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「重大なお話があります!」
翌朝早い時間にハルさんを捕まえた僕は、彼を引っ張って老夫婦の家を訪れ、開口一番そう告げた
小さな食卓を囲んで朝食を摂っていた老夫婦は、食事をする手を止めて呆然とこちらを見る
「や、なんだ。飯食ってるときに押しかけて」
仏頂面でそう言ったゼンさんに非礼を詫び、それでも帰る様子のない僕に、ミネさんがお茶を淹れてくれた
「実は、昨日、役場の帳簿を確認していたときに、重大な不正が発覚したんです」
僕の言葉に、三人は驚いて顔を見合わせる
「ち、帳簿はずっと私が付けてたんだけど、そんな不正だなんて…」
「うちのミネルバが、犯罪をしたって言うのか!」
困惑顔のミネさんに怒り顔のゼンさんを見て、僕は慌てて首を振る
「不正をしているのはこの村の人ではなくて、おそらくこの村の会計を管理していることになっているウィルモア領の役人だと思います」
ヘンキョウ村の隣のモルムと、さらにその隣のイーブス、パラミスの三つの町は、ウィルモア男爵の領地になる
ヘンキョウ村は現在、どこの領地にも属していないが、会計だけはウィルモア領で管理されていて、住民税の支払いや戦争慰労金や地方交付金の支払いは、パラミスにある役場を通して行われることになっていた
「そんなこと、パラミスの役場の帳簿も見んで、なんで分かるんだ?」
ぶっきらぼうにゼンさんが尋ねる
「まず、7年前に戦争が終わったとき、国境付近の住民には戦争慰労金が支払われると通達があったのはご存知ですね」
帳簿にファイルされた通達用紙を見せながら、僕はみんなに確認する
「えぇ、通達をもらったんで、用紙に書いてある通り、一人50万ずつ役場の金庫から頂いて、それもきちんと帳簿に付けたのだけど」
ミネさんが心配そうに話す
「まずですね、この戦争慰労金は国庫から出されるべきものであって、領の会計から出されるお金ではないんです」
「と言うと?」
「本来であれば、国からこちらの領に150万タラス支給されて、その後で住民に分配されるはずでした。しかし、その国からの支給がこちらにはされていない」
出て行った記録はあれど入ってきた記録はなく、領収書の控えも確認したが、入金の痕跡は一片も存在しなかった
「本来なら支払われるはずのお金が、支払われていないんです」
「でも、国からもらえなくても、私たちは領の会計からもらってるから、もうそのお金はもらえないんじゃなくて?」
ミネさんが遠慮がちに声をかける
「いえ、領の会計から出ている分は、本来なら支払われないはずのお金なので、返却してもらわなければなりません」
「そんな!」
「今さら返せなんて言われても!」
僕の発言に、全員が抗議の声を上げる
「納得できないのは分かります。ただ、そのお金は、このまま持っていても使えなくなるお金なんです」
「どういうことなんだ?」
「この領では、二種の通貨が使われていたのをご存知ですか?アズルー紙幣とローシュフォール紙幣です」
僕が尋ねると、全員が無言で頷いた
「このアズルー紙幣は、普通のアズルー国の通貨なのですが、ローシュフォール紙幣はローシュフォール領の地方債なんです。ローシュフォール領内では通貨として使用できますが、アズルー国では銀行でアズルー紙幣に両替しないと使えませんし、タラスティンでは通貨としてはおろか、両替することすら不可能です。そして、あなた方に支払われたお金は、このローシュフォール紙幣で支払われているんです」
「そ、それじゃあ、わしらが持っているこの50万は、この国では使えないのか?」
青くなりながらゼンさんが尋ねる
「はい。そして残念なことに、ローシュフォール伯爵が亡くなってしまったため、もう間もなく使用期限が切れてしまいます。基本的に、アズルーでは地方債の保証期限は10年なので、あと3年のうちに換金してしまわなければなりません」
そう言うと、今度こそ全員が押し黙ってしまった
大金が紙くずになってしまうと聞かされたのだから無理もない
だからと言って、それをそのまま受け入れろというつもりは、僕にはない
「おかしいとは思ってたんだよ。マルゴちゃんは、アズルー紙幣は両替してきてくれたけど、ローシュフォール紙幣を渡した時はなぜかできなかったってそのまんま返してくれてたから」
ハルさんがポツリと呟く
「じゃあ、どうすれば良いの?」
ミネさんが不安そうにこちらを見た
「ローシュフォール紙幣は、こちらに来てから使えなかっただろうと思うので、その分はそっくり残ってますよね?」
全員がその問いに頷く
「一応、そのお金は領のお金になりますので、大変申し訳ありませんが返却して頂くことになります。このままでは使えなくなりますが、中央の銀行に行けば換金は可能だと思いますので、金庫に残っているローシュフォール紙幣とアズルー紙幣とまとめて、タラスに両替しようと思います。そのお金で公共事業などを行えば、みなさんにも還元できますので。それで構いませんか?」
「それは仕方がないが、わしらが貰うはずだった金はどうなる?」
「そう、そこがさっきも言っていた不正の部分なんです」
僕は、身を乗り出すと語り出した
「先ほども言ったように、みなさんへの慰労金はウィルモア男爵領を通じて支払われるはずでしたが、そのお金はみなさんの手には渡っていない。通知すら来ていない。このことから、慰労金は誰かが横領している可能性があります」
「横領…」
「そ、それでその証拠は見つけられるのか?」
ハルさんが心配そうにせっつく
「慰労金だけなら、握りつぶされた可能性はあります。もちろん、帳簿を調べれば不正な会計を発見することは可能ですが、それを調べることを面倒臭がる人間は、少なからずいるでしょう」
元敵国だった村の、たかだか150万ばかりの金額のために、藪をつついて蛇を出すようなことはしたくないと考える人は、きっと少数派ではないだろう
特に本省では
「じゃあ、泣き寝入りしろって言うのか!?」
「いいえ、きっちり支払わせますよ」
抗議の声を上げるゼンさんに、僕はきっぱり言い切った
「実は、横領されているのは慰労金だけではないんです。この村に支払われるはずだった、国境交付金も支払われていないんです」
そう、僕が学生時代に学んだことによれば、国境に接するこの村には、国境の守備とその管理費用のために、国庫から交付金が支払われているはずなのだ
その費用が、この7年間まったく入金されていない
犯人が本省の人間なのか、パラミスの役場の人間なのかは分からないが、横領という犯罪が行われていることは事実なのである
「これを踏まえて、僕はまず上司に報告することにします。彼は本省勤務なので、きっとこの村のために便宜を図ってくれるはずです」
そうは言ったものの、僕はフィリップ・ハミルトンを全く信用していない
ここできちんと対応してくれない上司なのであれば、見切る覚悟である
「その、上司が何もしてくれなかったらどうする?」
暗い目でゼンさんが僕に問う
「そんなことはまず起こらないと思いますが、僕だって第2第3の手はきちんと考えてますよ。この件は、どうか安心して僕に任せてください」
フィリップ・ハミルトンがだめでも、僕にはまだ当てはある
僕の報告を握り潰すようなことがあったら、きっちり落とし前をつけてもらうのだ
そう決意しながら、僕は一同に微笑みかけたのだった