桃のコンポート試食
大変長らくお待たせしました。
少しだけ書くという事が出来るようになってきたので、ボチボチと連載を再開しようかと思います。
前のような更新頻度はまだ無理ですが、気長に付き合ってくださると助かります。
若手のホスト達に手抜きの賄いを食わせ終えた俺は、いつもの定位置であるキッチンの調理台の前に椅子を置き、その椅子にドカリと座り込み調理台の角に置いていたタバコとライターと灰皿を手元に引き寄せた。
タバコを1本取り出し火を点け紫煙をくゆらせ、何とはなしに目線を動かせば若手ホストの中でも一番の若手である新人が、みなが食べ終えた後の皿とスプーンを洗っている姿が目に入る。
俺は暫くの間、そんな新人ホストの姿を眺めていたが、ふと思い立ち椅子から立ち上がり冷蔵庫の前へと移動した。
冷蔵庫の中から冷やしておいたボウルを取り出して、ティースプーンを使いボウルの中身の汁を掬うとそのままスプーンを口に含んだ。
十分な甘味と桃の爽やかな香り、ワインの風味が渾然一体となったその汁の出来は満足の行く物へと変貌を遂げていた。
「おい、そこの皿洗っている新人君」
俺が新人ホストに声を掛けると新人ホスト君は、皿を洗う手を止め俺に向き直る。しかし、その姿はどこかよそよそしくオドオドとしているようにも俺には感じられた。
「どした?何か緊張してないか?」
俺が笑顔で問いかけると。
「あっ……いやっ……大丈夫です、はい!何でしょうか?氷室さん」
そんな態度を取らせるような事を俺はした覚えが無く、新人に優しくそんな態度を取る必要が無い事と、そんな態度を何故していたのかを聞いてみた。
聞いた結果どうやら、ひじき君を初めとした何人かの若手ホスト達の中でも上位に居るホスト達から、ある事ない事を吹き込まれていたようだ。
新人ホスト君曰く。
「俺に逆らうと賄いを食わせて貰えない」
「店長よりも氷室さんの方が100倍は恐ろしい」
「あの人はこの店の影のボスだ」
等、適当な事を聞かされていたようだ。
俺はその言葉を聞いて、新人ホスト君の目の前で大笑いをし始める。
そしてひとしきり笑った後、キッチンから店の表に出た。
「おい!ひじき!お前新人にウソ教えてんじゃねーよ、お前こそ賄い無しにしてやろうか!」
そう怒鳴り付けると、ひじき君は慌てて俺に軽い冗談で言った事と俺に逆らうと恐ろしいと本気で思っている事を必死な形相で言い訳を並べ始めた。
無論、俺のひじき君に対する言葉も冗談の類いであり、本気で賄いを無しにするつもりなどは全く心にも無い。
その後は新人ホスト君も交えて、俺がこの店に臨時のアルバイトに来た日からの話を和気藹々と交えていった。
盛り上がっていた話も、若手ホスト達の大事な仕事でもある、外回りの時間が来た事により、中断となりホスト達は三々五々と支度を始め夜の街へと繰り出して行く。
俺はそんなホスト達の後ろ姿を眺めながら、心の中で。
「良い客を捕まえられるように頑張って営業してこいよ」
そうエールを送りながら見送った。
その後はいつもの通り俺の仕事場であるキッチンで細々とした雑務をこなしながら過ごす。
そして、いつもと同じような時間になり店長や中堅のホスト達が出勤してきた。
俺は表に人が入って来た事を、聞こえてくる話し声で察すると、食器類を納めている棚の中からガラス製の小振りな小皿を3つほど取り出し、冷蔵庫で冷やしていたボウルと一緒に調理台の上に並べて置いた。
ボウルの中の漬け込まれ汁に浮かんでいる、カットした桃を1つオタマで掬い取ると、まな板の上に静かに置きナイフを使い3等分に切る。
切った桃を1つずつガラスの小皿の中へと移した後に、ボウルの中の汁を掬い静かにガラスの小皿の中へと注いでいく。
そうして出来た試食用の物を3つ手に持ち店の表へと移動した俺は、カウンターにガラスの小皿を並べる。
こちらから店長に声を掛けるよりも早く、俺の姿と俺がカウンターの上に並べた小皿を目にした店長は。
「おっ氷室くん、今度は何なに?」
そう言いながら、カウンターの上に置かれた小皿の中を見つめる。
「桃が美味しい季節になってきたから、桃を使った物を作ってみた。本当は桃そのままの方が美味しく食べられるとは思うが、ホストクラブで出す物らしく、一手間加えてみた。桃のコンポートだよ。まぁ桃のワイン煮ってやつだね」
そう店長に説明をしながら、後ろの棚の引き出しから小さなフォークを取り出して、店長に試食をしてもらった。
「このままじゃ見栄えがあまり良くないから、見栄えも良くするつもり、これはただの試食品だから、飾りなんかも無し」
試食に出した桃のコンポートは、店長や中堅ホスト達のお眼鏡にかなったのか、あっという間に彼等の胃袋の中へと消えて行った。
「うん。美味しかったよ、さすが氷室くんだね、いつから出せる?」
店長にそう聞かれた俺は。
「見栄え用の物を明日の仕入れで買ってきたら、その日からでも」
そう答えると。
「それじゃ、明日また完成品を試食させてね」
その店長の言葉に、俺はまた1つこの店に新しいデザートが増える事を確信して、大きく頷いた。