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新・TIKARA  作者: 南の二等星
6/15

第六話 ゲームオーバー?


「今日は体育館内の冷房装置を全面工事する日だから、授業、昼休み、部活動での使用は禁止ね。守れよ」


 朝のHRで、柏木が落ち着きのない生徒たちに向かって声を張っている。

 うるさい空間だった。耳に障る。目に障る。どいつもこいつも、レストランを100mトラックに見立てて走り回る子供みたいで、辟易する。

 たった一分……世界中の人間が息を止めればいい。感情を失って沈黙すればいい。電話回線がパンクすればいい。信号が全て赤になればいい。……あたしは自由になれる。空だって飛んでやる。

 朝を繰り返すたび、この空間は賑やかさを増していった。各々が気の合う友を見つけ、末永く続けていくだけの価値ある友情と、そうでないものとに見切りをつけ始めたから。それがどんな形だろうと、こういったセンスはデパートでの洋服選びと大差ない。大方、試着室にこもらない奴は失敗する。

 中には寡黙で地味で控え目なクラスメートもいる。彼らに試着は必要ない。気付けば惹かれ合い、教室の隅で自然と打ち解け合う。人生のセオリー。でしょ?


 そして言うまでもなく、あたしは一人ぼっちだった。


 柳葉一家を名乗る暴力団との一件以来、あたしはほとんど誰とも口をきいていない。教室ではかくれんぼのごとく気配を消し、廊下では抜き足に励み、トイレから出る時は首だけ突き出し、誰か怪しい奴がいないかチェックするのに余念がなかった。

 あの朝、概念は覆った。忍び寄る死の片鱗に触れ、あたしという人間が何者かを知った。あたしは、ちっぽけで儚い。あたしは、不運でぼっち。漫画の主人公にはほど遠い通行人C。

 ヤクザが銃をかざしたって、〝この国は平和〟だ。女子高生がオカマにナイフを突きつけられたって、〝この国は平和〟なんだ。壁一枚で万事は地球の裏側になる。

 それがあたしにとっての概念だった。



「おっはよー、柴田さん」


 いつもの気取った挨拶が背後から聞こえてきた。

 神崎美奈子……どうして、彼女はあたしに声をかけるんだろう? いくら厄介者にされても、悪態をつかれても、どうして挫けないの? あたしはこんなに苦しいのに、それを顔に出してるのに……。


「どうしたの柴田さん、疲れてるの? 最近ますますブサイクね……ていうか痩せた? ガイコツみたい」


 神崎は言うに事欠いて嫌味を吐き出し、あたしの机に尻を据えてこっちを見下ろした。


「ほっといてよ」


 声がしゃがれてる。二日ぶりに喋ったから?


「あたしは能天気なあんたとは違うの。悩みだって山ほどあるし、心は傷だらけ……ていうか尻どけろ」


「こわ~い。そんな早口で喋らないでよ。それよりさ、良いこと教えてあげようか?」


「いい。一人にさせて」


 少しキツかったかな? 何かブツブツ言いながら自分の席に座る神崎。淋しそうな後ろ姿。頬杖をつきながら、手ぐしで枝毛を探してる。

 いつもは気にもとめない。でもセンチメンタルなせいか、周囲の悲愴感がやたらと目に染みてくる。同情心へ訴えるように、心を激しく揺さぶってはあたしに悪さする。あわや泣きそうになったり、鼻水が溢れ出しそうになる。

 神崎との間には隔たりがあった。いや正確には、あたしが壁を作っていた。周囲から剥離されれば、鬼山といつまでも一緒にいられる気がした。あたしは鬼山のせいで無視されていたんじゃない……嫌われるのがイヤで、殻に閉じこもっていただけだ。それでいいと思ってた。

 けど、もう鬼山の中にあたしはいない。それどころか、あたしは誰の中にも存在していない。そのことを初めて怖いと感じた。

 神崎……あんたの中にあたしはいる? あたしが笑ったら笑ってくれる?

〝神様の粋な計らい〟……あんたはまだ信じてる?


「いただきまーす」


 昼休み、あたしは元気だった。空元気だけどね。久しぶりに笑った。

 あたしは今、お母さんの手作り弁当を机に広げてる。神崎の膨れっ面がこっちを睨んでもお構いなし。


「なんで柴田さんが私の所でお昼を食べてるわけ?」


「気にしない、気にしない」


「気にするっちゅーの……」


 神崎はぶつくさ言いながら、コンビニ袋の中から弁当を取り出し、いつもの半分のスペースしかない机の上に一式広げた。神崎家は資産家だけど、だからと言ってお弁当に重箱を選ぶほど愚かじゃない。理由はともかく、神崎はいつもコンビニ弁当か購買のパンばかり食べていた。


「……何かあったの?」


 びっくりした。咀嚼も忘れて呆けてしまった。

 見ると、神崎が真顔でこっちを眺めてた。初めて聞いた。神崎の真剣な声色。


「何……急に……?」


「死相が出てるわよ」


 言いながら目を逸らす神崎。あたしには、〝柴田華世〟を心配する自身の声色をひどく恥じ入るような仕草に見えて、けれどそれがちょっぴり嬉しかった。

 何笑ってるの? 神崎がいぶかる。


「おかしくって、あんたの顔」


 あたしたちはそれぞれ頬を膨らませた。


「ねえ、さっき言ってた〝良いこと〟って何?」


 あたしはミニトマトを摘み上げるのに苦労しながら尋ねる。サラダにドレッシングをかけていた神崎の手が止まった。

 知りたい? 身を乗り出す神崎。ミニトマトにドレッシングを一滴落とす。


「知りたい。教えろ」


「じゃあ卵焼きちょうだい」


「え……あぁっ!」


 華麗な箸さばき。渋る隙もない。

 いっそ箸で目をつついてやろうかと思ったが、あんまり美味しそうに頬張るのでその気も失せた。あたしには真似できない笑顔……人を幸せにできる笑顔だった。


「冷めててパサパサしてるけど、こっちのよりは美味しいわね」


「当然でしょ。隠し味は〝愛〟よ」


「くっさ」


「で、良いことって何なの?」


 神崎が取引のことを都合良く忘れる前に聞いておいた。


「新聞局長の朝倉、覚えてるでしょ?」


「頭が金たわしみたいな人ね」


 忘れられるはずないじゃない。


「じゃあ、会議室に仕込まれてたビデオカメラのことも覚えてるわよね?」


「あんたまさか……」


「その〝まさか〟よ」


 神崎は箸の先端をこっちに向けた。


「朝倉がカメラを仕掛けた犯人だって確信はあったから、その日の内にメールを送ったの。ほとんど脅迫じみてたと思う」


「でも、アドレスの紙は捨てたんじゃ……?」


「あんなのもう何百枚も貰ってるわよ。とにかく、『あなたがやったんでしょ!』みたいな内容を送ってみたの。そしたら、『アニコスの撮影をさせてくれるなら知ってることを教えてあげる』ですって。そもそもこっちは、コスプレの撮影を回避するために脅そうとしてたのにさ」


「バラされたくなかったら撮影の話はなかったことにしろ、そういうこと?」


 神崎はこっくりうなずいて、またあたしに笑いかけた。


「すごい自信。証拠でもあるわけ?」


「ないわよ。カマかけようと思って」


 神崎がもごもご言うのを、あたしは顔をしかめながら聞いていた。


「録画開始時刻から間もなく、会議室の方から歩いてきたのは誰だった? それだけじゃない。柏木先生によると、あのビデオカメラは学校の所要物らしいじゃない。新聞局なら簡単に手に入れられるはず。ほら、明確な証拠はないけど、あいつを動揺させるだけの説得力はあるでしょ?」


 神崎の無謀な好奇心は、名探偵気取り半分、おふざけ半分で出来ているみたいだった。あたしは相槌も打たず、ただ眉根を寄せていた。


「そんな怖い顔しないでよ」


 気分を害したような声色。あたしはミニトマトを転がしながら嘆息を漏らす。


「だって、もし本当にあいつが犯人だったら、どんな手段を使ってくるか分からないんだよ。神崎さんの口を封じて、なおかつ卒業までの一年間を安泰に過ごそうとするなら、それなりの手に打って出ると思うなあ」


「自業自得じゃない。それに危なくなったら逃げるわよ……もしかして柴田さん、私のこと心配してくれてる?」


「全然」


 言いながらちょっと左へ視線を流す。あたしってこんなに嘘が下手だった?


「……で? いつ会うの?」


「今日の放課後」


「……ずいぶん急ね。場所は?」


「秘密。コスプレさせられた時の、最悪の状況を想定してるんですから。まあ、朝倉がいざ撮影モードに入ったら絶対に逃げてやるけど。……とにかく、盗撮したことを認めさえすればそれでいいのよ。あいつとの距離をおくことができるなら、私だって手段は選ばないわ」


 神崎美奈子をここまで追い込むなんて、恐るべし朝倉。


「本質を見極めて、もっと慎重に行動した方がいいんじゃない? 今後のあんたのためにもさ」


 神崎が目を見開いた。


「いきなり頭良さそうな発言しないでよ。ビックリしちゃった」


「何か喉に詰まらせてやろうと思って」


「殺人未遂罪よ」


「これが罪って言うならあんたもよ。その生まれ持った美貌を罪と認識して、猿山の猿たちへの誘惑をやめることができるなら、あるいは今の状況を緩和させる新たな術が見つかるかもしれないわね」


「何言ってんの」


 鼻で笑われた。


「鬼山くんトイレ行くの? 僕も行くよ!」


 耳障りな声。おもむろに席から立ちあがる鬼山を、五十嵐が目ざとく見つけたらしい。


「鬼山くんがかわいそう!」


 教室から出て行く二人を見送ると、神崎がいささか悲鳴を上げる。


「あのストーカー、最近になってますます鬼山くんに粘着してると思わない?」


「まあね……」


 あたしは曖昧に返事をしたけど、思ってることは神崎と同じだった。四月も終わりに近づく頃から、五十嵐の見せる鬼山への腰巾着っぷりは度を超えていた。影のごとく行動を共にするそれは、勢い余ってトイレの個室にだって一緒に入りかねない。

 あたしは気にしつつも、今は鬼山のことを考えたくないというのが本音だった。


「ほっときゃいいのよ。どうせ五十嵐のことなんか眼中にないんだから」


 何も意識しないまま、あたしはそんなことを口にしていた。



 放課後の掃除は『三階と二階をつなぐ階段とその周囲』だった。要は、不良たちの集う廊下〝コエダメ〟のすぐそばにある階段ってわけ。

 不良たちの巣窟と『あかずの間』が急接近するだけあって、生徒みんながここの掃除を嫌ってる。こんな時、リーダーの瀬名くんはとても頼もしい。彼はとにかく物怖じしない。瀬名くんにかかれば箒は不良退治の武器と化す。彼が最前線で埃をかき集めるその陰で、あたしたちは迅速且つ丁寧に事を進められればそれでいい。


「ゴミは僕が捨てに行くから、今日はここまで」


 瀬名くんは柔和に言うけど、角一つ向こうの廊下を見透かす視線は、そこに転がってる本物のゴミたちを片づけたいとばかりに歯がゆそうだった。


「行ってくるね。ついてこないでよ」


 神崎は囁き、階段を下りて行った。


「柴田さん。ゴミ捨て場まで一緒に行かない?」


 瀬名くんが不意に声をかけてきた。

 集めたゴミは大した量じゃないけど……あたしは戸惑いつつも了承した。詰まるところ、あたしが手にしたのは箒と塵取りだけだった。


「最近元気ないけど、何かあった?」


 階下へ向かいながら瀬名くんが案じ声で話しかけてきた。あたしと話す機会を作りたかったみたい。


「色々と……あっ、でも大したことじゃないんだよ」


 瀬名くんが眉をひそめたので、あたしは大げさに箒を振り回しながら言い添えた。


「もしかして、鬼山と何かあったとか?」


 当てずっぽうで指摘したことは分かってたはずなのに……あたしは愛想笑いで誤魔化すこともできないで、ただ哀愁に目を細めるばかりだった。


「ごめん……深入りし過ぎだよね」


 そんなことない。あたしは言って、笑顔を繕った。


「あいつが関係してるのは確かだけど、ほんと、乙女の小さな悩みなんだから」


 瀬名くんは一片の笑みを見せたきり、喋らなくなった。

 あたしたちは黙々と靴を履き替え、駐車場にあるゴミ捨て場目指して校舎脇を歩き出した。


「これが先生の畑か」


 駐車場へと続く校舎の前庭まで辿り着いた時、瀬名くんがそう言って花壇の一つを見下ろした。あたしも隣に立って視線を落とす。

 どうやら、この庭園の一角を柏木が譲り受けたという噂は本当らしかった。手作り風の小さな立て看板には、汚く歪んだ字で〝柏木の畑〟と書かれている。


「何育ててんだろ?」


 まばらに突き出す雑草たちを観察しながら考えてみた。答えは出なかった。


「たしか、先生の趣味は観葉植物の栽培だったはず」


「それどこ情報?」


「自己紹介する時に本人が言ってたじゃないか」


 そうだっけ?


「掘り起こされた跡があるな」


 確かに、周囲とは土の色が違う。


「雑草を栽培するなんてあの人らしいわね」


「何か埋めたんじゃないのかな?」


「死体だったりして」


 ちょっとダークだったわね。瀬名くんは笑ったけど、目は虚ろのまま畑に据わっていた。


「何してる?」


 おっと、噂をすれば……駐車場の方から柏木がやって来て、あたしたちに声を掛けてきた。目が赤い。


「先生の花壇を拝見していました」


 瀬名くんは包み隠さず述べた。

 柏木は笑っていた。ニコニコってより、ニヤニヤしてる感じに近い。それに何だか……やたらと香水くさい。


「何か植えようと思ってね。決め兼ねてるところだ」


「ダリアの種が家にあるんです。メキシコ原産の質のいい品種らしくて、夏には色鮮やかな花が咲きますよ」


「いいね。少し分けてくれないか……おい、鬼山」


 声色が急変し、ニヤニヤが引っ込んだ。視線の先に鬼山がいる。薄っぺらいカバンを肩に引っ掛けて、一人で玄関から出てきた。柏木が歩み寄っていく。


「帰るのか?」


「タバコ切らしたんでコンビニに」


 鬼山くんは包み隠さず述べた……ってなんでやねん。


「パシらねえんだな」


「俺しか買えないんで」


「一緒に来い。話がある」


「嫌です」


「顔の傷どうした?」


「猿と喧嘩しました」


「……ふざけんなよ?」


 あいつ冗談言えたんだ。

 立ち去る鬼山……が、すぐに戻ってきた。


「これ、あげます」


 カバンから取り出して、柏木に手渡した。ここからじゃよく見えないけど、本、みたいだった。表紙が黒光りした。


「何だこれ」


「選択肢です」


 それだけ言って、鬼山は今度こそコンビニへ行ってしまった。柏木は突っ立って手元の本を見下ろしていたものの、やおら振り向き、それを放ってよこした。


「捨てとけ」


 あたしは柏木の背中を見送った後、地面に落ちた本を拾った。タイトルは『おばけのバーベキュー』。子供向けの怖い絵本だった。


「どういうこと?」


 あたしは瀬名くんと顔を見合わせた。


「ただの挑発じゃないかな。おばけ、選択肢……この前の授業を逆手にとったんだよ」


 あたしたちはその場を後にした。真っ赤な牡丹で彩られた楕円形の花壇に差し掛かった時、何の前触れもなく、あたしはあることを思い出した。


「そういえば、ずっと聞きたいことがあったんだ」


 瀬名くんは返事代わりに振り向いた。


「ほら、会議室でカメラを見つける直前、鬼山はお兄さんのことを知ってるかもしれないって言ったよね?

 あれってどういう意味?」


「ああ、話が尻切れになってたんだっけ。……写真が見つかったんだ。十年も前の写真だ」


 そこまで言うと、瀬名くんは警戒心をむき出しにした眼差しで周囲を見渡した。


「兄が逮捕されたことで、無論、家にも警察がやって来た。薬物を実家に隠してる場合もあるからね。兄の私物は大方持っていかれたけど、写真アルバムくらいは残された。その内の一枚に、かなり興味深い写真があったわけだ」


「もしかして、鬼山とお兄さんが並んで写ってるとか?」


「足りない。もう一人写ってた」


「誰?」


「君だよ」


 あたしかよ。


「つまりどういうこと?」


「写真の日付から十年前ってことは分かった。古い写真だけどね、面影は鮮明に残ってる。あの写真に写ってるのは間違いなく、兄と鬼山、そして柴田さんだ」


 気付くと、目の前はゴミ捨て場だった。鉄板を組み合わせただけの粗末な造りは、自然の恵みで地面から生えてきたような様だった。スライド式のドアは口を大きく開けている。男子生徒が一人、その中へゴミを投げ入れたところだった。


「それってどういう写真なの?」


 狭くて真っ暗な空間に絵本とゴミ袋を放り込む瀬名くんの後ろ姿へ向かって、あたしは聞いた。


「表札は鬼山と読めた。路上にチョークで絵を描いてた」


 う~……思い出せない。


「その写真、今持ってる?」


「いや。兄の写真は誰にも見せるなって、親から言われてる。両親は……僕もだけど、瀬名家の血筋から兄の存在を消したいんだ。でもそんなこと不可能だろ? だから忘れたいのさ。一刻も早く……」


 かけるべき言葉が浮かばない。

 瀬名くんは行方知れずの『ドラッグ売上金』についても知ってるんだろうか? 暴力団が血眼になって探してることを伝えたら、瀬名くんは何を選択するだろう?


「あの……今日は声かけてくれてありがとう」


 帰る道すがら、あたしははにかみながら礼を言った。瀬名くんは口の端でうっすら微笑んだ。


「あたし、ずっと一人で悩んでて……だから、心配してくれる瀬名くんがいて、一緒に話してくれる神崎さんがいて、今日はすごく恵まれた一日だったと思う」


「苦しみは分かち合えるものだよ。僕で良ければいつでも肩を貸すよ。……そういえば、今日は神崎さんと一緒に昼食をとってたよね。いいなあ、親友って」


「えっ……違う違う。神崎さんとは親友なんかじゃないよ。友達でもないし」


「そうなの? 君たちって思ったことを素直に言い合ってるみたいで、すごく仲良しに見えるけど」


 何だか気恥ずかしかった。

 あたしと神崎って、周りからそんな風に見られてたの?


「本音でぶつかり合える友達って凄いよね。一生に一度、巡り合えるかどうかの存在だよ」


 ……違う。


「友達なんかいらなかった。あたしには鬼山がいたから……ぜんぶ鬼山のせいにして心が臆病になっても、あいつと一緒にいられるなら構わないと思ってた。あたしはいつまでも、鬼山勝二のせいで友達のいない〝かわいそうな子〟を演じていたかったから」 


「神崎さんは? 柴田さんにとって神崎さんは何だったの?」


「さあ……あたしはただの引き立て役だもん。あたしみたいなブッサイクを隣に据えとけば、より自分が可愛く見えるでしょ?」


「信じてたんだよ」


 瀬名くんは言う。


「君を信じてた。それは僕も同じだ。だから分かる。君は怖くない。鬼山も、怖くなんかない」


 苦笑する瀬名くん。


「時々気付くんだ。僕には、本音で語らえる親友どころか、冗談を言い合える友人さえいないってことに。上辺だけで築いてきた人間関係なんか、ここにきて何の役にも立ちやしない。だから、僕は柴田さんがとても羨ましいよ」


「あたしには? それは本音じゃないの?」


「分からない……僕は、たまに自分を見失う時がある。どこまでが本音で、どこからが建前かなんてさほど問題じゃないんだ。『まずは信じろ』……鬼山の言葉を借りるなら、僕はまず自分を信じることから始めなきゃならない」



 瀬名くんとは教室で別れた。学級委員の会合があるからと、急いで教室を出て行ってしまった。あたしは一人席に座って、物思いにふけっていた。神崎のこと、鬼山のこと、瀬名くんの言葉。みんな一緒くたになって、静寂に染み込んでいく。

 あたしは、鏡のような湖面の上を途方もなく漂っている。澄んだ空が見える。あたしを中心に波紋が広がって、消える。広がって、消える。まどろむ。意識が沈んでいく。

 闇の底で、神崎が笑った気がした。

 ふと目が覚めた。机に突っ伏してから三十分も経っていた。

 ……カバンの中でケータイが鳴ってる。神崎からだ。


「もしもし?」


「失敗した……」


 背筋が凍った。


「……冗談でしょ? ねえ……」


「助けに来て……場所は……」


 聞き取れなかった。受話器越しに物音が聞こえて、次にはもう通話が切られていた。かけ直しても応答がない……電源が切られてる。

 もう迷わなかった。あたしは教室を飛び出して、廊下をひた走った。部活動でランニング中のどの生徒たちより速く走った。床を蹴る。男子を三人ほど吹っ飛ばす。床を蹴る。加速する。髪がなびく、スカートがなびく。邪魔くさい、邪魔くさい!


「鬼山!」


 コエダメに滑り込んで叫んだ。

 群れる不良たちの中枢でタバコを吹かす鬼山。取り巻きが一斉にこっちを睨む。五十嵐が近づく。


「鬼山くんに何か用?」


 雑魚が……。


「鬼山に……話があるんだ……あんたじゃない……」


 呼吸の合間に言葉を詰め込む。


「鬼山……神崎さんを助けて……三年の朝倉って奴に捕まって……」


「ここへ来るなと言っただろ」


「でも……!」


「もう一つ。俺に近づくなとも言った」


 噛みしめた奥歯が音を立てて折れそうだった。


「あんたにしか頼めないんだよ! 力になってよ!」


「知るか。さっさと失せろ」


「バカ! 根性なし! 意気地なし!」


 もう二、三付け加えたかったけど、そんな猶予はない。鬼山抜きで、とにかく手当たり次第に探すしかない。


「おーい、柴田さん」


 一階へ下りた時、玄関で瀬名くんと鉢合わせた。


「委員会は!?」


「早くに終わったんだよ……何かあった?」


 あたしはすさまじい勢いで事情を説明する。


「かんばしくないな……先生には言った?」


「言ってない。事が大きくなると思って。それに、結局場所が分からないんじゃどうしようも……」


「落ち着いて。よく考えてみて。神崎さんは何かヒントになるようなものを残していかなかった?」


 酸欠で強制終了寸前の脳みそをいたわってる暇はなさそうだった。記憶を掘り起こし、神崎の行動一つ一つを思い出してみた。


「階段……」


 あたしは曖昧に呟く。


「掃除が終わった後、神崎さんは二階へ下りて行った」


「じゃあ、手分けして探そう。僕は二階、柴田さんは一階だ。もし見つけたら僕に知らせて。一緒に助けに行こう」


 一階の教室をすべて見て回るのに、十分もかからなかった。トイレはおろか、普段は清掃員のおばちゃんしか出入りしないような用具室まで踏み込んだのに……手掛かりなしだった。


「あとはここだけか」


 瀬名くんと落ち合ったのは体育館の前だった。巨大な扉が半開きのまま佇んでいる。


「たしか、冷房装置の工事があるから使用禁止だって、柏木が言ってたよね?」


 あたしたちは顔を見合わせた。瀬名くんの目が見開く。少し遅れてあたしの口がポカンと開く。そして扉が開く。中から作業着のおっさんたちが現れる。


「今日、体育館が絶好の隠れ場所だってことにどうして気付けなかったんだろう」


 瀬名くんが呻いた。


「撮影するならここ……体育館の倉庫しかなかったんだ!」


 あたしたちは足並み揃えて体育館へ飛び込んだ。右手奥に見える倉庫への扉は開いていた。


「何かおかしいぞ」


 瀬名くんは肩で息をしながら扉を観察した。それは蝶番ごと枠から外れ、内側に折れ曲がっていた。


「行こう」


 訳も分からないまま瀬名くんに促され、あたしは淡い光の漏れる地下倉庫目指して階段を下りはじめた。忍び足は軋む階段を前に意味を成さない。下から声が聞こえてくる。段々と大きくなる。明滅する電球……あたしたちは中を覗き込んだ。

 眼前で何が起こっているのか、理解するのに時間が必要だった。ナイフを構えた朝倉、拘束され、身動きが取れなくなっている神崎、そしてすぐ手前には、不敵な様相で仁王立ちする鬼山の姿。


「あーあ、また増えちゃったね」


 光を受けて奇怪に輝く朝倉のナイフが視界を薙いだ。刹那、あの戦慄が体内を疾駆する。壁にもたれ、あたしは立っているのがやっとだった。


「降伏しろ。もう面倒事は御免だ」


 小声ながらも力強い鬼山の声。授業用具に囲まれた狭いスペースで刃物を突き付けられているというのに、鬼山はいつものスタンスを崩さない。

 朝倉の肩越しに神崎の姿が見えた。セーラー服は胸元から切り裂かれ、下着が露出している。青白い顔には生気がない。後ろ手に結えられ、壁際の木製ラックに縛られている。足元にはケータイが転がっていた。

 恐怖は怒りに取って代わった。怒気は熱となり、体中を巡った。

 朝倉のすべてが憎い。顔に貼り付く不快な笑み。頭の金たわし。明かりを照り返す脂っこい顔。はち切れそうなボタンの一つひとつまでが憎かった。


「降伏? ゲームオーバー? ありえないね。ゲームはこれからも続くよ。僕はザコキャラにすぎないけど、僕の意志はまったく別のところで今も動き続けてる」


「君に一つ聞きたい」


 瀬名くんが鬼山と横に並ぶ形で進み出た。


「大方の事情はもう聞いてる。健康診断の前日、会議室にカメラを仕掛けたのは君か?」


 笑顔の隅々に、息を潜めていたはずの醜悪の断片が滲み出てきた。


「神崎さんと同じこと聞くんだね。あぁ、もしかして、あのカメラ見つけたのって君たち? 回収しようと思ったらなくなっててさ、参ったよ。……推察どおり、あの日、会議室にビデオカメラを置いたのはこの僕さ」


 誇らしく胸を張る朝倉。後ずさりし、力なく呆け立つ神崎と肩を組んで密着した。


「神崎さんったらね、そのことで僕を脅すんだ。バラされたくなかったら撮影会の話をなかったことにしろって……だから今日、僕はここに彼女を呼び出した……端から襲うつもりだった……鬼山……お前が来るまではな!」


 それが朝倉流の不意打ちだったに違いない。いきなり声色を変えるや、ナイフをかざしてドタバタと突進してきた。切っ先が振り下ろされ、塵と埃のベールが引き裂かれる。刃の先端は鬼山の額、数センチ手前で止まっていた。

 鬼山は寸でのところで掴んだ朝倉の手首をグイっと捻じ曲げた。その指先からナイフが滑り落ち、高い金属音を響かせて床に転がる。朝倉が尚も無理な姿勢でナイフを拾おうとする。鬼山は後ろ足でそれを蹴飛ばすと、朝倉の首根っこを鷲掴みにして壁際に叩きつけた。ナイフは埃っぽい床の上を滑り、瀬名くんの足元で止まった。


「何か言い残すことは?」


 空いている方の手で拳を握りながら問う。鬼山には似合わない慈悲深い口調だった。


「言ったろう」


 朝倉の声は潰れていた。


「ゲームオーバーはありえないって。今この学校で何が起こっているのか、まだ誰も気付いちゃいないんだ。ディヒヒ……影で動き回る真のボスキャラを、僕の意志たちはと……」


 言い終わらない内にボディーブローをかます鬼山。ひどい? いいえ、これぞ鬼山。

 朝倉は一撃でノックアウトされ、大の字に倒れて動かなくなった。


「はい、そこまで」


 あたしは飛び退いた。背後に柏木が立っていた。


「……お前がやったのか?」


 見てたくせに、今や微動だにしなくなった朝倉を指差しながら柏木が問いただす。


「だったら?」


 平然と答える鬼山。それは、人間を躊躇なく破壊できるという点において、あたしたち一般人とは感覚がズレてしまっている者の所業だった。


「これは重大な暴力行為だ」


「先生、お言葉ですが」


 瀬名くんが悠然と口を挟む。


「過失は殴られた彼にだってあります。一方的に鬼山を叱責するのは……」


「君の意見なんか聞いてない」


 柏木は鬼山から目を逸らすことなく、冷たくあしらった。


「来い。職員室でたっぷり尋問してやる」


「あたしも行く」


「鬼山だけでいい!」


 柏木が吠えた。天井の梁から束になった埃がいくつも降ってきた。


「すまない……最近色々なことがありすぎて、疲れてるんだ」


 柏木はいつもの朗らかな笑みで振り向いた。


「……柴田さん、神崎さんに何か着せて、保健室へ。瀬名くん、ここを出る時は鍵をかけなくていいからね」


 次の日。鬼山勝二、朝倉仁の両名に、一週間の停学処分が下された。

 神崎の席はカラッポだった。


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