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元が領主の館ということもあって、役場は重厚な建物だった
アズルースタイルの、黄味がかった石造りの壁にアーチ型の窓が並び、中央と右側には円頂塔が配置されている
左側は列柱の並ぶバルコニーになっている
中央の円頂塔にあるアーチ型のドアをくぐると、そこは玄関ホールになっていて、天井に張り巡らされた一面のステンドグラスが、明かり取りから差し込む光によって大理石の床に美しいレリーフを作っていた
ホールを抜けると、豪奢な絨毯が敷かれた階段ホールになっていて、奥にはローズウッドの手すりが美しい階段が、その後ろには桜の木をモチーフにした大きなステンドグラスが配されている
田舎の役場、それも何年も使われていない建物を想像していた僕は、あまりの豪華さに足を踏み入れるのを思わず躊躇しそうになった
「えっと、ここ、役場でもあるんですよね?」
おそるおそる尋ねると、ハルさんは誇らしそうに笑った
「まぁ、基本はお館さまのお屋敷だでな。素晴らしいだろう」
「えぇ、本当に」
公共スペースとは言え、こんな建物に駐在して良いのだろうかという心配が、むくむくと心に湧き出してくる
そんな僕の不安に気づく様子もなく、ハルさんはご機嫌だ
「向かって左側が役場になっていて、右側に図書室とか執事室、厨房なんかがある。図書室の本はお館さまの蔵書だけんど、村の人間なら誰でも読んで構わんし、貸し出し帳に名前さえ記入すれば持ち出しても大丈夫だで。あんたも読みたい本があったら、貸してもらうといい」
その言葉に、僕は少なからず驚いた
「この村の人は、字が読めるんですか?」
「当たり前だろう。読み書き計算ができんと、社会に出た時どうやって生きていくんだ?本くらい読めんと困ろうが」
「すみません。ただ、王都でも識字率はそれほど高いわけではなくて、こういった国境付近の村だと、さらに識字率が下がると聞いていたので」
例え王都といえども、この国の識字率はそれほど高くない
上流層や中流層はともかく、下民層になると識字率はぐっと下がる
簡単な単語くらいならともかく、本を読める水準に達している人など皆無である
それは、国境付近や貧しい村の農民などにも言えることで、こんな辺境の学校もないような村の住民が、本を読めるということは衝撃的ですらあった
「あぁ、お館さまは教育熱心な人だったからなぁ。週に3回は子供たちを集めて、勉強会を開いてくれてたのよ。将来、村を出て独り立ちしても困らないようにってな。おかげで、うちの村のもんはみーんな読み書き計算ができるし、村を出て商売を始めて成功したもんもわんさかおるだで」
「…ローシュフォール伯爵は、立派な方だったんですね」
「そりゃあ、あんな良いお殿さまは、どこ探したっておらんだろうな」
ハルさんは目を細めて笑ったが、その後で少し寂しそうな顔になった
「あんな良いお殿さまがなぁ…。もういらっしゃらんとは、改めて信じられんなぁ」
ローシュフォール辺境伯は、先の戦争で亡くなっている
タラスティンとの戦闘で亡くなったわけではないが、領民に慕われていたであろう領主の死は、敵国だったタラスティンに対して良い感情をもたらさないであろうことは想像できた
だが、ハルさんは僕に対して優しい目を向ける
「あんたの国に対して、思うことはあんまりないよ。そりゃ、ちょっとはあるけんども」
そう言って、ハルさんは小さくため息をついた
「ただ、お館さまが亡くなったことは、あんたの国とはなんの関係もない。お館さまは、アズルーの王族に殺されたようなもんだでな」
それを聞いて、ずっと感じていた違和感を頭の中で整理する
ローシュフォール辺境伯は、王族の親戚筋でもある由緒ある家柄で、辺境伯という高い肩書きも有している
しかしその実態は、辺境伯の権利である軍隊も持たず、こんな小さな移民の村に押し込められていたのである
以上のことから類推すると、ローシュフォール伯爵は政権争いに敗れて中枢から追い出されたのだろう
戦争で亡くなったローシュフォール伯爵は、ローシュフォール家がこの土地を拝領してから三代目に当たる人のはずだが、それほど長い間中央から遠ざかっているということは、初代の頃にはさぞかし修羅場があったのだろうと予想できた
「まぁ、なんだ!戦争については色々と思うこともあるけんど、俺としてはタラスティンよりもアズルーの奴らの方が許せねぇ。ゼンさんやミネさんにしたって、お館さまのことを思えばおんなじ気持ちだ。だから、あんたは安心してこの村におってくれたらいい。マルゴちゃんやモルムの人らとも仲良くなれたんだし、王都の人間だって仲良くできると、俺は思っとるよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ハルさんに背中をバシバシ叩かれながら、僕は涙目でお礼を言った
きっと僕の背中は、季節外れの紅葉に彩られているに違いない
「そんじゃまぁ、最初に図書室と執事室を案内するだでな!行こうか!」
ハルさんに連れられて、僕は役場の見学に向かったのであった