無茶ぶり無花果
今にもスキップしそうな軽やかな足取りで店の中へと消えて行った店長を見送り、俺は心底面倒な事を気軽に引き受けてくれたものだと心の中で店長の顔を思いっきりブン殴っている。
妄想の中の店長はだらしなく鼻血を垂らし涙を浮かべて俺に土下座をして必死に謝っていた。
そんな妄想をして少しだけ、憂さを晴らした俺は早速無花果の調理に取り掛かる。
「これ……普通に皮剥いてカットして、どうぞ。じゃ絶対ダメだろうな……それで良いならわざわざ俺にって持って来ないだろうし。しかし無花果か……」
無花果はとにかく果肉が柔らかく、皮をナイフを使いキレイに剥く事すら非常に難しい果物だ。
当然、他のフルーツのように装飾等をカービングナイフを使い入れていく事は不可能である。
4等分にカットしてナイフを果肉と皮の間に入れてから果肉と皮を切り離すぐらいしか、そのままで食べる場合にやり様が無い。
もちろん、そんな普通にカットしただけの無花果を目立たせる為に他のフルーツを使って、華やかに飾る事はいくらでも可能なのだが、この時の俺は客がわざわざ買ってまで持ってきた、謂わば俺への【挑戦状】とも言える無花果をそんな誤魔化しをした調理で客に出す気はさらさら無かった。
ちょうどタイミング良くオーダーも途切れた事から、俺はこの目の前の無花果をどう調理してやろうかと考えながら、この日店が始まってから初めて吸うタバコに火を点けた。
頭の中で今までに調理してきた物、見聞してきた誰かが作った物それらを次々に思い浮かべて、どんな物を提供するか考えをまとめていく。
吸い終わったタバコを灰皿で消した後に、俺は手を洗い調理に取り掛かる。
最初に俺はビニール袋の中に入っている全ての無花果を取り出して、表面を軽く水洗いしていく。この時に強く擦ったりすると、非常に薄く繊細な皮が剥がれてしまい果肉に余分な水分を含ませてしまう。
洗った全ての無花果を4等分に縦にペティナイフを使いカットした後、普通に食べる時と同じように果肉と皮を切り分けていく。
調理器具等を置いてある所から、ミキサーを取り出した俺は、ミキサーを手に持ったまま、キッチンからカウンターへと移動した。
ミキサーの中に氷を3つ程いれた後、ソフトドリンクを置いてある冷蔵庫を開けて牛乳を取り出すと、適当な量ミキサーに注いだ後、マイクを手に取り店長にリクエストを掛けた。
2分程でカウンターに姿を見せた店長に。
「店長、白ワインを使いたい、それも調理にじゃなくそのまま客に飲ませる為の白ワインが、しかも甘くないやつ」
俺がそう言うと店長は俺が言いたかった事を即座に理解して、ワインクーラーの中から1本のボトルを持ってきた。
『これ使っていいよ、これなら安い割に味は美味しいから、普通にこのままお客様にも出せるレベルだし』
差し出された白ワインのボトルを握り店長に礼を言うと店長が笑顔で。
『気にしなくていいよ、持ち込みのお客様に使うんでしょ? その白ワイン分も料金に加算するだけだから』
と、なんとも逞しい返事が返ってきた。
キッチンにも当然のように、白ワインも赤ワインもあるのだが、それらは料理用のワインであり、煮たり焼いたり等の調理に風味を付ける為だけの物で、とてもじゃないがそのまま飲む事など不味くて出来ない。
俺は、白ワインのボトルをソフトドリンク冷蔵庫にしまい、氷と牛乳の入ったミキサーだけを持ってキッチンへと戻る。
キッチンの冷凍庫を開け中からバニラ味のアイスクリームを取り出すと、ミキサーの中に目分量で投入する。
そして最後に無花果の実を4切れ程ミキサーの中に入れてフタを閉めた後にミキサーのスイッチを入れた。
氷の砕かれるガリガリと言う音が無くなるまで混ぜた後にフタを開けて中身を確認すると、目分量で作った割には良い出来上がりの物が出来ていた。
ミントの葉を少し千切りミキサーと一緒にまたもカウンターへと戻った俺は、少し大振りな深めのワイングラスをカウンターの上に置き先程のワインを開けてから、マイクを握る。
「店長リクエスト」
やって来た店長に向け。
「最初に出す物を持っていって、今から仕上げをするから」
そう伝えると店長はカウンターの向こう側に並べている椅子の1つに腰を下ろし、今から俺が何をするのか興味津々と言った顔で見つめている。
俺は後ろの食器棚の一部に置かれている、あまり実用頻度の高くないカクテルを作る時に使う様々なリキュールやお酒が並ぶ棚から【グレナデンシロップ】のボトルを取り出して、ワイングラスの底から2cmほどまで注いだ。
次に、バースプーンを手にしてワイングラスの内側にスプーンを押し付けるように当てた後、スプーンを伝わらせて静かに少しずつ少しずつ慎重に白ワインをグラスの中へと注いでいく。
店長はその様子を黙って見ていたのだが、俺がわざわざ手間を掛けて白ワインを注いでいる意味を目で見て確認したのか、驚いた声で俺に聞いてきた。
『氷室くん! 氷室くん! 何? これ何? なんでこの赤いのと白ワインが混ざらすにキレイに分離してるの?』
俺は白ワインをワイングラスの6分目ぐらいまで注いだ後に、店長の顔を見てカラクリを教えた。
「これさ、この2つの液体の比重を利用してるのよ、この赤いのはザクロの果汁で作ったシロップ。シロップってドロドロしててネバネバしてるでしょ? それは液体としての重さが重いからなんだよ、その上に静かにシロップよりも比重の軽い白ワインを注いだら、混ざらすにこうやって分離するの、この原理を使うと……店長もどこかで聞いた事あるカクテルのレインボーってのが出来る訳」
そう店長に説明すると、店長は『なるほど』『へぇ~』等と感心していた。
そして俺は最後にミキサーの中にある【無花果のシェイク】をワイングラスのフチまでスプーンを使い静かに盛り付ける。
そこにストローを差しミントの葉を飾って、見た目が赤、白、淡い紫の3つに分かれた、ちょっとしたオリジナルカクテル無花果のシェイクを沿えて。を完成させ店長に声を掛ける。
「店長、この後に後2~3品作るから、先ずはこの飲み物を持っていって、客に後、何品か料理が来る事を伝えて」
そう言って、店長に後を託した俺は白ワインを冷蔵庫に戻し、ミキサーを手にキッチンに戻る。
「あの使いかけ白ワイン、店長に言って俺が貰って部屋で飲んじゃお」
思わず声に出してしまっていた。