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新・TIKARA  作者: 南の二等星
14/15

第十四話 鬼ごっこは終いだ

※種明かしアリ

※未読注意


 ひと気のない校舎に二人分の足音が響いていた。どこも薄暗くて、気味が悪い。コエダメが近づくたび、緊張と興奮で浮き足立ってくる。

 廊下を走る。階段を上る。迂回して、廊下を走る。階段を上る。立ち止まる。角から顔を突き出すと遠くにコエダメが見える。その先に『あかずの間』の暗幕が見える。すぐそこに美奈子と隠れたトイレの手洗い場が見える。

 なぜ『あかずの間』なのか、尋ねると、鬼山は「行けば分かる」とだけ答え、それっきり喋らなくなった。あたしは追及しなかったし、そうすべきと分かっていた。それが空気を読むってことなら、あたしの行いは上出来な仕上がりだったと思う。

 張り詰めた闇が喉を塞いでくる。校舎全体が喋るなと言っている。校舎全体が鼓動にも似たカラオケのビートを刻んでいる。さながら怪物のはらわただ。一歩踏み出すたび、邪悪な気配を感じる。

 『あかずの間』の施錠は外れており、ドアは難なくスライドした。「用心しろ」。あたしを見る鬼山の目が語りかけていた。

 中は真っ暗だった……ってわけじゃない。視界の真ん中に一筋の光が差している。細く切れ込みを入れたような光だった。どうやら、ドア窓に張られた暗幕と同じもので教室が仕切られてるらしい。光はその向こう側から漏れている。

 あたしたちは音もなく前進していった。鬼山が暗幕に手を掛け、一気に振り払った。刹那、眩い光で目がくらんだ。顔を背けても、目頭を圧迫するような光輝がまとわりついてくる。

 細めた視界に映り込んだのは、暗幕に隙間なく内張りされたアルミホイルだった。足元には植物の群生が植わっている。見覚えのある土鉢から顔を出し、膝丈ほどに成長している。甘い匂いがする。間仕切りされた空間の四隅に扇風機が置かれ、それぞれ首を振っている。天井から照明器具が幾つもぶら下がって、オレンジ色の光で満遍なく植物を照らしている。土鉢は十……いや二十はあるかもしれない。葉に隠れて正確な数が分からない。

 聞かずとも、これらが何を意味するのか分かる気がした。あたしは鬼山の顔を見上げた。鬼山はこの異様な空間を見ていなかった。視線の先はあたしの背後に据えられている。


「待った甲斐があった」


 声が聞こえた。振り向くと闇に溶け込む人の姿が見えた。柏木じゃない。


「五十嵐が失敗することも計算の内だった。故に、君がここへ来ると分かっていた」


 鬼山が暗幕を引きちぎると、照明器具が男の輪郭を照らし出した。埃をかぶった理科実験用具の向こう側に、輝く白髪と痩身が浮かび上がっている。

 武田先生が立っていた。

 いつもの朗らかな微笑みはない。あるのは恐怖を醸すうろんの無表情だけだ。鬼山の顔をじっと見つめてる。


「先生……何で?」


 あたしは声を絞り出す。そうしながら退路を築く。踵で鉢を押しのけ、鬼山の背後へ回り込む。


「どこまで知った?」


 先生はあたしなんか見えてなかったかのように尋ねた。


「五十嵐が柏木の名を出した」


 鬼山が答える。


「計画に関することは?」


「分からない。だが見当くらいはつく」


 鬼山は足元のそれを見下ろし、肩をすくめた。


「〝観葉植物〟が聞いて呆れる」


「大麻の栽培は私の役目だった」


 武田先生は穏やかな眼差しを向けることでそれらを愛撫した。


「春休み、この学校に赴任が決まった柏木先生と出会った。第一印象に好感を持った。人懐っこい快活な男だった。私が校舎を案内した。最後に彼は尋ねた。〝使われていない空き教室はないか?〟、と……私はここへ案内した」


「大麻を栽培するために?」


「故に五十嵐を利用した。あいつを『選挙管理委員』へ誘ったのは柏木先生だ。瀬名雄吾を選挙で勝たせるため、五十嵐に不正行為を促す必要があった。同時に、私が投票立会人となることでそれを監視した。唯一の誤算は夏目の存在だ。あのバカどもさえいなければ瀬名は勝っていただろう。そうなれば柏木先生指揮の下、コエダメから不良たちを追っ払うことが出来たんだ。この教室を出入りする私の姿を極力見られないようにするためだ」


「教員の権限でいくらでも退けられただろ。わざわざ瀬名を利用する意味がない」


「不良たちの排除は二の次だった。柏木先生にとっての優先事項は、瀬名大吾の情報を引き出すため、瀬名と親密になっておくことにあった。〝コエダメの浄化〟……落選はしたが、足掛かりとしては最適な名目に成り得ただろう」


「だが栽培は続いた」


「無論。鉢植えは瀬名大吾が逮捕された直後、柏木先生が彼のアパートから持ち出したものだ。柳葉一家が独自に築いた栽培、密売ルートに瀬名大吾が大きく関わっていた。行方の知れない売上金の返上を迫られていた柏木先生には、これらを栽培するための環境と設備、そして人手が必要だった……私はそれに乗った」


「金か?」


「お金は断ったよ」


 やんわりと首を振る。


「柏木先生は私を引き入れるつもりだったらしい。この場で柳葉一家の組員だと名乗った。ワクワクしたよ。何かが始まる予感がした。世間知らずの時分に悪友と出会ったような興奮を覚えた。お金では買えないスリルを提供してくれる。筋書きなぞりの完璧な人生では味わえない歪曲し続ける横道を私は求めていた。私の人生は死して尚完璧なはずだった。……シナリオは瓦解し、私は生まれ変わった」


 さっきから……何言ってるのか分からない。


「先生……何で?」


 あたしは繰り返す。他に聞きたいことなんか何もない。


「私は私を知り尽くしていた」


 独り言のような声量だった。


「私は渇望する私を知っていた。穢れてこそ完成だ。そう豪語できる私自身を私は知っていた。他人と比べる物差しなどありはしない。私はずっと私だった。その事実を笑みの裏に伏せてきた。休み時間の散歩が日課だった。刺激を求めてどこへでも歩いて行ける気がした。年不相応に飢えていたんだ。そして憎んでもいた。傷つかぬよう生きてきた臆病な私自身が憎かった。それを選択してきた私自身が憎かった。失うものなんか何一つありはしないのに……」


「身勝手な私情に俺たちを巻き込まないでくれ」


「自分から巻き込まれに来たんだろ、フクロウ」


 落ち着きながらも挑発めいた口調と目つき。産毛ごと総毛立つ。


「柏木先生も手を焼かされた。お前だけは振り切れなかった。五十嵐にスパイさせた一番の理由がこれだった。お前の居場所を把握しておく必要があった。行動の一つひとつを把握しておく必要があった。コエダメから遠ざけたかったのは不良たちではない……ただ唯一お前だった」


「柏木は今どこにいる?」


「さっき連絡があった。やはりお前の家で間違いない、と」


「……どういう意味だ?」


「足りないんだよ、一つ」


 武田先生の視線があたしたちの足元に据えられた。


「回収された鉢植えは数が合わなかった。私たちはずっと、消えた売り上げ金とを結ぶ因果関係を探っていた……さあ、行こうか。柏木先生がお待ちかねだ」



 校門前に軽トラックが停車している。よく見かけるオーソドックスなタイプで、荷台にはブルーシートが掛けられている。まずは鬼山が、次いで武田先生が乗り込む。座席にはもう座れるスペースがない。


「あたし留守番してよっか?」


「君も乗るんだ。この件に関わった者を野放しには出来ない」


 やっぱり?


「鬼山宅へ向かう。そこに柏木先生もいる」


 鬼山と密着する形で乗り込むや、武田先生が言った。車はゆっくりと動き始め、宅地を幹線道路へ向かって進み始めた。

 息苦しい。

 不安による恐怖と、不安による緊張と、不安によるストレスがあたしをサンドバッグにしてジャブの連打を浴びせてくる。これから何が起こるのか、誰が笑って誰が泣くのか、見当もつかない。

 窓に頬をくっつけながら外を窺う。いつものバス路線だ。コンビニや飲食店や横断歩道を渡るまばらな人影がある。この緊急事態を誰も知らない。ネオンと一緒に視界を横切って、その表情はひときわ無関心そうに見える。みんな自分のことに夢中で、横幅二十センチの隙間に詰め込まれた女子高生の悲愴漂う表情なんかに気付かない。

 気持ち悪い。窓開けたい。吐きそうだ。


「沙希ちゃん、大丈夫かな……?」


 あたしは吐き気を誤魔化そうとそれを口にする。鬼山は答えなかった。


「警察に通報した方が……あぁ……!」


 ケータイないじゃん。五十嵐のバカ……借りた物は返しなさいよ。


「抵抗しなければ円滑に進む。誰も傷つきはしない」


「家でヤクザと鉢合わせたら妹の心はさぞ傷つくだろうな」


「知ってるんだろ、売上金の在処。喋って楽になったらどうだ」


「家にないことは確かだ」


「だが手掛かりはある」


「さあな」


「おばさんには出掛けてもらってるよ。この日のため、連絡網へ嘘の情報を流しておいた。今学校へ向かってる頃だろう」


「よく分かったな。父親が不在だってこと」


「…………」



 軽トラは尚も走り続ける。いつものバス路線が街灯の淡い光で浮かび上がる。すれ違う車はなく、人通りも少ない。鬼山の家は近い。


「教えて」


 窓にこめかみを押し付けたままあたしは哀願する。


「動機は何なの? 何でこんなことするの?」


 発声に合わせて窓が曇る。口元で広がって、雲散していく。

 ミラーに武田先生の虚ろな表情が浮かび上がっている。


「君が力をくれた」


 授業に見る武田先生の声色だった。

 でも、あたしは言葉の真意に辿り着けない。


「あたし……何もしてない」


 心当たりがない。


「私が一介の教師として人生を歩んできたのは、臆病な自分にいつまでも安堵していたかったからだ」


 車が加速する。


「それを否定する心の叫びに耳を塞いできたからだ」


 古びたエンジンの唸りが聞こえる。


「穢れないまま死ぬことの何が美徳かね? 妻に先立たれた私に及ぼす善行の何が美徳かね? そんなものは私から理想を奪う負の肥やしにしかならない」


 木々や家並みが猛烈な勢いで過ぎ去っていく。


「だが、良心を苛む呵責を無視できなかった」


 加速する。


「全ての選択肢が破滅を予感させた。私は生半可な私を知っていた。二の足を踏んで後悔する自分を見透かしながら、私は私の弱さに気づき始めていた」


 軽トラが急ハンドルでカーブを描く。見慣れた宅地があらわになり、五臓六腑が宙を舞った。


「停めて……」


 遠心力で声が放り出される。

 宅地を彩るあらゆるものが、迫っては遠ざかる恐怖へ取って代わった。


「停めて……停めて!」


「なぜ?」


 開き切った瞳孔が直にあたしを捉えた。


「君が力をくれた」


「知らない!」


「私に走れと言った」


「前見て!」


「まだ走れる」


「見ろ!」


「私は……」


 車体が浮き上がった。歩道に乗り上げ、灌木に突っ込んだ。その先は公園だった。

 鬼山がもぎ取らんばかりにサイドブレーキを引き、遊具を避けるためハンドルを奪った。トラックは派手にドリフトし、芝をえぐって土を舞い上げた。あたしは鬼山の腕にしがみつきながら、フロントガラスの向こう側で景色が横滑りするのを見た。荷台がアスレチックの一つに叩きつけられ、鈍い重低音で夜のしじまを破ると、車体はそれきり動かなくなった。

 武田先生はハンドルを握ったままシートに深く沈んでいた。頭を打ったんだろうか……瞬きすることで意識を繋ぎ止めているように見えた。


「あの日……」


 幽かな声。


「君の声を聴いた。力強い声だった。あの演説会で、私は吹っ切れることができたんだ」


 複雑な思いだった。

 こんなことのために叫んだわけじゃない。あたしはあたしを証明したかっただけだ。


「先生、これは正しいこと?」


 ハンドルから手が滑り落ちていった。


「それは……私が決めることではない」


 眠りへつくようにまぶたが閉じていった。先生はもう喋らなかった。


「降りよう」


 鬼山が促した。

 あたしはえぐれた芝に降り立ち、闇夜に深呼吸した。以前、学校帰りに沙希と会った公園だ。


「動くな」


 鬼山の声……じゃない。

 振り向くと、軽トラの荷台にうさぎが立っていた。パチ屋の前、学校祭、あたしの前にたびたび姿を現したあのうさぎの着ぐるみだ。夜を羽織り、無愛想な笑みが悪魔めいている。どうやらブルーシートの下に隠れていたらしい。

 うさぎは音もなく着地した。


「誰だ?」


 すかさずあたしとうさぎの間に割り込む鬼山。束の間、大きな背中で視界が塞がった。


「年寄りの運転は乱暴だな」


 男のくぐもった声が聞こえる。

 頭部を引っ張り上げるうさぎの姿が見えた。着ぐるみの中から記憶に新しいオールバックが姿を現し、こっちをねめつけた。刹那、あたしは脇腹を貫く冷たい感触を覚えて、その場に崩れ落ちそうになった。


「久しぶりだな、フクロウ」


 宮登英樹……死んでも忘れない、ナイフによって魂に刻み込まれた名前。

 もちろんサングラスは掛けてない。でも、闇のフィルターを通してその目はより残忍さをまとって見えた。冷淡で、カラッポで、死をまとって見えた。


「何しに来た」


「殺しに来た」


 打てば響く無機質な声だった。

 宮登は着ぐるみを脱ぎ捨て、暑苦しいスーツ姿で鬼山と向かい合った。あの日と同じだ。


「明日にしてくれないか。今日は忙しい」


「すぐ終わる」


「こっちにも段取りってのがあるんだ」


「撃って、終わりだ。お前はただ突っ立ってろ」


「俺が死んだら金も消えるぞ」


「お前は金の在処を知らない」


「柏木は怒るだろうな」


「あいつは関係ない」


「柳葉も堕ちたな。お前みたいな奴が組織をぶっ壊すんだ」


 宮登が内ポケットから銃を取り出し構えるまで数秒だった。

 あたしは訳が分からないまま突き飛ばされ、地面に伏せながら、反対方向へ横っ飛びする鬼山の体を目の端で捉え続けた。銃声が後を追う。夜空を貫いて、月の裏側まで届いてしまいそうな爆音だった。

 弾は逸れたらしい。鬼山は無事だった。宮登目掛けてタックルし、よろめいたところを左脚で蹴り上げる。銃が舞い、砂場の縁に落ちるのが見えた。間髪入れず右の拳を振りかざす……が、動かなかった。腕は拳を放つことなく沈んでいった。

 その隙に拳銃へ飛びつく宮登。二人は砂場を挟んで対峙した。


「情けじゃあるまいな?」


「なんかすげえ痛かった……」


 当然でしょ……五十嵐に角材でフルスイングされたこと忘れてんのかしら。

 宮登が銃を構え直した。


「無駄撃ちが仇になった。そこのトラックといい、もうじき人が来る」


「……どうする?」


「気が変わった。四肢を削ってなぶり殺しにしてやりたかった。俺の自尊心に傷をつけたお前にふさわしい死に様だ」


「あの着ぐるみ、パチ屋の前にいたのもあんただろ」


「お前のことは調べ上げた。あそこで働いてることを知り、殺す機会があればそれを逃さなかった。そこにいる小娘が俺の顔を覗き込むまでわな」


 ぅわ……バレてる。


「あの日、正体を見破られたと思った。一旦退いたものの、鬼山を殺そうとする俺の動きを柏木が快く思うはずがない。我々の一番の目的は金だ。それ故、今日まで身動きがとれなくなった」


「なぜ学校にいた?」


「お前を監視するためだ。動きを逐一報告していた。お前の家で合流するはずだったが、爺さんが暴走したお陰でこのザマだ。……もういいだろう、鬼山。殺させろ」


「金はいいのか?」


「どうせ話すまい」


 宮登が砂場を踏み越え、少しずつ鬼山へ近づいていった。


「怖いか、鬼山? 言ったよな。俺は目を見て殺すんだ。瞳が死んでゼロへ縮んでいくのを間近で観察する。お前はまさにうっ……」


 うっ……? 

 夢中で喋っていた宮登がつまずき、顔から砂場へダイブした。頭の位置がガクっと下がって、そのまま前方へ放り出された感じだった。拍子に拳銃が手を離れ、鬼山の足元へ転がっていった。立ち上がってよく見ると、宮登の右脚は完全に砂の中だった。


「〝落とち穴〟だ……」


 あたしは力なく笑った。フッフェとか、ェフッフとか、とにかくキモイ笑い方だった。沙希が施した思わぬ〝布石〟で軽くハイになっていた。


「落とち穴? よく分かんねえけどラッキー」


 鬼山は声を弾ませつつ、拳銃から抜き取った弾丸をポケットへしまいこんだ。


「これどうすんの?」


 あたしは尻を突き上げたまま微動だにしなくなった男を見下ろした。


「ほっとけ……どうせ警察が来る」


 異論はなかった。近隣の住民がひしゃげた軽トラをよく見ようと集まりつつあった。家々の窓からも好奇の眼差しが覗いている。


「行くぞ。警察は面倒だ」


 拳銃を放り、あたしたちはそそくさと公園を後にした。



 靴音だけが響く夜道だった。鬼山の家は公園から目と鼻の先で、あたしたちは見覚えのない黒い乗用車を前に立ち止まり、車内を窺った。ひと気はないが、リビングの明かりは点いている。これが柏木の車だとしたら、沙希が無事とは思えない。


「通報しよう。あたしん家だったら安全だし……」


「ここにいろ」


「でも……」


「いてくれ」


 二の句が継げなかった。

 鬼山のこんな声、聞いたことない。怯えとも怒りとも違う芯の震えを感じた。よく分からないけど……不安、だったんだと思う。あたしを見つめる憂いの瞳が瞬きの奥で見え隠れしていた。頷くことしか出来なかった。


「そばにいろ。いいな?」


「……うん」


「守ってやる」


 嬉しかった。この大きな背中に身を預けて、どこへでも歩いていける気がした。


「行こう」


 自分に言い聞かせるような語気。あたしはその後ろを黙ってついて歩いた。開けっ放しのガレージに車はなく、おばちゃんのものと思しきママチャリが置いてあるだけだった。

 ドアは施錠されていなかった。リビングから漏れた明かりがここまで届いている。

 静寂。張り詰めて、乾いている。瞬きが増える。喉が渇く。あばらに響く心音が聞こえる。

 ソファに柏木が座っていた。脚を組み、グラスに注がれたお茶を飲んでいる。銀縁メガネ。クールビズ仕様のネイビーカラージャケット。曲がったネクタイ。いつもの柏木だ。

 テーブルに鬼山の部屋で見た土鉢が置いてある。


「全員失敗か」


 自嘲的な笑みだった。


「五十嵐はどうした?」


「自分の道を選んだ」


「武田先生は?」


「事故った」


「宮登は?」


「寝てる」


 天井を仰いで笑いだした。狂気だった。


「クソガキめ。邪魔ばっかしやがって……最後の最後まで」


「…………」


「ここへ来い。ケリをつけよう。……柴田! お前もだ!」


 爆笑してたくせにいきなり怒らないでよ!

 ……言ってやりたかったけど、神経が丸ごとすくみ上がってた。あたしは鬼山の後からすり足でリビングへ入り、そこで息を呑んだ。テーブルで死角になっていた柏木の足元に沙希の姿があった。後ろ手に縛られ、横たわっている。眠ってるせいか身じろぎひとつしない。


「……何をした」


「睡眠剤だ。強力なやつ。ビビらねえ上に口わりいの。逮捕されろだの、勝兄にはかなわないだの、お前そっくりで吐き気がするよ」


 鬼山が拳を握った。制服の内側で上腕二頭筋が膨れ上がるのが分かった。


「十八番の鬼山パンチか? やってみろ。かわいい妹の首を蹴っ飛ばしてやる」


「……目的を言え」


「もう分かってんだろ」


 柏木が突き上げるような睨みを利かせた。


「瀬名大吾が隠したドラッグ売上金を取り戻すことが俺たちの役目だ。下っ端の尻ぬぐいは下っ端の役目ってわけさ」


「ヤクザが教師になれるはずがない」


「教師がヤクザを志すことは出来る。可愛げもねえお前らクソガキのお守は去年で終わりのはずだったが、瀬名雄吾へ近づくためここまでしなきゃならなくなった。どれだけ金が動いたか分かりゃしねえ……なあ、鬼山。いつから俺の正体に気付いてた?」


「宮登と初めて接触した時に勘付いた。登校時間やルート、俺と瀬名大吾にまつわる情報をあれだけ正確に流せる人物は限られてくる。それに、あんたがヤクザなら色々と辻褄が合う。その物腰、ヘタクソでやる気のない授業。赤い目、香水。職員室では居眠りしてたんだろ? もっぱらの噂だった」


 柏木はニッと笑って、懐から取り出したタバコに火をつけた。胸いっぱい吸い込んで、煙を吐き出す。タバコのにおいじゃない。


「染みろ……冴えろ……」


 煙を吸い込む。


「染みろ……冴えろ……」


 上目遣いで笑いかける。


「これなんだと思う? 柴田、答えろ」


 答えたくなかったし、答えられなかった。あたしは息を止めていた。

 柏木が退屈げに舌打ちした。


「お前はクラス一の出来損ないだった」


 煙と一緒くたに吐き捨てた。


「これは大麻だ。俺を幸せにしてくれる」


 もう一度吹かす。まぶたが垂れてきた。


「吸うと目が充血する。眠くなる。においも着く……香水で誤魔化さなきゃならなかった。知ってるか? 大麻は吸うだけなら罪にならないんだ」


 流暢に話したかと思えばしゃっくりみたいな引き笑いを連発する。


「『あかずの間』を利用する必要があった。お前ら悪ガキどもにさえ気をつければ、あの教室で大吾がしくじった分のツケを払うことが出来た。誤算だったのはお前の存在だが、まさか瀬名大吾と接点があったとはな」


「……どこで知った?」


「瀬名がお前と大吾の関係をほのめかした。ビデオカメラに記録されていた。どっかの阿呆が盗撮用に仕掛けたカメラだ。それでピンと来たよ。数日後、俺は宮登を使ってお前から金の在処を聞き出そうとした」


 柏木は飲みかけのお茶へ吸いかけの大麻を放った。


「これが二階にあった」


 アゴで土鉢を指す。鉢は土で満たされ、黙然と佇んでいる。


「ずっと探していた物だ。消えた売上金へ繋がる手掛かりになると踏んでいた。鬼山……この〝中身〟は何だ?」


 その答えが売上金の在処に関することなら、鬼山はきっと答えられないだろう。核心に迫る柏木の口調がそれを強く物語っていた。でも、そうはならなかった。


「売上金の隠し場所が書かれたメモだ。ビニールに入ってた」


 あっさり白状しちゃった。

 途端に柏木の顔つきが変わった。笑みが失せて、緊張をはらんだ。


「金の在処、ずっと知ってたのか?」


「いや。メモは二枚あった。俺に宛てた手紙と、隠し場所が明記されたもの。俺は手紙しか読まなかった。その内容が、もう一枚のメモに何が書かれているかを示唆させるものになっていた」


「……メモ、どこやった?」


 鬼山は小さく肩をすくめた。


「あんたにやった」


 あたしは思わず柏木を見た。柏木は狐につままれた様相だった。


「今なんつった?」


「あんたに、やった」


 柏木が立ち上がり、こっちへ歩み寄ってきた。鬼山から片時も目を離さず、テーブルを器用に周り込む。


「どういう意味だ?」


 当然、身に覚えないって感じ。

 二人はヘソとヘソでくっつきそうなほど間近に迫り、睨み合った。


「あんたは選択できなかった」


 鬼山は言った。


「目に見えないものを選択できなかった。あんたを試したんだ。メモは〝絵本〟の中だった」


「……『おばけのバーベキュー』」


 タイトルが画像としてはっきり頭に浮かんで、音へ変わった。あたしの一言で柏木も気付いたらしい。目が丸みを帯び、口がポカンと開いた。


「宮登と接触した数日後だ。反応を見て、あんたが柳葉一家の構成員かどうか知っておきたかった。……だがこの様子だと、あんたは本を開かなかったみたいだな」


「本は……捨てた……」


 鋭い眼光が、まるであたしのせいだと言わんばかりに眉間へぶち当たった。


「捨てさせた……ハッ」


 また笑いだした。

 ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!

 怒り任せ。やけくそ。そんな笑い方。そして……

 鬼山の巨体が背中から壁に叩きつけられた。あっという間で見えなかったけど、顔を殴られたらしい。膝が折れ、床に手を着いた。そのまま腹を蹴られ、腕を蹴られ、床に伸びても尚追い打ちをかけられた。

 どうすることも出来なかった。あたしは顔を逸らし、恐怖しながら、人が壊れていく音をただ聞いているほかなかった。

 やがて静かになった。聞こえるのは荒い息遣いだけ。目を開けると、仰向けの鬼山と傍らに立つ柏木の姿が見えた。鬼山は動かなかった。右の頬に痣ができ、口から血を流している。周囲にさっき抜き取った弾丸が転がっている。


「鬼山……?」


 呼びかけても反応がない。応えたのは柏木だった。


「台無しだ」


 呟いて、鬼山に唾を吐きかける。


「この三ヶ月、お前に警戒しながら瀬名との距離を縮めるのは容易じゃなかった。あの目ざとく賢い瀬名相手に大吾のことを聞き出すには信頼関係が必要だった。何ヶ月も費やした。クラスでは一番ひいきしたし、生徒会や進路の相談には度を超えて親密だった」


「あいつは徐々に追い詰められていった。選挙とテストが重なり、精神面で衰弱していくのが分かった。俺はより深く付け入り、同時に監視した。だが最近になっていよいよ勘付かれた。数日前、柴田に助けを乞おうとしていたところを間一髪で引き止めた」


 柏木が鬼山の胸倉へ掴みかかり、引き寄せた。


「俺が今ここにいるのは、大吾がお前を選んだからだ」


 鬼山の首が横へ傾ぐ。


「もう用済みだ。お前も、鉢植えも」


 そのまま引きずりだした。片手で軽々と。リビングを横切り、あたしの前までやって来た。


「どけ」


 どかなかった。あたしは玄関とリビングの境目に立って、両腕を広げた。指先は固く握られ、拳になっている。食いしばった歯を剥き出す。


「どけ」


「いやだ」


 ぶたれてもいい。鼻が潰れてよりブサイクになっても構わない。


「鬼山を返して」


「こいつは殺す。生きたまま火をつける」


「返せ!」


 体当たりするも髪を鷲掴みされ、リビングへ投げ飛ばされた。髪の切れる音が聞こえた。フローリングに叩きつけられ、テーブルの脇を転がった。痛みと衝撃で頭から意識がこぼれかけた。ここから横たわる沙希が見える。引きずられていく鬼山が見える。

 守らなきゃ。アドレナリンが手足に発破をかけた。立ち上がると涙が溢れ、頬を伝った。涙は痛みと、悔しさと、恐怖を湛えていた。あたしはそれを拭った。

 弾丸を拾い上げ、柏木目掛けてぶん投げた。弾は後頭部に命中した。


「……やめろ」


「鬼山、返して」


 拾って、ぶん投げる。拾って、ぶん投げる。肩に当たる。メガネに当たる。


「やめろ……やめろ!」


 柏木が突っ込んできた……が、躓き、派手にすっ転んだ。鬼山が足払いを掛けていた。


「……逃げろ」


 鬼山の声にならない声が聞こえた。あたしは沙希を抱き上げようと身を屈めるも、途端に頭を殴打され、気付くと仰向けに倒れていた。体中から五感が切り離されていく。肉体だけを残して、意識が床下へ沈み込んでいく。

 あたしを覗き込む柏木の顔があった。目は見開かれ、唾液が糸状に滴る。馬乗りになるや首に手を掛ける。抵抗するも及ばず、ゆっくりと締め上げ始めた。爪が食い込む。熱い息がかかる。


「……俺は信じない」


 おぞましい声だった。


「俺は幽霊なんか信じない……不明瞭な未来に、俺は俺の思念を託さない! 俺は選んだ……成り行きだけで教師になった俺は、退屈な未来を捨てることを選んだ!」


 体重のほとんどが首にのしかかっていた。

 痛い。苦しい。死にたくない。死にたくない。死にたくない……。


「殺す……お前たちを殺して、俺は俺を証明してやる……!」


 意識の遠く端っこで、あたしはそれを見た。おばちゃんの買ってきた不気味な赤子の壺が宙に浮いている。誰かが手に持っている。次にはもう、柏木の頭へそれを叩き落としていた。陶器の割れる音と飛散する壺の断片が部屋を満たした。狂乱に達しかけた男の肢体は横様に倒れ、粉々に砕けた壺にまみれて大の字を描いた。

 すぐそばに一矢が立っていた。タータンチェックのパジャマに身を包み、微動だにしない柏木の肢体を何食わぬ顔で眺めている。


「イッチ……ありがとう……」


 あたしは言ったけど、この引きこもりの大男が成し遂げた偉業を素直に受け入れられなかった。目の前の光景がテレビの向こう側で起きた出来事のように感じられて、あたしはこうやって床に寝転がったまま、ただ弱々しい粗末な笑みを投げかけることしか出来ないでいた。


「やったのか?」


 鬼山が玄関から這ってきた。


「おう、クリティカルヒットだ。殺すつもりでやったからな」


 その声色はいつも通り陽気で明るかったけど、トーンが少し上ずって、首筋には汗の粒が滲んでいた。


「沙希を見てやってくれ。俺は警察へ連絡する」



「本当にお金の隠し場所知らないんだよね? メモ失くしちゃったらもうおしまいじゃん」


 あたしは沙希をソファーに寝かせながらなじった。頭の痛みも相まってひどくしかめっ面になっていたと思う。鬼山は壁に寄りかかりながらぐったり座り込んでいる。警察へ通報してから五分以上経っていた。


「汚い金だ。分からないならそれでいい」


「また狙われたらどうすんのよ」


「ケリをつけるさ……」


「あんた、沙希ちゃんに新しい絵本買ってあげなさいよ」


「なあ。その金っていくら?」


 一矢が食いついた。

 2,500万。あたしが答えると、一矢の目の色が変わった。


「汚いだって? それで尻でも拭いたのか? なあ、勝二。俺がその金を綺麗に使ってやるよ。今日のことだって、半分は俺の手柄として妥当だろ? こいつを仕留めたのは俺なんだからさ。でなきゃみんな死んでた」


「かわいい妹を人質にさせて、のうのうと隠れてた奴が言うセリフか? クソ兄貴」


「結果オーライじゃねえか。この家に勇猛なヒッキーがいることに気付けなかったこいつの落ち度はでかい……」


 声が縮んでいった。

 見ると、柏木が半身を起こしていた。壺の破片がパラパラと床を打った。


「よう」


 鬼山の挨拶。柏木は焦点の定まらない眼であたりを見回した。


「てめ……死んだかと思った……」


「残念だ。あるいは死ぬより始末が悪い」


「何言ってる……?」


 折しも、パトカーのサイレンが聞こえてきた。弾かれたように立ち上がる柏木を見て、鬼山が鼻で笑い飛ばした。


「車のキーや財布なら預かっといたぜ。明日学校で返してやる」


 柏木は血相を変えて家を飛び出していった。

 一矢が奮然とこっちを振り返った。


「追うぞ!」


「何で……」


「いいから! 急げ!」


 せっつかれるまま外へ出た。既に柏木の姿はなかったけど、一矢の注目は全く別のところにあった。


「おばちゃんのチャリがなくなってる!」


 何がそんなに嬉しいんだろうか。

 訝ってると、夜の閑静な住宅街に騒音と叫び声が響き渡った。すごく具体的に言うと、自転車が塀にぶつかった衝撃でさぞ悲痛な目に遭った柏木の絶叫、ってところね。


「ビンゴ!」


 遂に踊り始めた。


「ターゲットは外れたが大成功に変わりはない!」


「ちょっと、一人で盛り上がらないでよ!」


 あたしはポカスカ殴って気味の悪いダンスをやめさせた。


「前に話したろ、おばちゃんを懲らしめる勝二との計画のこと! あのチャリンコのブレーキはぶっ壊れてた!」


 呆れた。

 このご時世、生き残るのは結局アホなのかしら。


「そこの丁字路へ突っ込んだに違いない。今度こそ死んだね、あいつ……おい、どこ行く気だ?」


 鬼山がおぼつかない足取りで家から出てきて、あたしの腕を掴むと、歩道まで引っ張っていった。訳が分からなかった。


「警察が来る前にここを離れる。事情聴取は兄貴に任せた」


「任せたって……震えながら息殺してたこと話したってしょうがねえじゃん」


「壺の武勇伝でも聞かせてやれ。俺たちは学校へ向かう」


 学校……。

 朝倉の最後の言葉が脳裏をよぎった。


『僕は藤堂や夏目のことをボスと呼んだけど、真の悪はあいつらじゃない。用心しろよ。いいか、〝灯台下暗し〟だ』


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