桃のコンポートゼリー完成
ガツガツと言う擬音が聞こえてくるような勢いで手に持つスプーンで天津飯を掬い口の中へと運ぶ、万年腹ペコ若手ホスト達の姿を見て。
「毎回思うが本当よく食うよな……」
そんな感想にもならない呟きを囁くと。
『氷室さんの作る賄い美味いっすから!』
そんな答えが即座に返ってくると共に、あちらこちらからも。
『下手な店の料理より美味い』
『前の賄いに比べたら天国と地獄』
『氷室さんの賄い無いと生きていけない』
等、思い思いの感想を述べてきた。
俺はその若手ホスト達の言葉に心の中で照れ笑いを浮かべながら、満更でも無い顔をして「そうかそうか」と適当に相槌を打っていた。
そんな若手ホスト達から視線を外しカウンターの背後の食器棚の中から俺は、10オンスのタンブラー。8オンスのロックグラス。2種類のグラスを取り出してカウンターの上に並べて置き、グラスを見つめ考え込む。
5分ほどグラスを眺めて頭の中で、あ~でもないこ~でもないと考えていた時に、賄いを食べ終えたひじき君に声を掛けられた。
『氷室さんグラスなんかじっと見つめてどうしたんですか?』
「あ~今日から出す為の桃のコンポートを入れるグラスを、10オンスタンブラーにするか、8オンスロックグラスにするか迷っててな」
そう言ってグラスを見つめていた理由を話すと。
『10オンス? 8オンス? それって何ですか?』
と、信じられない言葉がひじき君の口から飛び出した。
「えっ? えっ? お前……オンスって理解してないのか? ひょっとして」
俺は飲食業に従事している人間なら誰でも知ってて当たり前だと思っていた事を知らないと言う人間に初めて出会い、純粋に驚くと共に呆れてしまった。
「オンスってのはグラスなんかの容量を表す単位の事。1オンスが30ml、10オンスなら300ml、8オンスは240ml」
「後……念のために聞くが……タンブラーとかは分かってるよな? さすがに……」
そう言うとひじき君は満面の笑みを浮かべ。
『そのぐらいは知ってますよ。へ~オンスは容量で1オンスが30mlなのか~……今日ヘルプに着いたら、話のネタにしてみよ』
『それで、えっと……桃のゼリーでしたっけ? どっちのグラスにするんです? どっちになっても氷室さんなら凄い事になりそうだけど』
ひじき君にそう聞かれた俺は、はぁ……とため息を一つ吐くと。
「桃のコンポートな! 桃のゼリーじゃなくて、桃のワイン煮……いや……待てよ……そうか! ゼリーかゼリーにしちまえばいいんだよ! そっかそっか~ありがとうなひじき君」
突然挙げた大きな声に少しばかり驚いた顔をしているひじき君をその場に残したまま、俺はロックグラスを掴むと、足早にキッチンの中へと戻って行った。
キッチンに急ぎ戻った俺は、携帯を取り出して現時刻を確認した後、間に合う事に安堵しながら、冷蔵庫を開けて桃のコンポートが入ったボウルを取り出した。
ボウルの中の桃のコンポートの汁だけを鍋に移し替え、コンロに置き火を点ける。
温まるまでの時間で俺は調味料等を置いている場所から、ゼラチンの袋に手を伸ばし、掴み掛けた直前にゼラチンの袋の横に置いていた寒天を掴んだ。
「こっちの方が固まり出す温度は高いからな……」
本当はゼラチンの方が良いのだが、今回は急遽のしかも開店まで1時間と30分程しか残されていない事から、寒天を使う事にした。
寒天を調理台の上に置いた俺は、火を点けた鍋はそのままに、カウンターに出ると、食器棚の下の扉を開きシャンパンクーラーを手に取り、カウンターの下にある製氷機の中の氷をシャンパンクーラーの中にどんどん入れていく。
氷が詰まったシャンパンクーラーを手にキッチンに戻ると、ちょうど良い感じに桃のコンポートも温まっていたので、そのまま調理台にシャンパンクーラーを置き、鍋の中に千切った寒天を適量加え、スプーンを使いかき回して寒天を溶かした。
寒天を追加で溶かし入れた桃のコンポートを小さめのボウルに移した後に、氷が入ったシャンパンクーラーの上に置く。
そして調味料置き場から塩を持ってくると、シャンパンクーラーの中の氷に塩を大量に振りかけた。
こうして、桃のコンポートを急ぎ冷やした俺は、固まり始めたのを確認した後に、桃のコンポートを冷蔵庫では無く冷凍庫の方へと入れた。
それから30分程経過してから俺は、冷凍庫の中の桃のコンポートを取り出し、固まり具合を調べると、少しだけまだ柔らかいが、この後は実際にオーダーが入るまでの間の時間、冷蔵庫に入れて冷やしておけば問題の無いところまで固まっていた。
ボウルを冷蔵庫に移した俺は、そのまま冷蔵庫の中から明日作る予定だった分の佐渡の姫と言う品種の桃を取り出すと、種を取り皮を剥いた後に、3~4㎜ほどの薄さにスライスしていく。
スライスした桃をロックグラスに沿わせるようにして1切れ1切れ並べて行き、更に並べた桃と桃の間にまた桃のスライスを順に並べる、この繰り返しを何度か行った後に、真ん中に丸めた桃のスライスを置きロックグラスの中に桃の果肉で出来たバラの花を完成させた。
冷蔵庫の中の桃のコンポートゼリーのボウルから必要な分量を皿に移し、フォークを使いゼリーを砕いていく。
俗に言われているジュレ状になった物を、ロックグラスの中へとスプーンで注ぎ桃のバラが崩れてしまわない様に注意しながら、静かにコンコンとロックグラスの底を調理台に叩き、ジュレを沈めていく。
スキマを軽く埋める程度ジュレを注ぎ、俺は桃のコンポートゼリーを完成させた。