賄いカラオケ天津飯
仕込みを全て終わらせた後、キッチンから店の表へと続く通路を通り背後にグラス等が収納してある巨大な食器棚があるカウンターへと足を踏み入れた。
自分一人しか居ない店内、仕込みをする為だけの場所であるキッチン。その限定的な場所だけを快適にする為に付けていたエアコンが作る涼しげな空間に慣れきってしまっていた俺は、空調が何も入っていない店の表側に足を踏み入れた時から、服が肌に張り付くような不快感を感じた。
そのままカウンターを足早に通り過ぎた俺は店の入り口ドアの横に設置されている受け付けへと向かい、受け付けの背後にある照明のスイッチを全て点けついでに横のエアコンのパネルスイッチも全て押して店内のエアコンをフル稼動させた。
今から店内を冷やしておけば、若手のホスト達が店にやって来て店の掃除をする頃には快適な温度になっているだろう。
店内を冷やしながらの掃除よりも冷えた店内の掃除の方が何倍も楽が出来るだろう。
そして俺はまたカウンターの中へと戻り、食器棚の中からタンブラーを1つ取り出して、カウンター下に設置してある製氷機を開け中に詰まっている氷をタンブラーの中へと入れた後、隣のソフトドリンク類やシャンパンを冷やしている冷蔵庫から冷えたお茶のペットボトルを取り出してタンブラーへと注いだ。
そのままドリンクを手にキッチンへと戻ろうとしていた俺は、ふとある事を思い出して、くるりとカウンターの中でターンを決めてキッチンとは逆方向の店のフロアへと歩いて行った。
着いた先には、カラオケの機械があり俺は機械の主電源を入れ、機械が立ち上がるのを眺めていた。
カラオケの受け付けが可能になるスタンバイ状態になったのを確認した俺は、目の前にある小さなモニターの電源も入れる。
カラオケの機械に付属されている、通信用のリモコンとマイクを1つ持って、モニターの真向かいになるソファに腰を下ろした。
前に店長から、時間が空いたら好きにカラオケを使って歌でも歌ってていい。と言われていたのを思い出し何となくの気分で歌でも歌ってみるか。そう思ったのだ。
久しぶりのカラオケは思いの外楽しかったらしく俺は時間も忘れて一人カラオケに熱中していっていた。
そして昔から一番よく歌っていた歌を入れ、曲が流れ始めモニターに移る歌詞の文字に合わせて歌っていると。
『あ~ほら、やっぱ氷室さんじゃん誰だよ泥棒かも?なんて言ってた奴は』
そんな声が聞こえた。俺は歌を中断して声がした方に顔を向けると、ひじき君を筆頭に数人の若手のホスト達が立っていた。
『氷室さん良い歌声してるんすね、しかも上手いし、あっ続き歌って下さいよ』
ひじき君にそんな事を言われた俺は、若手のホスト達が店に来る時間まで気付かずにカラオケに熱中していた自分が急に恥ずかしくなり、慌ててリモコンを使い曲を中断させた。
「歌わね~よ、バ~カ」
俺はそう照れ隠しの言葉を、ひじき君達に言った後に席を立ち、急ぎ足でキッチンの方へと向かった。
「ほら、俺の下手くそな歌なんか聞いてるヒマ無いだろ?さっさと掃除を始めろよ、俺もお前らに食わす賄い作るから」
そう言い残しキッチンの中に入って行った。
キッチンに着いた俺はいつものエプロンを身に着けた後、連中が来るまで気付かずにいた事の恥ずかしさを吹き飛ばす意味も込めて両方の手で自分の頬をペシリと叩いた。
最初に炊飯器のフタを開け炊いていたご飯をしゃもじを使い解き解す。ある程度解した後はまたフタを閉め本格的に賄い飯を作り始めた。
雪平鍋を1つ取りコンロの上に置いた後。
醤油。みりん。酢。それらの調味料を目分量で鍋の中へと注ぐ。
そして鍋とは別に小鉢の中に片栗粉を入れ水道の水を小鉢に適量注ぎ、水溶き片栗粉を用意した俺は雪平鍋を置いたコンロに火を点けた。
鍋の中の調味料達が小さな泡を吹き始めているのを確認した後にコンロの火を弱火に落として、そこに砂糖を入れていく。
味見に使う為のスプーンを使い砂糖を温めた調味料に溶かした後、俺はそれをスプーンに掬い味を確かめる。
砂糖や酢を追加で加えて味を整えた後、コンロの火を今度は弱火から中火に変え、よく解いた水溶き片栗粉を加えて、トロミを付ける。
出来上がった甘酢の餡は火を消したコンロの上に置いたまま、次に俺は、人数分の皿に炊きたてのご飯を山盛りに盛り付けた。
そして今回の賄い飯のメインディッシュを作る為の調理を始める。
中型のフライパンをコンロに置き火を強火で付け少しフライパンが温まるまで焼いていく。フライパンの表面にコーティングのように膜を張っている油から煙が出てくるぐらいの頃合いに、フライパンの中に油を適量滴し先ほど撹拌しておいた玉子をお玉で掬い、フライパンの中へと投入した。
素早くフライパンを回すように動かし玉子を広げていく。ご飯を盛り付けた皿と同じぐらいの大きさまで広がったらフライパンをコンロに戻し、こちらも玉子が固まり切るまでに素早く、解しておいたカニカマを適当な量パラパラと玉子全体にまぶしていった。
フライパンと接している側の焼き面にほんのりとした焼き色が付いた頃合いを見計らい、フライパンを持ちテコの要領で中の玉子の形が崩れないようにひっくり返した。
両面に焼き色が付くぐらいに焼いた玉子を、ご飯を盛り付けた皿の上にご飯を隠すように盛り付けた後、刻んでおいたあさつきを小量振り掛ける。
そして同じ物を人数分焼き上げた俺は、両手に皿を持ちキッチンとカウンターとの間を数回往復した。
最後にキッチンに戻り、雪平鍋をまた火にかけて、中身を温め直した後に、鍋とお玉。そして鍋敷きを手にカウンターへと出た。
いつものようにカウンターに置かれたマイクを手に取った俺は、掃除と準備に追われている、万年金欠の腹ペコどもを呼びつけた。
「お~いメシ~」
その言葉を今か今かと待っていた奴等は、掃除と準備の手を止めあっという間にカウンターに勢揃いする。
俺はそいつらに向け。
「今日の賄いは、カニカマ天津飯な、こっちの鍋の甘酢餡を好みの量だけ掛けてから食え、そして餡は多めに作ってるから、玉子無しの天津飯でよければ、おかわりも出来るからな」
その言葉を言い終える前に既に奴等は思い思い取った皿にお玉を使い餡を掛けていた。