キッカケはリンゴから
『へ~すごいね~』
「はぁ……ありがとうございます……あっ! 手出すと危ないので止めて下さい」
俺はカービングを行っている最中のフルーツに向けて伸ばされる手を見て注意を与える。
今俺はいつものキッチンの中では無く、キッチンから店のフロアへと続くカウンターの中に立ちカウンター越しに一人の女性客の相手をしている。
何故、こんな状態になっているのか自分でもイマイチ理解は出来て無いのだが、店長に加え担当しているホスト、ヘルプに着いてるホストから説得されて、こうしている。
話しは二時間程前に遡る。
『氷室さん5番テーブルにリンゴ盛りお願いしま~す』
キッチンでオツマミを一つ作り終わりパイプ椅子に座っていた俺の元に、一人の若手ホストがオーダーを持ってやって来た。
「ほいよ、リンゴだけでいいんだな?」
『はい! リンゴだけで大丈夫です』
俺がこの店に来るまではフルーツは【フルーツの盛り合わせ】と言う一種類の物しか無かったのだが、単品だけでも見映えが良く客に出せるだけの物を作る事が出来る俺が来てからは、キッチンの冷蔵庫の中に置いてあるフルーツに限り、単品での提供も可能と変わっていた。
若手ホストに確認の意味も込め、リンゴ単品なのかを聞いた後に俺は冷蔵庫の中から普通のリンゴを二つと、ルビースイートと呼ばれる果肉が赤い品種のリンゴを一つ取り出して調理台の上に乗せた。
先ずは食べると言う目的じゃ無く飾る見映えと言う為だけに使うリンゴの調理から取り掛かる。いつもの様に愛用のカービングナイフを手に持ち、反対の手にリンゴを持ってナイフを使いリンゴの皮に装飾を施していく。
10分程掛けてリンゴの表面に模様を入れた俺は、予め用意しておいた塩水を入れたボウルの中に装飾を終わらせたリンゴを漬けておく。
このリンゴ自体は口にする物では無いので、変色を防ぐ為の塩水に漬け込んでいても構わない。
次に、果肉が白い普通のリンゴを使い皮が付いたままで普通に8等分に切り芯と種の部分も切り取る。
その内の2切れのリンゴの表面に幅5mmぐらいで切れ込みを入れて行く。この作業には曲線等も切りやすい柔軟性のあるカービングナイフを使わずに普通のペティナイフを使いどんどんとカットしたリンゴの中心に向かい切れ目を入れる。
切れ目を入れ終えたリンゴの皮を少しずつズラしていき、俗に【リーフカット】と呼ばれるカットに仕上げる。
その他にも皮に賽の目にカットしたリンゴや、リーフカットと同じカット方法を使い作る事が出来る【リンゴの白鳥】などを仕上げていく。
普通のリンゴのカットを終えた次に、果肉が赤いリンゴを縦方向に厚さ7mmぐらいにカットしていき【スターカット】と呼ばれる状態にする。これは縦方向にリンゴを切って行くと、芯の部分が星の形になる事から、そう呼ばれるようになった。
このままでは、芯と種の部分が残る事から、俺は小さなクッキー等を作る時に使用する型抜きを使いリンゴの中心に、ハートや星形の切り抜きをする。
全てのリンゴをカットし終えた俺は、ナイフ類を水洗いして水気を十分に拭いた後、食器棚から少し小さめのガラスの皿を取り出してまな板の横に置いて用意をした。
そしてリンゴを漬けているボウルと違うボウルを手に持ち、キッチンからカウンターへと向かった。
カウンターの下に隠されている製氷機からボウルに氷を適当に移した後、キッチンに戻った俺はミキサーの中に氷を入れて、粗めに氷を砕いていった。
ガラスの皿に先ずは砕いたクラッシュアイスを散りばめ、そこに見映えを考えながらカットしたリンゴ達をバランス良く盛り付ける。最後にクラッシュアイスを使い盛り上がりという立体感を出して、リンゴの盛り合わせを完成させた。
そしていつもの様に手に調理した物を持った俺は、キッチンからカウンターへと向かいフォーク類等を用意した後にマイクを握り、オーダーしてきたテーブルの番号をリクエストして呼び出した。
その後はオーダーも無く30分程、何をするでも無くパイプ椅子に座りタバコを吹かしていた俺の元に、先ほどリンゴの盛り合わせをオーダー通してきた若手ホストが顔を出す。
「どした?追加オーダーか?」
そう言って手に持っていたタバコを灰皿に押し付けながら、問うと若手ホストは顔の前で、手を振り。
『違います! 違います! 氷室さん取り敢えずカウンター来て下さい、店長が呼んでます』
少し慌ててるような顔したホストを見て。
「何かクレームでも入ったのかな?」
等と思いながら俺は若手ホストの後を追いカウンターへと向かった。
【参考画像】
ルビースイート
リンゴの白鳥
リンゴの飾り切り