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4話『クンカー』




 朝、仕事を始めるまでかなり余裕があると人はなにか能動的になるだろうか。

 余った時間を利用して資格の勉強をしたり、早朝の海にサーフボードを持って出かけたり、近所を健康的なランニングでひとっ走りしてきたり、絵や小説などの創作活動に勤しんだり。

 多分大半は「もうちょっと寝とく」という風になるのではないだろうか。ドラえもんでのび太も言っていた。温かい布団でぐっすり眠ること以上の幸せはないとかなんとか。うろ覚えだけれど。

 

 とにかく、昨日から会社のオフィスに泊まることになった僕は、六時頃に目が覚めたのだがまだ会社が始まるまで三時間もあると思って二度寝に入った。

 うつらうつら、寝ぼけて起きている程度の意識で目を瞑っている状態は気持ちがいい。完全に眠りにつくよりも、寝る一瞬手前の快感が何度も訪れる。

 ソファーで横になりながら僕がそうやって朝を満喫していると、奥から二人入ってきた。レズ病人と美月さんだ。僕は起きようとしたが、カラダの方が眠っているらしく金縛りにあったように動かなかった。

 

「あら、寝てるねえ汝鳥ちゃん。折角着てきたのに」

「ビンタで起こしますか」

「止めたげて」


 そう言えばこいつの抱きつき治療を行うのが七時頃。六時から二度寝をしていたので、丁度今頃だっただろうか。

 それを考えた瞬間、夢と境界があやふやな視界があいつの姿を捉えた。

 

 あのレズ同僚は……何故かメイド服を着ていた。


 なんで?


「まあ、いいですよ。美月さんに言われたから着たけど、こいつからは褒められても殺しますし馬鹿にしても殺しますので」

「おばちゃんより似合ってて可愛いよー?」

「いえいえいえとんでもなっしんぐ! 美月すぁぁぁんのお美しいメイド姿からすれば! 私なんてゴミですよ!」

「そんなこと無いけどなあ」


 そんなことを言いながら近づいてきている。ショッキングなメイド姿だ。まあ、ゆるふわガーリーな美月さんがメイド服を着ていると趣味丸出しな感じだが、眼鏡黒髪スマートなこいつの場合仕事でやってる感はある。性格のキツイメイド長風味だ。

 だが僕に見られることは本意じゃなさそうなのは本人の言う通りなのだろう。まるで新手のスタンド使いのように鋭い目つきで僕を睨んでいた。

 

「……こいつ、薄目になってる気がしますけど本当に寝てるんですか?」

「成次くん昔から微妙に目を開けて寝ることあるからね。突っついても起きないんだよ。わたしが中学生ぐらいの頃、夏休みでうちの田舎に遊びに来てねえ。朝にそんな感じで寝てるから、お父さんと交互に突っついて起こす遊びをしたよ。まあお父さんが執拗に股間を狙って突っついて、成次くんのお母さんに見つかってメチャクチャ怒られてたけど」

「JC美月さんという言葉に心奪われてさっぱり聞き取れませんでした」


 なにやってんだ根津パパさん。

 寝ているいたいけな小学生の僕のチンチンを突きまくるとか酷いことをしやがる。しかも美月さんの前で!


「汝鳥ちゃんの抱きつき時間なのにどうしよっか」

「いいですよ。寝ている方が無害だしエロ妄想もされないんで、このまま抱きついて治療します」


 誰がエロ妄想したんだよ。そうツッコミを入れたかったが、なんとなく起きるタイミングを逸してしまっていた。

 僕は寝たフリをしたまま済ますことにした。 

 薄目で把握するに、ソファーの横にあいつがしゃがみこんだ。


「馬鹿面」


 そう呟いた。腹立つ。一々罵らないと人生を送れないのだろうか?

 僕の反応が無いことを確認したのか、あいつは寝ている僕の体の下に手を潜り込ませる。抱きつきは両手も使わないと判定されない。

 幸い、ソファーが柔らかなのでそこまで苦労せずに寝転んだままの僕の体を両手でホールドし、殆どのしかかるように胸を密着させてきた。


「やりにくい……」


 パシャー☆

 写真を取る音が何度も聞こえる。美月さんだろうか。


「うぇへへへ」


 何やら美月さんの面白がる声が聞こえる……

 ちょっと僕らの、現在の体勢を想像してみようか。

 ソファーに仰向けに寝た男に、上からのしかかって抱きついている女。


「寝ているご主人様へ我慢できずに抱きつくメイドさんみたいな……」

「ちょっと美月さん止めてくれませんか!? 抱きつく気力がなくなるんで! おえっ」


 僕は白目を剥きそうになった。おえっ。

 チクショウ。相手がこいつじゃなければ多少ロマンのある状態なのに。なんてこった。

 そもそも、抱きつくという行為自体が客観的に見れば仲が良さげに見えるのは仕方ないのかもしれないけれど。

 こいつと仲良く見られるのは心外極まりない。きっとこいつもそう思っている。


「くっ……間抜けな顔で寝やがって……起こせばよかった……」

 

 誰が間抜けな顔やねんと思うが、自分の寝顔を写真以外で確認できる者は居ないのでよくわからない。

 腹立たしげにこいつは密着して、ぐりぐりと顎で僕の胸を攻撃してくる。ふっその程度効きはしない。何度かパシャー☆音が鳴った。

 やがて十分が経過したのか、ご主人へ抱きつく駄メイドは離れた。


「……着替えてきます。男スメルがついたので」


 とことん失礼なやつだ。だがまあ、営業だろうが有給だろうがメイド服で一日過ごすわけにもいかないだろう。

 あいつは二階へと上がっていくようだった。オフィスに残される僕と美月さん。


「成次くん、起きてるー?」


 呼びかけられた。ドキリとする。応えて目覚めるべきだろうか?

 しかしそうすれば、寝たフリをして抱きつかれるがままだったという行為を認めるようで、なんか気まずい。

 よし! 寝たフリ継続だ! 僕は寝息を規則正しく立てていた。


「成次くん、成次くん、せーいーじーくーん」


 徐々に美月さんは近づいてきて、僕の頬やら胸やら指で突いてきた。反応しないように体に言い聞かせる。


「ふふ」


 と、笑うと、僕の頭近くのソファークッションが沈む気配。なにやら、頭のすぐ横に彼女は座ったらしい。

 そうしたかと思うと、僕の頭をそっと持ち上げて──にじり寄って、自分の座っている太ももに載せた。

 うわーっ!

 膝枕だーっ!

 美月さんの!

 ヤバイヤバイヤバイ。僕は目を閉じながらも、脂汗が背中に浮かんでくるのを感じた。

 なんかもう柔らかい。いい匂いがする。ちょっぴり興奮もする。なんなの!? 美月さんは男に優しさを振りまきたいお年頃なの!?

 ハッ! もしかして母性の発散に飢えているのかもしれない。確かに美月さんは、子供の一人でも居ておかしくない年齢……! 僕はイマジナリー息子扱い……! とするとあの女もドラ娘扱いだからこその優しさ……!

 根津パパさんにお見合いとか勧めて貰うのがいいかもしれない。今度さり気なく聞いてみよう。ただこうね、美月さんがどこぞの誰と結婚したとなると、根津パパさんも僕も相手が誰だろうとショックで三日ぐらい連続で飲みに行くだろうけどね! 許せねえ!


 美月さんは小さく鼻歌を歌いながら、膝枕した僕の頭を撫でている。ヤバイ。脳が溶けていく。彼女にいったい何の意図が……!


 そうしていると、ドタドタという足音が近づいてきた。


「ままままままままっまっままままっまままままま、ママー!」

「ふげっふ!?」


 衝撃。思わず息が漏れる。寝たフリも不可能なほどのダメージ。僕の体全体に重みが掛かる。

 目を見開くと眼前に側頭部。他に密着したなにかも考えると、


「お、お前!? なんだいきなり飛び込みやがって!」

「はぁーっ! やかましいんですが!? 美月さんの膝枕ナデナデとか独占してるんじゃあない男め! さあ美月さんナデナデシテー! ナデナデシテー!」

「いいから退けよ!」


 二階から着替えて戻ってきたクソレズ三郎が、僕の状態を見て駆け寄り──そのまま僕の上に飛び乗ってきたのだ。重なるように。なんてやつだ。

 幾ら胸もクソも無いような体型とはいえ、勢いを付けて無防備な体にボディプレスを仕掛けてきた成人女性の威力はあなどれない。痛いし。僕は無理やり起き上がって引き剥がした。


「いやぁー朝から仲良しだねえ二人とも。まるで兄妹みたいだよぉ」

「冗談じゃない!」

「これと身内とか恥です!」

『こっちのセリフだ!』

「あっはっは」


 言い合って言葉が被ったのを聞いて、美月さんは大笑いをした。

 そんなこんなで今日も一日が始まる。




 ****




 会社は上手いこと回っている。あいつが営業で取ってきた顧客が求めるソフトを僕が開発する。他にも汎用的に使える、会社に導入したらいい感じになるツールなんかも開発したのを売り込んでる。

 社長の美月さんはなにを採掘しているのか不明だけれど、まあ社長だから仕方がない。ただ時々会計なんかをしている。そんな社長だけれど、給料未払いなどは無い。社員の給料が払われているのならば会社は回っていくものだ。

 美月さんの役目は実質、採掘というより場所の提供と収益の再分配だろう。美月さんというトップが居なければ僕とあのレズ営業は絶対に協力し合わない。

 今日も変わらず、二人は採掘と営業に向かって、僕は一人オフィスでDOOMだ。いや、仕事だ。単に仕事しながらでもDOOMはできるだけで。


 仕事はしている。僕の作ったソフトは普通に需要に応えていて、会社を運営する収入になっている。

ただ時々思うのは、こんなに余裕たっぷりな勤務をしていて結構な給料を貰っていいのだろうか? 全員が楽して稼いでいるならまだしも、僕がDOOMをしている間にも美月さんは採掘という(何に役立っているか不明とはいえ)肉体労働に勤しみ、あのレズ営業も汗水たらして歩き回り営業をしている。

 一方僕は空調の利いた部屋でDOOM。

 ま、まあ開発と営業では全然業務が違うわけで、仕方がないのではあるけれど。


 同世代の女性二人を働き蟻のように外で働かせて遊びながら収入を得ている男。


 なんて、深く考えちゃあいけないな。うん。僕は僕の仕事をやるのみだ。お昼は腸詰め入り焼き飯でも作っておこう。中華風卵スープも今日はつけよう。うん。せめて美味しいご飯をね。

 そう思って台所に行ったら卵が足りなかった。えーと、確か昨日か一昨日に、二人が買ってた気がするけど。

 二階の台所に全部置いてるのかな? 少し取ってくるか。

 今まで働いていて、なにか必要だなーと思って二階へお邪魔したことは無かったけれど、まあ夜は昨日も一昨日も上がってるから大丈夫だろう。道義的に。

 

 オフィス奥の階段を登って玄関へ入り、台所へと向かう。ついでにスープ鍋も持っていこう。一階はフライパン一つしか無い。 

 台所へ向かう途中で、無造作に椅子へと掛けられているメイド服が目に入った。

 あのレズメイド長が朝に脱いで放置していったのだろう。居候なのに脱ぎ散らかすとか図太いやつだ。

 ふと、あいつのセリフが思い出された。


「男スメル……」


 というヤツが染み付いたと文句をつけていた。僕はなんとなく自分の二の腕あたりを嗅いでみた。そんな臭いが出てるだろうか?

 ひょっとして昨晩トイレに行ったのでその臭いが……?

 いや、十中八九はあの女の難癖だとは思うんだけど。

 僕は若干迷って、そのメイド服を手に取った。

 顔を近づけて嗅いでみる。若干甘いような匂いしかしないが……


 パシャー☆


 その音がして僕は固まった。

 がくがくと頭が震えながら機械的な動作で振り返ると、作業服を着た美月さんが携帯をこっちに向けて立っていた。

 恐らく、いや確実に僕がメイド服をクンカクンカしている図を撮影していた。


「誤解です」

「うんうん、わかってるよ。成次くん。つい嗅いじゃうよね」

「いや、違うんです!」

「おばちゃんも成次くんが被ってた掛け布団とかなんとなく嗅いじゃったし」

「なんで嗅いでるんですか!?」


 そんなに僕臭うかな!?


「別に嫌な臭いじゃないから大丈夫だって。こう、なんというか、飼い猫のお腹の匂いとか嗅いじゃう感じというか……」

「は、はあ」

「どれどれ……ふんふん。汝鳥ちゃんの匂いがついてるね」


 美月さんはメイド服を受け取って何やら匂いソムリエを始めた。


「多分成次くんに抱きついて緊張で汗ばんだからじゃないかな。ほらこのあたりとか汗っぽい匂いが」

「うーん、よくわからないんですが……」


 甘っぽい匂いがするだけで汗の不快な感じはわからなかった。

 差し出されるので二人で服に顔を近づけてフンフンと鼻を鳴らして嗅いでみた。なにやってるんだろう僕たち。


「あと半日も置けばもっと匂いも強くなってくるからその前に洗濯を……」 

「ほああああ!!」


 大声と共に駆け込んできたのはそのメイド服を今朝方着用していた女だった。外回りを早めに終えて帰ってきたのだろう。そしてオフィスに誰も居ないから上がってきたのか。

 顔を真っ赤にして美月さんの手から服を奪い取り、目に涙を浮かべながら叫ぶ。


「何やってるんですか!? 羞恥プレイ!? だらしなく脱いだまま放置してた私への制裁ですか!?」

「いやあそんなことは無いんだけど」

「瀬尾もなに嗅いでんだ! 変態! 変態! 変態!」


 生憎と僕は涙目の地味眼鏡女に変態と罵られて喜ぶ趣味は無い。適当に言い訳しておこう。

 どう言えば丸く収まるだろうか。


 ・話を逸らす。

 ・美月さんに責任転嫁する。

 ・正直に言う。

→・挑発する。


「クッサ」


 僕は真顔で言った。


「むきゃあああ! こーろーすー! お前のほうが臭いですー! バーカバーカ!」

「小学生か」


 怒りのあまりに著しく語彙力などが低下したようだ。とにかく僕を罵ることに専念しだした。

 なだめることを美月さんに任せて僕はキッチンで焼き飯を作った。折角三人居るし、こっちで作って居間で食べても大丈夫だろう。

 切った腸詰めがゴロゴロと入った焼き飯は家庭の味だ。そこらの町中華では腸詰めを使ってお出しする店は少ない。焼豚なりハムなり使う方が多い。

 それと中華スープを作って三人分盆に載せて運ぶ。女子はもっとバジルとかアボカドとか地中海風チャーハンがお好みかも知れないが、男にそんな期待を以下略。

 居間の方では僕の顔を見るだけで映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』ぐらいの頻度で罵り言葉を吐いてきそうな女が睨むが、とにかくテーブルに並べた。

 

「ほぅらご飯だよー汝鳥ちゃん。ねっ、食べよ?」

「訴訟訴訟訴訟訴訟訴訟……」

「ふーっ、ふーっ、はいあーん」

「……あーん」


 バカチョロ女は餌を貰う雛のように口を開けて美月さんから食べさせて貰っていた。

 フォローを任せてしまったけどごめんね美月さん。でも確実に僕がなにかするよりマシだろうから。

 むっしゃむっしゃと親の仇でも食うように焼き飯を食べまくりながら僕を睨みつけていた。


「はい、それじゃあお昼の治療しましょうね。成次くん」

「うす」

「はぁー、男が調子乗りやがって……んっ」


 若干躊躇うような、渋るような様子を見せたが、余程痛みの記憶が強いのか。

 嫌そうにあいつは僕の背中に抱きつき、そして背中側でなにやら頭を動かしながら鼻を鳴らした。


「あー臭い。くさっ。臭い臭い。超臭い。こりゃ臭い。くっさー。すーめーはーらー」

「……」


 なにやら胸を押し付けて抱きつき状態を維持しつつごそごそと体勢を変え、背中側から僕の首筋とか脇とか頭とかあちこち匂いを嗅いで文句をつけている。嗅ぐなや。恐らく復讐だ。地味すぎる。

 しかしこっちは一言クッサと言っただけなのに数十倍の言葉が帰ってくる。よっぽどダメージがあったのか。


「くーさーくーさーにーんげんー。早く人間になりたい」

「妖怪人間ベムみたいに歌い上げるな」

「うるさい! 私は道徳的優位にあるんだから口答えするんじゃない!」

「どこから発生した優位なんだそれは……」


 アレだよな。言わないけどこいつの攻撃性と我儘っぷりはかなり子供っぽい。むしろ病気に掛かってより顕著になっている気がする。

 確かにあの病気では精神の変調があることが多いとあったけれど、その影響かもしれない。まあ常人なら誰でも、死にそうな痛みと馬鹿げた治療法でやけくそ気味な精神状態になるのかもしれない。体験しなければわからないことだ。どちらにせよ、恐ろしい病気だ。

 まだ背中の女はグチグチと呟いてる。と、不意に美月さんがこっちに頭を寄せてきた。


「ふんふん」

「ちょっ美月さんっ!?」

「うんうん、大丈夫。成次くんそんな変な匂いしないよー」

 

 顔を胸元に近づけて目を瞑りながら僕の体を嗅いで来たのだ。

 首元から胸、脇、腹部。ぬあー! 顔の近くに美月さんの髪の毛がいい匂いで! 石鹸に僅かに土の匂い。っていうか僕の腹嗅ぐのやめて! 変な気分になる!

 この人ちょっと匂いフェチなのかもしれない。距離が近い。

 耳に息が掛かるぐらいの距離で後方の女が唸り声を上げてくる。


「……調子に乗るなよジャップオスゥゥゥ……」

「どう調子に乗ればいいのかすらわからねえよ!」

 

 前門の美月さん、後方のレズ。この背後霊のような存在さえなければ嬉し恥ずかしイベントだというのに。

 すると美月さんは僕の正面から離れて、今度は背後へと回って。そして、


「ふんふん」

「ぬあー! ウェヒヒヒ! くすぐったいです美月キャン☆」

「キャン!?」


 キモイ声出すなよ!

 どうやら今度は後方レズ顔女の匂いを嗅ぎに行ったらしい。


「大丈夫大丈夫、汝鳥ちゃんもいい匂いだねえ」

「ハヒー! ちょっと、私外回りしてきて少し汗掻いてますからハヒー! 抵抗できない!」


 なにせ胸と両手が僕に接触しているという抱きつき中なので、悶えることもできずにレズ女は照れているようだ。


「お前美月さんとの接触喜ぶんじゃないのかよ」

「くすぐったいのは苦手でっ……! んっ、ひっ、ひゃあっ……!」


 背中で嬌声を上げてビクビク震えるのマジ止めて欲しい。


「よしよし、二人ともいい匂いだねぃ。だから臭いとか、嘘を言って喧嘩しないの。いい?」

「は、はあ」

「仲直りの記念しゃしーん」


 と、美月さんは言うと、僕と後ろのヤツの両方に抱きつくようにして、手を伸ばして自撮りした。

 三人の顔が映っている謎の仲良し写真が取れてしまった。僕はげっそりとしていて、レズは恥ずかしそうにしており、美月さんは楽しそうに笑顔だった。


「この写真が、三人が一緒に取った最後の仲が良かった頃の写真である……なんちゃって」

「なんですかその不吉なナレーションは美月さん」

「そもそも私とこのヘイトゲイモンスターは仲良くありませんから」


 謎の予言(恐らく意味はない)を残して、昼の治療は無事に終えた。




 ***** 




 会社の定時は五時だ。ただまあ、社員が三人しか居ない上にそれぞれ独立した仕事をしているので、裁量次第で早あがりしてもいいし、残業してもいい。

 ただ美月さんは五時ぐらいになると帰ってくるので、僕もそれぐらいに上がるようにしていた。納期がヤバイ仕事が立て込んでいるとかじゃなければ残業することもない。実にホワイトな会社だった。

 

「いやあ、今日も掘った掘った。おばちゃん疲れたよー」

 

 帰ってきた美月さんを、先に営業から戻り家の方へ行っていたあやつが出迎える。


「お疲れ様でぇぇぇっす社長!! ははーっ! お風呂沸かしております!」

「そう? じゃあ先に貰おうかねぃ」

「是非! 私はそこの眼鏡が不埒な覗きをしないか見張っておきますので!」


 二人のやり取りはともかく。

 六時か七時になると再度の抱きつき時間になる。その前に風呂に入りにいくべきだろう。


「僕は銭湯行ってきます」

「別に成次くんもうちのお風呂使っていいんだけどねぃ」

「違いますよ美月さんほらアレですよ。銭湯ってハッテンする人たちの集会場的な。社交場なんですから邪魔しちゃ悪いですよゲイボーイの」

「そ、そうなの? 成次くん……その、ガンバ!」

「何も頑張らねえよ」


 僕はげんなりとツッコミを入れてロッカールームから着替えとタオルを取り出し、近所の銭湯へ向かう。

 毎日銭湯とは豪華な気分だ。ついでに、会社で寝起きするようになったので外出の機会が今ぐらいしか無くなっているので、コンビニにも寄りたい。

 銭湯へ向かう途中で、なんとなく小さな店が目についた。『個室ビデオ屋』だ。今まで気にしたこともなかった。


「……」


 個室ビデオ屋とは、その名の通り店内にある個室でビデオ鑑賞をするだけの店である。他になにかサービスが必要だろうか? まあ、リラックスのためのマッサージ道具を販売してたりもするらしいけれど。

 少なくともコレまでの人生で僕は入ったことがない。何故って、個室でビデオを見るなんて、そんなの一人暮らしの自宅で見るのと変わらないではないか。

 しかし、美月さんと──女性と同じ屋根の下で生活していて。

 確かに、個室でビデオを見れる環境は特別料金を払っても必要になることがあるのだな、と思った。

 僕の例は特殊だが、世間のお父さんたちが奥さんや娘さんに隠れて一人ビデオを見たくなることもあるだろう。そういう時のためのお店だ。男が一人で見るべきビデオだって存在する。


「……!」


 抱きつき予定時間まであと一時間程度。風呂は十五分程度(風呂を入りに出たのに、入って来なかったら怪しまれるだろう)と考え、まずはビデオの厳選に恐らく十五分。残り三十分。

 短い……! 一本見きれない……!

 どうする……!?


「くっ!」


 僕は個室ビデオ屋の前でうっかり十五分ほども悩んでしまい、結局時間的な余裕を逸したので今日のところは諦めることにした。

 だが……いずれ力を借りるときも来るだろう。僕は銭湯で水風呂に入りながら、都合のいい時間帯を思案するのであった。





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