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6話『飲みニケーション2』




 上司と部下がちょっとした飲み会や食事に行くときにはどれぐらい気を使うべきだろうか。

 礼儀作法もそうだが値段については難しい問題だ。奢られているときにはなおさらである。あまりに高いものを注文するのも憚れるし、安いものを注文したら遠慮していると思われる。無難なのは上司と同じものだ。間違っても上司が頼んだもののアッパーバージョン(寿司なら松竹梅でランクが高いもの)を注文してはいけない。そういうルールがあると聞いた。

 さて僕らは新たな個室に案内されて、


「嫌いな食べ物あるー?」


 などと緩いコメントをされながらメニュー表を眺めだした。嫌いな食べ物。僕は蟹が苦手なぐらいか。味が嫌いなのではなく、身をほじくるのが嫌いだ。あの仕草はプログラマーらしくない行動だ。

 さて、メニューをじっと眺めた僕とレズウーマンは頷き、お互いに顔を見合わせた。ちなみに配置は鍋を挟んで僕とレズが対面に、美月さんは上座に座っている。三方から鍋を囲む陣形だった。

 そして注文する。


「生ビールと枝豆だけで……」

「私は冷奴を……」

「ど、どうしたの二人とも!? 夕方になにか食べちゃったの!?」


 ごめんなさい。お値段が高いんです。恐らくこの店のメインだと思われる鍋料理コースお一人様三万円オーバー。ははーん。オランダ人が培養した人工肉とか使ってるに違いない。

 置いてる日本酒もよく知らない名前が並んでるけど、なんか(恐らくグラスで)四桁円がデフォだ。怖い。

 僕ら下っ端はヒソヒソと言い合う。


「な、なあレズ刑事。お前幾ら持ってる?」

「しまった……営業の帰りにテンション上がって新作百合ゲー『ポケマン レッズゴー 慰撫いい…編』とか買ったせいで3000円しか残ってないぞゲイ刑事。お前は?」

「僕は電子マネーしか持ってない。プログラマーだから」

「馬鹿!」


 僕らは結構給料を貰っているのだが、持ち合わせが心もとなかった。

 すると美月さんは手をパタパタと振って言う。


「だからおばちゃんの奢りだって。気にしないで。女将さーん」

「はい」

「お鍋の特上コース三人分と……二人ともどういうお酒が好きかなあ。全部冷やで二合ずつ持ってきてー」

「かしこまりました」

「あああああ」

「あああああ」


 僕とレズ刑事は呻いた。もはや奢られてしまっては命綱を握られたも同然……! 僕らは借金を返済しきるまで美月さんの元で奴隷のように労働するのだ……!

 と、後ろめたくなるのだがどう考えても美月さんが金持ちなだけだ。

 女の人──しかも同年代に奢られることに抵抗を持つ男もいるかも知れないが、ここは素直に諦めて奢られようと思った。恐らくこの店、電子マネーの支払いできそうにないし。

 鍋が運ばれて来て、テーブルの中央あたりが取り外されてコンロみたいになった上に載せられた。

 中に入ってる昆布だけでも僕のTシャツより高そうだ。続けて女中さんたちが入れる具を運んできた。沢山の瑞々しい高そうな野菜に高そうなキノコ。牛豚鳥揃った高そうな肉。高そうなつみれや高そうな貝などの魚介系。高そうな蟹と高そうな海老もいた。女将が鍋の中にバランスよく並べていき、蓋をする。

 

「後はこっちで適当に食べますからー」

「はい、お酒の方は順番にお持ちしましょうか?」

「うーん、適当に飲むから全部持って来といて」

「かしこまりました」


 その様子に、隣の女がヒソヒソと聞いてくる。


「美月さん、お金持ちで高級店に慣れてそうな割に適当だな……」

「確かに美月さん、代々お金持ちの家だけどあの家は礼儀に関してはかなり雑だからな。正月なんか毎年親戚の男衆が酔っ払ってほぼ全裸でお雑煮とか食べながら集団で家の外を走り回っては留置所にブチこまれてるぞ。美月さんの親父さんも」

「男根崇拝の残る村かな?」


 ちなみにほぼ全裸とは全裸に覆面のみの状態を指す。人々は顔を隠すことで大胆な変態行為に及ぶことが容易になる。

 続いて運ばれたのは酒。徳利がずらりと並ぶ。ええと、選べる日本酒が十二種類ぐらいあるので合計二十四合。約4.3リットル。えっこれ三人で飲むの?

 

「頑張れよお前百合(ゆり)なんだから百合(ひゃくごう)ぐらい飲めるだろ」

「死ぬわ! お前こそゲイなんだから鯨飲(げいいん)しろ!」

「まま、二人とも、ひとまず乾杯しようよー」

  

 美月さんが適当な徳利を手にして小さめのグラスに注ごうとしたら、下っ端のレズがプンッとソニックブームが残りそうな素早さで回り込んで酒を注ぐ役目を代わった。速い。


「私がやります! やらせてください! モチベーションアップ!」

「土下座しながらお酌始めた!?」

「無駄に器用だな……」

「勘違いしないでよね! 瀬尾の分まで注ぐのは私がやらなかったら美月さんがやろうとするからだからね!」

「何をどう勘違いする想定なんだ……」


 ひとまず三人のコップに日本酒が行き渡った。


「それじゃ、えーと……二人が頑張ってくれてるおかげで会社が上手く行ってるお祝いと、汝鳥ちゃんの健康祈願に、かんぱーい」

「て、適当な理由ですね……」

「馬鹿者! 美月さんが私の健康を祈ってくれるんだ! ローマ教皇に祈られるより効果あるわ!」

「あはは、おばちゃんは飲み会の理由なんて本当はなんでもよくて、皆で仲良くご飯を食べたいだけだからねぃ」


 美月さんは僕らの顔を交互に見てから満面の笑みを浮かべて言う。


「つい前までは二人ともあんまりお互いに関わらないようにしてたから誘いにくかったけど、今は仲良くなってきたからこうして集まれるようになってよかった」

「別に仲良くなってませんよ」

「コイツなんて自動調理マシン兼自動ソフト生成マシンに加えて治療マシンの役目が加わっただけです」

「うんうん。おばちゃんはちゃんとわかってるから!」


 なにをだろうか。だが美月さんを強く否定するというのは許されざることだ。たとえどういった内容だろうと美月さんを言い負かそうとイキる者が現れたら僕は断固戦う。クリスタル灰皿とかで。多分FFで言うとクリスタルシリーズなのでそこそこ強いはずだ。

 なので、それ以上僕自身が美月さんの意見を否定することも諦めなくてはならない。勿論、仲良くないことは事実ではあるけれど。

 乾杯、とコップを合わせて鍋をつつくよりも先にひとまず酒で口を潤す。

 ぐ、と口に含み飲み込むとかなり強い味がした。


「……度数高くない?」

「でも飲みやすい味ですよ美月さん! さすがいいお酒だなあ! ぐっといけちゃいます!」

「えーと、このお酒は……『がぶがぶ君』だね」

「なんで安焼酎が混じってるんですかこんな店で!?」


 がぶがぶ君はともかく、僕らは他の高い酒を片手に鍋を楽しむことにした。

 まあ言ってみればごった煮のちゃんこ鍋みたいな勢いで多種多様な具材が入っている鍋だが、不思議と全体が纏まっている印象を受ける。具材の並べ方だろうか。肉三種につみれも入っているのに茶色感も薄く、華やかな色合いをしている。

 

「さあさあ若い子はどんどんお食べ」


 美月さんが鍋奉行とばかりに鍋のアクを取って良い煮え加減になった具材から、お玉でひょいひょい拾い上げて僕とレズ同僚の皿に盛っていく。

 料理は下手を通り越して危険な領域の美月さんだが、鍋を仕切るのは得意だ。なにせ彼女の実家は家族が多いし社員なども一緒に食べたりする上、農畜産をやってるので鍋やバーベキューが多かったそうだ。そこに気を使うのが好きな性格が相まって、彼女は鍋取り分けウーマンになった。


「うまっうままままっ!」


 レズはポン酢系のタレにつけて豆腐を食べながら目を輝かせる。


「ただのお豆腐なのに美味しい! これに比べれば市販の豆腐はゴミですね! マウンテンウォーカーはん!」

「その雑に市販を否定する料理漫画みたいな褒め方止めろ」

「お肉も沢山お食べ~追加で入れるからねえ」

「高級牛肉……!」

 

 僕も箸をつける。メッチャ美味しい。素人の腸詰め料理とは違う。野菜一口で酒がコップ半分胃に消える。具材と酒が相互に味を高め合う。


「はい成次くんには追加で腸詰めのお肉頼んでおいたからねえ」


 美月さんが僕の皿に、皮がはじける直前の丁度よい湯で具合の腸詰めをいれてくれた。僕の好物だがコースには入っていない具材だ。ちらりとメニューを見る。腸詰め一皿で千五百円以上するの初めて見た。

 自宅で調理するよりも恐らく高級品な腸詰めに舌鼓を打ちつつ僕も酒をカパカパ飲んでいく。がぶがぶ君はともかく、他の高級な日本酒はフルーティーな水かなにかな?ってぐらい飲み口が軽い。おまけに冷やの常温だから飲みやすい。

 美月さんも自分で食べる分も確保して幸せそうに食べている。ペカーって感じの輝く笑顔だ。あの笑顔のためなら一万円ぐらい払ってもいい。僕は奢られる側だけど。


 しかしながら親戚であり、結構昔から一緒に外食することが時々あったけど……よくよく思い出せば、当然のように僕は毎回美月さんに奢られている。

 僕も幾らか持ち合わせがあるときでも、払おうとすると「いいからいいから、おばちゃんに払わせて」とか言って支払ってしまうのだ。

 更に美月さんとどこか食べにいくと、家までのタクシー代とかいって5000円とかいつも渡されてた気がする。

 当時の僕はヒャッホー金持ちの姉ちゃんは気前がいいなあスロットにでも寄って帰るかーとか考えてたけれど。

 ……ちょっと考えるべきかもしれない。今度電子マネーをリアルマネーに両替して美月さんになにか奢ろう。服とか。ファッションセンターしまむらでいいかな。


 鍋を突付いて酒が進む。場が温まり、どうでもいい世間話で僕らはゲラゲラ笑いながらまた酒を飲んでいく。

 美味と酒のおかげか二言目にはヘイトが入る恐怖のレズモンスターも、精々が通常の半分程度の罵りパワーになり僕にとってはそよ風のようにスルーできるぐらいだった。

 鍋の具も次々に追加されていく。どれもやけに美味いので飽きることなく食べ続け、むしろ僕の分の肉などを奪おうとするレズ怪盗との争いに発展するぐらいだった。

 

「おーそろそろ蟹もいい加減だよぉ。はい取って取って」

「蟹! 食べずにはいられない! うへへーい瀬尾の蟹も頂きだー!」

「わかったわかった。蟹はやるから」

「え? 成次くん、蟹嫌いだった?」


 不思議そうに美月さんが聞いてくる。


「いや……蟹は身をほじくるのが面倒でして。プログラマー的には」


 きっと蟹をほじくるのが得意なプログラマーなんて極少数のハズだ。多分。メイビー。

 僕がそう応えると美月さんはニンマリと笑みを浮かべて、蟹の足を入れた皿を手にスッと近づき僕の隣に座った。


「じゃあおばちゃんが身だけほぐして出してあげるねぃ。お食べお食べ」

「え、いや、そこまで……」

「ちっちっち。据え膳とほぐしてもらった蟹の身は断るなって言うでしょ。おーたーべー」

「……頂きます」


 妙にテンションの高い美月さんが、すぐ横に来て蟹スプーンで身を取り出し始めた。


「あ゛ー!」

 

 汚い叫び声。レズは慌てたように、美月さんとは反対側である僕の右方に回り込んで座った。


「美月すすすん! そんなに甘えさせたらこの駄男の為になりませんよ! 赤ん坊みたいにオギャる人間失格モーヒー男になりますれば!」

「大丈夫大丈夫。成次くんはえーと……えへへへ大丈夫!」


 二人共言動がかなり怪しい。酒の飲み過ぎだろうか。

 気がつけば出されていた徳利は半分ばかりも消えていた。鍋が美味いので酒も超特急で胃の中にすっ飛んでいくのだ。

 

「ええーい、こんなオッサンに片足ツッコんだ男をそんなに甘やかす必要ありません!」

「ありますーおばちゃんは大事に大事に甘やかしますー」

「あの、ホント甘やかさなくいいですからマジ」

「成次くん!」

「肩叩かれた!? 妙なテンションだ!」


 完全に酔ってらっしゃる。ばしィーって痛くないけどツッコミのように肩を叩かれてしまった。

 そして反対側からはレズの肘が圧迫するように僕の脇腹をつつく。


「こら瀬尾! お前も雛が餌を貰うように丁寧なほぐし身まで作って貰って喜ぶんじゃあない!」

「誰が喜んでるんだ、誰が」

「お前が食うのなんてなぁー」


 レズはそう言うと、手に持ったぶっとい蟹の足の殻へと、ワイルドに噛み付いた。

 そしてバキバキと音を立てて噛み砕き、殻に割れ目を入れて器用に蓋を開けるようにして身をまるごと取り出す。


「ほらコレをやるから食ってろ! そして美月すすすすんのほぐし身は私が貰う!」

「いやお前が噛んだのとか、ばっちいし」

「ばっちくない!」

「はい成次くん出来たよーお食べー」

「さあ食べろー!」


 酔い過ぎだろこいつら。

 僕は左右から差し出される、蟹の身を前にやたらとしんどい気分になりながら、とりあえず両方食べた。美味かった。

 なにやらレズが文句をつけようと口を開いた瞬間、


「アイタタタた!? しまった発作が!」

「汝鳥ちゃん!? あっもうこんな時間!」


 時計は九時を指している。どうやら、鍋と酒に惑わされて時間を忘れていたようだ。昼の一時前に抱きついたので八時間が経過していた。

 丁度僕の隣に居たのがよかったのか、痛がりだしたコイツはすぐさま僕の脇腹に抱きついてなんとか呼吸を整える。


「危なかったー……」

「大丈夫か?」

「うん」

「よかったぁーおばちゃん反省。ひしっ」

「……あの、なんで抱きついてくるんですか美月さん」


 右にレズウー。左におばちゃん。何故か僕は左右から抱きつかれていた。突然抱きついてきた美月さんに対して僕は緊張で酔いが覚めてくるのを感じる。

 なんというかこう、凄く嬉しいんだけど酔っぱらい相手にマジ喜びしたら相手が正気に戻った際に恥ずかしい思いをするかもしれないというリスクがある!


「んーふふふーなんとなく?」

「完全に酔ってるよこの人!」


 でも美月さんは酔っ払っても大変可愛らしゅうございます。 


「ウヒー! 美月サンガリア! 男に抱きついてはなりません! 汚れてしまったら乙女に封じられし魔王の封印が解けます!」

「どういう設定だよ」

「無粋なツッコミを入れるな! 私は手が離せないんだ! 蟹のほぐし身とお酒を交互に口に運べ!」

「どっちが雛鳥なんだ……」


 こっちのレズも酔っ払いすぎて、普段そういう指示しないだろみたいなことまで僕に求め始めていた。

 片手に花、片手に邪魔。そんな感じに左右から抱きつかれている。どうしたものか。とにかく、10分間は耐えておこう。

 そう思っていると、個室の襖がスッと開けられた。


「お客様ァーン。デザートをお持ちしましたァーン」


 妙な裏声のような声音で、デザートの和スイーツみたいなのを運んで現れた女将……女将?

 いや。

 なんだ。誰だ?

 服装はさっきの女将と同じ着物なのだけれど、控えめにいって中身が筋骨隆々の男だった。顔には覆面をかぶり、何故か覆面の上に眼帯をして片目を隠しているので余計に人相がわかりにくくなっている。

 不審者。その言葉が一番しっくりくるのだけれど。

 その謎女将は……僕らを見て固まった。

 ……そういえば、傍から見れば僕らは何故か三人抱き合っている状態だ。治療目的と酔っぱらいの行動とはいえ、あまり外聞のよい状況ではない。

 僕も思わず真顔になったが、


「……ごゆるりと」


 なにやら謎女将は渋い声を出して、デザートをそっと置いて個室の襖を閉め去っていった。

 

「な、なんだったんですかねあれ。美月さん」

「さ、さあー?」

「うっ……ひょっとしてレズ異端審問の査察官じゃないか。私の惨状を見てレズクルセイダーがやってくるかもしれない」

「あんなゴツい女装レズが居てたまるか」


 しかしながら、レズ異端審問を恐れる異端レズはそわそわとし始めた。

 同胞からの制裁を怯える彼女の提案で、僕らは残りの鍋と酒、デザートを手早く片付けて店を後にすることにした。

 なんか店を出ると料亭の人が黒塗りのごっつい車を出してくれて、オフィスの近所まで送ってくれた。VIP待遇だ。


「よーし! じゃあ次はカラオケ行こうカラオケ~!」

「いいですね美月しゃぁぁぁん! あー幸せだなー好きな女性と食事カラオケとかその後ホテルコースじゃん!」

「こいつ捨てていいですか」

「あっはっは」


 僕が酔っ払って性欲を出しているレズを汚物のように見るが、上機嫌に美月さんは笑っている。 

 とりあえず間違いがないように僕がしっかり監視しておかねばならない。正直、二人共かなり酔ってるのでそのまま家に帰ってくれた方が気が休まるのだけれど。

 しかし、カラオケか。前に行ったのは学生時代ぐらいだろうか。

 プログラマーはカラオケとボウリングをしない。特に理由はないけど統計的なデータで他の職種よりもそれを趣味にしている率が低い。僕も漏れなくそうだ。

 ブラックだった前職では顕著だった。自宅へ帰るのもVR帰宅とかいうソフトを使って、職場に居るのに疑似体験として帰宅した映像を見せられていたぐらい自由にできる時間がなかったので当然だった。他の社員の趣味も『自分が居なくても仕事をしてくれるAIの開発』とかそういうのばかりだった。結果的に僕も、マシンパワーと適切な環境さえ整えば一人で五十五人分までは働けるシステムを作ってしまったぐらいだ。

 なのでカラオケもかなり行っていない。

 ……なに歌えばいいんだっけ。

 思い起こされるのは高校の頃。男女グループが混じってカラオケに出かけた際に同級生でオタクだったR君が『撲殺天使ドクロちゃん』を熱唱し始めた。僕だって好きだよその曲。でも皆の前で歌うには本当に適していたか考えるべきだったんだR君は。クラスメイトの間に流れた空気を察して、R君はカラオケ店から走り去っていった……

 物悲しい思い出が想起されて危うく涙が出るところだった。あのとき僕はどうするべきだったのか。


「どーん! ウヒヒなに湿気た魚の目をしてるんだ瀬尾ー!」

「湿気た魚!?」

「早くあるけー!」


 やたらめったらテンションの高いレズが背中に抱きついて押してくる。なんやねんこいつ。酔いが醒めた後で男に能動的に触れたことを後悔するがいい。

 僕らは職場近くにあるカラオケ店に入る。二人とも一応、自分で歩ける程度にはしっかりしているけれどいつ酒の影響が来るかわからない。だってほぼ飲みきったし。さっきの料亭で出されたお酒。僕も一応飲んだけど。

 ジュースとスナック盛り合わせを注文して部屋に入り、二人はワイワイと進んで曲を選び始めた。二人がメインで歌ってくれるなら、レパートリーの少ない僕は助かる。しかし歌えと言われたら果たして何を歌うべきか。アニソンが駄目で一般向けってどういう曲だろう。

 そう思っていたのだけれど。


『朝起きたーらーレズが居てぇーん♪ 私の衣類(靴も含む)焼いてたさぁーん♪』


 レズは何も気にすること無く、くねくね振り付けを踊りながらネタ的なレズソングを熱唱していた。

 コイツには恥も外聞もないのか。なかったね。そうだったね。


『そうさプリズンベイビー♪ 君はー♪ 監禁系レズ友ー♪』


 まあ美月さんも笑いながらタンバリン叩きまくってるしいいか……


「っていうかお前歌上手いな……歌詞は酷いけど」

「おっ!? なんだなんだ? この汝鳥さんの最高さを崇めるのかー? やれやれ罪作りな女だな私は!」

「調子に乗るな」


 肩を組んできてマイクをグリグリ顔に押し付けてくるので眼鏡を奪い取るの刑に処した。


「あ゛ー!」


 非難の声を上げるが無視して、なんとなく眼鏡を掛けてみる。僕はプログラマーにしては珍しく視力が並だった。しかし、その眼鏡を掛けても視界はぼやけない。


「ん? なんだこれ伊達眼鏡か……」

「うわー! 返せ返せ!」

「お前……伊達眼鏡は眼鏡異端審問に合うぞ……って」


 眼鏡を取られたニセ眼鏡女は、顔を両手で隠してそむけながら叫んでいる。

 なにやってんだこいつ。バルスでも受けたのか。はっ、ひょっとして眼鏡で封印していた魔眼が暴走して……!


「こぉら、成次くん。女の子にイタズラしちゃだめだよ」


 美月さんがひょいと僕の顔から眼鏡を取りあげた。


「汝鳥ちゃんは恥ずかしがり屋なんだから」

「恥ずかしがるポイントがわからない……」

「はい汝鳥ちゃん、眼鏡ですよー」

「美月シャングリラに手ずから眼鏡を掛けてもらえるとは……これはもうレズセックスなのでは?」


 そしてキッと僕の方を向いて、


「それに比べて何たるセクハラだ! 訴訟だ! 痴漢!」

「あーはいはい。好きに訴訟しておけ」

「くっ! この体さえまともなら……」

「その性格さえまともならな……」


 酔っ払ってるときは多少口が悪いだけで、そこそこ可愛くて会話のネタが合うからマシな……いや、マシってなんだ。気の迷いだな。

 

「はいはい、次はおばちゃんが歌うよー」

「美月様のお歌だ! 瀬尾! 正座だ!」

「もうしてる」

「そんなにかしこまらないで普通にしてほしいなあ!」


 ──そして美月さんの歌を聞いて尊みに二人で涙したり、僕が歌ったら採点で30点台が出て指さして笑われたり、それぞれデュエットさせられたりしていた。

 熱唱するというのは運動するのに似ている。消費カロリーは画面で表示されるし、息も切れてくる。そこに事前に大量のアルコールが入っていたならば。

 日付が変わるころには全員限界になりかけていた。特に女性陣。二人共フラフラしている。


「そろそろ帰りましょうよ」

「ふひー」

「はぁい。あ、その前に──汝鳥ちゃんここで抱きついて行ってー。家に帰ったらすぐ寝ちゃいそう」

「ふぁーい」


 僕がソファーに座ったまま抱きつかせるように背中を向けると、


「にひひ」


 と、笑う声が聞こえて、


「はいどーん!」

「うわっと」


 ひょいと酔っ払いレズは僕の前に回って、正面から抱きついてきた。

 両手を背中に回して抱きつきながら、


「んーんんー♪」


 と、半分以上目を閉じて鼻歌を歌いつつ僕の体に擦り付けるように頭を動かしている。

 酒の匂いと髪の匂いが眼前に広がる。アルコールで火照った体の温かさ。緊張が弛緩した体の柔らかさ。懐いた猫のような仕草に、僕は頭の中で冷静さをプログラミングする。どうやら酔っているのは相手だけではないようだ。

 落ち着け。妙な反応をしてはこいつの思う壺だ。訴訟の材料とされてしまう。明日こいつが冷静になった際にあげつらってくる。何事も無いように、いつもの抱きつきを終わらせろ。

 そう思っていると、僕の右手が何かの感触を伝えた。抱きつかれるがまま、こいつの背中側に伸ばされていた手だ。

 小さく、柔らかくてひんやりとした何かが、僕の手を握った。

 瞑っていた目を開けると抱きつき魔の後ろに、美月さんが居て──何故か僕の手を握り、揉むように触れていた。

 

「み、つ……」


 呼びかけようとすると、彼女は指を立てて口元にやり、静かにするように合図をした。

 そうして何をするかと言うと、僕の右手を自分の左手で握る。指を絡めるようにしながら。そして指をもぞもぞと動かして、手を刺激してくる。

 ヤバイ。

 手のひらを揉まれる経験なんて無かったのだけれど、これは結構くすぐったいというか妙な感じだ。

 そして美月さんに手を揉まれているという状況が意味不明の理解不能でありながら、なんかこう凄く嬉し恥ずかしである上に。

 例えそれが誰であっても、女性と抱き合う形になりながら、違う女性と密通でもしているかのように手を絡める行為が異常すぎて頭がおかしくなりそうだった。

 美月さんが寝落ち寸前レズの肩越しに、僕と目を合わせて微笑んでいる。


「ふふー」


 なんなの? 酔ってるんでしょうけど、僕はもう心臓が止まりそうなんですけど!

 体はプログラムで出来ている。僕は数字を正確に数えるだけの人形と化して、正確に10分の経過を待った。

 その間に抱きついているこいつはもぞもぞ動くし顔を押し付けるし、美月さんは僕の手をひたすら撫で続けていた。とても長い10分だった。 


「──よし! 10分経過です! 帰りましょういざ!」


 僕は手を解いて、抱きついているこいつも両脇の下を持って引き剥がして立ち上がった。頭がクラクラする。アルコールの影響だけではない。

 だが──


「すこー……」

「せーじくーん、汝鳥ちゃん無理だってー」

「ええい、寝落ちしやがった! 起きろ起きろ!」


 両頬に手を当ててぐにぐにとしてみるがレズが目覚めることは無かった……永遠に。いや、永遠は願望だけど。とにかく寝息を立ててガチ眠りに入っている。

 酒の飲み過ぎで眠ってしまった場合、起こしてもまともに行動するのは不可能だろう。


「こうなれば……うおおお」


 僕は力を振り絞って、レズを背負った。向こう側からはなにか本能的なアレなのか寝ながらも僕に抱きつこうとしているので助かった。 

 

「行きますよ美月さん!」

「ふにゃー」

「こっちも限界だな……!」


 美月さんも立ち上がったはいいけれど、目の焦点は合わないしフラフラして僕にもたれかかって来た。

 僕の脇腹に手を回している彼女も支えて、どうにか店のカウンターへ向かう。しまった。支払いがある。


「電子マネー支払いは……」

「できません」

「美月さん! 財布!」

「ふああ……はい美月、せーじくんの財布です……」

「なに言ってるんですか!? 店員さん凄い顔してるじゃないですか! 誤解ですからね!」


 誤解とは言うものの、客観的に見て寄りかかった女性から財布を受け取ってそこから金を支払う男である。

 

「後で返すんですからね! マジで!」


 そう店員に聞こえるように言い捨てて、僕は一人背負って一人支えて帰路に付く。

 夜風の冷たい日だったが、湯たんぽのように温かい二人と密着していればそこまで感じなかった。僕自身もしんどい。介護してるこっちも酔っぱらいなんですけど! 

 

「だいじょーぶー? せーじくん、おっぱい揉むー?」

「どこで覚えたんですか! 是非、シラフのときに誘ってくださいそういうのは!」

「うー……美月さん私がうへへ」

「寝ぼけて担がれたまま僕のおっぱい揉むなクソレズー!」

 

 どうにかこうにか、酔っぱらい二人をオフィスへと移送させることに成功した。僕は今世紀一番頑張った。

 オフィスの裏口にあるパネルに指紋を認証させて中に入る。僕の体力も限界に近い。

 そしてどう考えても、背負うだけで精一杯、背負って歩けば苦行の域だった僕が、階段を登って二人を二階まで運ぶことなど不可能であった。

 やむを得ず、オフィスのソファーに連れて行って一人ずつ寝かす。大きなソファーは小柄な女性二人程度、充分に寝転がれる。

 寝転がった美月さんも眠気に耐えきれないとばかりに目を瞑った。

 

「美月さん、ここにクリスタル灰皿がありますからね。何かあったら使うんですよ」

「せーじくん。おやすみ。また明日、ね」


 そう言いながら儚い力で、また僕の手を握ってきた。

 僕は美月さんの手を握り返してからゆっくりと手を解く。そうすると美月さんも寝息を立て始めた。


「はい、おやすみなさい」

 

 名残惜しいが、僕は立ち上がった。間抜け面で寝ているレズは美月さんの腕に抱きついているが、これぐらい酔いつぶれていれば問題も起こさないだろうと思う。そうあって欲しい。

 本来ならばこいつを監視する目的もあって僕もこのオフィスで待機するべきなのだが、色々と僕も限界だ。アルコールとか、疲労とか、その他諸々。

 このまま同じ部屋で一晩過ごすのは精神衛生上よくない。


 行こう。

 今こそ個室ビデオ店へ……!

 今日はそこで一晩過ごすんだ。そして明日の朝、7時ぐらいに帰ってくればいいだろう。

 僕はラインに、外のネカフェに行ってくると書き置きを残してオフィスを出ていった。

 まずはコンビニでネットバンクから現金を引き出さなくては! 


 



美月さんは応援してるのか掻っ攫おうとしてるのか

書きながら瀬尾クゥンの年代で撲殺天使ドクロちゃんは古くね?って思った。なんか適当なコテコテの萌電波系アニソンに脳内変換しよう!

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