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モルムから歩くこと約二時間、やっと到着したヘンキョウ村は、何ともオリエンタルな村だった
アズルー領だったことも影響しているのかも知れないが、近くにあるモルムとそれほど文化の違いはないだろうと思っていた僕は、少なからず衝撃を受けた
海が近いモルムは、漁師の町である
町と言っても人口500人程度
王都暮らしだった僕から見れば、村と呼んでも差し支えないレベルの集落である
遠浅の海のため大きな船舶が寄港することなどはできず、代わりに漁船専用の小さな港がある
港の近くには干潟もあるらしく、貝や小さな蟹なんかも採れるらしい
そんなモルムの郷土料理は、当然のことながら魚介類がベースになっていて、昨日立ち寄ったバルで食べたブイヤベースは、素朴な味わいながらとても美味しかった
また、街並みも独特で、切り立ったオレンジ色の三角屋根に、黄色く塗られた土壁でできた、なんとも可愛らしい家が立ち並んでいる
豪雪地帯のため家が雪に埋もれることも珍しくないそうで、雪降ろしをしなくてもいいように三角屋根になっていて、雪の中でも見つけやすいように派手な色彩をしているらしい
「冬になると屋根から外に出ることもあるんですよ」
と、バルのマスターは笑って言った
そんなわけで、僕はヘンキョウ村にも同じような建物が並んでいるに違いないと思い込んでいたのである
しかし、そこにあったのは、モルムとは全く違った建物であった
藁でできた屋根、木の壁と柱、おまけに窓は紙でできていた
後にも先にも、こんな建物は見たことがない
ただ、建てられてからかなりの歳月が経っているらしく、屋根が落ちてしまったり、紙が破れて枠組みだけが残ったいるといった風情のものがほとんどだ
それが、ほぼ手入れされていない荒れ果てた畑の中にぽつんぽつんと点在している
村の中には人の気配はなく、どこかからホトトギスの鳴き声が聞こえてきた
寂れている
そんな印象を受ける
村というより、元村と言った方が正しいかもしれない
しかし、
「きれいなところですね」
ふと、そんな言葉が口をついて漏れた
満開のピンクの花が咲いた木が、村中の至る所を彩っている
風が吹くとハラハラと溢れる花びらは、雪が舞うかのようだ
人の手が入っていると思しき畑には背の高い黄色い花を咲かせた草が植わっていて、黄色い絨毯のように見える
「そうなんだよ。この時期は、桜が満開だからねぇ。格別きれいな季節だよ」
「あのピンクの花が咲いている木は、桜というんですか?初めて見ました」
「だろうねぇ。この村は、元々は海の向こうの東の国からの入植者が作った村なのさ。あの花は、その人たちが植えた、故郷の花なんだよ」
「入植者の…。通りで変わった建物が建ってると思いました」
僕がそう呟くと、マルゴさんは少し目を伏せた
「…もっとも、もうこの村には三人しか残ってないんだけどね」
黙っててごめんね、と小さい声で付け足す
聞けば、この村にはもう、50代の男性が一人と、70近い老夫婦しか住んでいないらしい
マルゴさんが、ここに来るまでそのことを僕に伝えなかったのは、三人しか住んでいないと知られたら、駐在する価値と見なされて僕が帰ってしまうかも知れないと心配して言い出せなかったためだった
そんな無責任なことはしないと伝えると、恐縮するくらい謝られた
7年前にタラスティン領になったときからこの村には三人の住人しかいなかったらしく、過疎で特産品もない入植者の村はタラスティンからもアズルーからも大した価値もないからと捨て置かれたのだろう
しかし、村に住んでいた人には重大な問題だった
国境線が変わってしまったせいで、アズルーに住む親戚や友人を訪ねることもできない、手紙すら届かない
それどころか、生活物資の購入のために隣町に出かけることさえできなくなってしまったのだ
彼らは、三人しかいないから対応が後回しになった、という言い訳は通用しないくらい厳しい状況に追い込まれてしまったのだ
そんな彼らに現れた救い主が、行商をしていたマルゴさんである
物資を求めてモルムに降りてきた村の男性からこの村の厳しい状況を聞かされたマルゴさんは、老夫婦のためにと週に一度の行商を快諾した
アズルー通貨での支払いも受け付けて、なんなら両替の手配も引き受けたらしい
終戦間もない時期に、敵国だった側の人間にそこまで手助けするのは、大変苦労があっただろうと思われる
「ほっとけなかったからねぇ」
そう言ってマルゴさんは、からからと笑った
今では、村に出かけていくモルムの人はさすがにマルゴさんしかいないものの、男性は週に一度くらい、老夫婦は気候の良い季節にはモルムに降りてきて、バルで食事をしたりちょっとしたものを買って帰って行くらしい
モルムの人からも受け入れられて、積極的な交流はないものの、関係はそう悪くはないそうだ
だからと言って、村の人たちが暮らしにくいことには変わらない
僕がヘンキョウ村の駐在になると話したときあんなにマルゴさんが喜んだのは、きっと村の人々のを思ってのことだったのだろう
頑張ろう、マルゴさんの期待に応えるためにも
そう思って、僕は気合を入れ直したのだった