であるらしい二人に、サトルは深く感謝した。
「だよなあ……ホップ達には感謝してる」
ホップとオーツと名のった二人の冒険者は、もうすでに治療院を後にしている。
話をしているうちに、傷の痛みがすべてなくなったので、サトルはアニスに帰ると告げる。
「そろそろ俺は帰るよ」
「お帰りは裏口ね」
アニスは正面からは出るなと釘を刺す。
その理由は、サトルがダンジョンに選ばれた勇者だからだ。
ガランガルダンジョン下町には、今三つの勢力がある。
一つは町が出来た頃からある、直接は国に属さないガランガルダンジョン下町自治体。一つはダンジョンを神が人に与えた試練の地と考えるジスタ教教会。一つはガランガルダンジョンがある土地の所有者である国の貴族で作られた貴族議会。
この三つの勢力は、ダンジョンの勇者の言葉を言質に、ダンジョンの所有権を主張したり、ダンジョンが神から与えられたものであると宣言させたり、ダンジョンから得られる恩恵や富を独占するために利用したりなどの思惑があるらしい。
もちろんそれぞれの勢力が一枚岩ではない事や、現状維持の状態こそが一番恩恵を受ける者達もいる。
そんな権力争い、利権争いに巻き込まれているサトルである。
正面から帰ろうとしても、すんなりと帰してはもらえないので、いつもアニスはサトルを裏口から逃がすようにしていた。
「ああ、ありがとう。けど、君らの立場は本当にいいのか?」
「問題ないわ、私人を利用するの好きじゃないもの。それに一応、勇者様のお役に立てれば、少なくとも実績っていう面では積み重ねられるらしいわ」
それをアニスに言って聞かせたのは、たぶん助祭のチャイブだろう。
サトル、というよりも、サトルの世話になっているダンジョン研究家に思うところがあるらしく、色々と便宜を図ってくれている。
アニスの言うところによると、チャイブは元々ジスタ教会内でも、排斥傾向にある獣の特徴を持つ人間に対して、特別に理解を示しているとのことだった。
見た目が違えど、人は人。罪や穢れはどのような人間にもある物だと。
アニスはつい最近までチャイブの言葉の真意を実感できず、理解していなかったそうだが、最近ではサトルと話をするうちに、種族的な特性よりも、人は個々の資質の方が大きいのかも知れないと感じるようになっているらしい。
今回のサトルへの暴行を行った者達が、獣の特徴を持つ人間ではなく、ヒュムスと呼ばれるごく一般的な人間だったことも、アニスの思想の転換に大きく拍車をかけたようだ。
何せサトルは全く宗教観の違う世界からやってきた存在だ。
アニスが生まれてこの選ぶ余地もなく受け入れてきた宗教とは全く違う考え方を持っていた。その考え方に触れた時の衝撃は、まるで初めて水を水として認識した盲目の人のように、目が覚めるほどの衝撃だったとアニス自身が語ったほどだ。
そんなわけで、アニスはサトルに懐いていた。
十も歳が離れているので、サトルとしては妹か娘がいたらこんな感じなのかもしれないと思って接している。
そんな可愛い妹分から助言が有った。
「それに、貴方が警戒するべきは、貴族議会の方だと思うわ」
貴族議会という言葉を、サトルはたびたび耳にしていたが、今だその議会の人間と会った事は無い。
サトルが知る貴族関係者は、遠いつながりで、せいぜい貴族の屋敷で料理人をしていたことのある人間に会ったことがある、程度だ。
もしくは、元貴族令嬢で、教会の治療士をしているアニスか。
「お父様は何を考えてるか知らないけど、お姉さまに手紙を出したら、とっくにあなたの事知ってたわ」
「ああ、だろうな」
サトルがダンジョンの崩落から、一人の死者も出さずに巻き込まれた者たちを救出した事や、竜と懇意にして、今は同じ部屋で暮らしていることなど、すでにダンジョンの町で噂として出回っている。
それを社交にいそしみ、耳ざとい貴族がスルーするとは思えない。
「気を付けてね」
「いざとなったら、竜の巣にでも逃げ込むよ」
本気で心配をしてくれるらしいアニスに、サトルは少しでも不安を払拭してやろうと、軽口を叩く。
「あはは、それでは国王軍でも敵わないわね」
人が束になっても叶わない最強生物、竜。それと懇意にしているのだから、人が手を出そうとすること自体が間違いなのだと、サトルはニヤッと笑って見せる。
安心して笑うアニスの笑みに、サトルも自然と口の端がほころんだ。