魅せる?
俺は呼ばれたカウンターへと向かうとカウンターの向こう側、お客様である姫達が普段は座る事の無い椅子に1人の可愛らしい女性が座っていた。
その隣にはこの姫の担当であろうホストが座り姫を挟み反対側には店長が座り、俺を呼びに来たヘルプのホストだけが俺と同じカウンターの中に居た。
少しだけ怪訝な思いを浮かべ、顔には出さずにその座っている3人の近くへと行くと。
「貴方が氷室さん?」
姫からそう問われ俺は瞬時に一礼をした後に。
「はい、私が氷室です。何か不手際でも御座いましたか?」
そう聞いた。すると姫は笑顔で首を横に振りながら。
「違うよ違うよ、すごく素敵なリンゴをありがとう」
そう笑顔で言ってきた。頑張った甲斐が報われる気持ちで俺は最大限の笑顔を彼女へと向けてもう一度今度は深くお辞儀をした。
「それでね、呼び出したのは氷室くんさ、姫の目の前で1回でいいから、リンゴをカットしてくれない?花の飾り切りが見てみたいんだよね?」
そう言って店長が確認している。
なんだそんな事かよ。クレームか何かだとすっかり思い込んでいた俺は、拍子抜けすると同時に、二つ返事で。
「いいですよ。ただし1個だけにして下さい、リンゴに花を刻むのは思った以上に神経を使うので」
俺からの言葉に深く頷いてくれた姫に続けて俺は。
「それでどこでやります?ここですか?それともお席の方で?」
そう聞くと姫からは、どちらの方がやり易いのか聞き返してきた。席の椅子は座るには低く、立ってやるにはテーブルが低すぎる。
「立ってやりたいので、出来たらカウンターの方が都合が良いのですが、よろしかったですか?」
その事を姫に告げると姫はここで大丈夫な旨を言ってくれた。
「それでは、リクエストされたリンゴに今から花の飾り切りをします。皮が赤く果肉も赤いリンゴではコントラストで目立ちにくくなるので、果肉の白い普通のリンゴを使います、用意しますので暫しお待ちください」
そう言って軽い礼をした後に俺はキッチンの中へと戻っていった。
キッチンの中に入った俺は、冷蔵庫の中から皮の赤が特にきれいな1つのリンゴを手に取り、予備の小さなまな板の上に乗せ、カービングナイフとペティナイフ、そしてカッティングナイフの刃の研ぎ具合を調べた。
しっかりと研がれたナイフじゃないと最高のパフォーマンスが出来ないからだ。
準備が整うと、まな板の上にリンゴを乗せたままカウンター席へと向かう。
姫の真正面に立ち。
「それでは始めさせて頂きます、拙い技術ですが楽しんでください」
そう言ってリンゴにナイフを使い、花の飾りを刻んで行く。半分程を使い花束を刻んだ俺は、カウンターの後ろから小さな白い皿を1枚取り出すとそこにリンゴを乗せて、姫の目の前に差し出した。
ずっと無言で見ていた姫に担当のホスト、そして店長にヘルプのホスト。店長にしても目の前で実際に俺がリンゴに花を刻むのを見るのは初めてだ。
4人は暫し言葉を忘れリンゴを凝視していた。そして姫が沈黙を破る。
「氷室くん!すごいね!すごいよ!これ、このリンゴ席に持っていってもいい?」
そう聞くので俺は、どうぞと返した。
そしてヘルプのホストが自分から率先してリンゴの乗ったお皿を持ち3人は本来の席へと戻っていった。
「氷室くんありがとね、ごめんね無理させて」
そう3人が消えた後、店長が俺を労う。
どうせリンゴの代金は別で貰うのだろう。
それならば普通にオーダーが1つ入っただけだとなんの事は無いと店長に告げた。
ナイフとまな板を手にキッチンの中へと戻った俺は、いつものパイプ椅子に座ると「ぐあ~」と大きく両手を上げて伸びをすると、タバコに火を点け紫煙をくゆらせる。
その後は特にキッチンへのオーダーも無く、そろそろ閉店30分前になろうとした頃にキッチンの〆作業を始めた。
〆もそろそろ終わりを迎える頃、1人のホストがキッチンに入ってきた。
顔を見ると先ほどリンゴの飾り切りを見せた姫を担当している、凛くんであった。
「おっ凛くんお疲れ~どした?キッチンに来るなんて珍しい」
「氷室さんお疲れ様です、それとこれ氷室さんに渡して欲しいと先ほどの姫から、チップだそうです」
凛くんが差し出した手には某有名ブランドの2つ折り財布が握られていた。
「あーありがとう、で?何で財布ごと?あっ財布がチップって事ね」
「いや財布もなんですが、財布の中に10万入ってるそうです、それも含めてのチップだそうです」
「あっそうなんだ有り難くもらっておくよ、お礼言っといて」
やはり神経を使い疲れていたのだろう。普段であれば必ずツッコミの1つや2つしていた状況でも素直に受け流してしまっていた。
次の日起きて財布と中身の10万を見て。
「どうしたものかなぁ……」
と1人困り果てる俺であった。