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新・TIKARA  作者: 南の二等星
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第一話 不良は粗大ゴミだ

 

 今日も絵に描いたような春日和だった。

 あくびが止まらない。春の日差しを贅沢に吸い込んで、吸い込んで、吐き出す。

 嗚呼、もったいない。肺が四つあればいいのに。二つは呼吸用。二つは保存用。冬に出し入れすればカイロ要らずってわけ。今から努力すれば、あたしの子孫は肺が四つになるかもしれない。

 電柱が桜並木になればいい。アスファルトが芝桜を咲かせて、風に乗って香ったらいい。そんな道を歩けたらいい。背中に羽が生えて、空を飛べたらいい……家々の屋根を縫って、あたしは雲のソファーで横になる。街を見下ろして、目障りな教科書を放り投げた後、働きアリみたいに小さくなった人たちへ向かって言うんだわ。ごきげんよう! ってね。

 学校サボってお花見もアリだけど、おあいにく、あるのは無愛想な電柱の呆け顔だけ……でも、スズメが電線で羽を休めてる。見てるだけで心が春になる。ナイスよ、電柱さん。

 公園脇にひっそり佇む、青いバス停が見えてきた。ラッシュ前を狙ったので閑散としてる。一人、長身の男子高生が突っ立ってる。学ランの上で明るい茶髪がなびいてる。


「ごきげんよう」


 挨拶。礼儀でしょう? でもこの大男は目を眠たげにパチパチさせるだけ。


「クラス、また同じっっといいですわね」


 噛んだ。


「担任の先生、もういじめちゃダメですわよ?」


 男はだんまりを通す。背後の電柱より無愛想。

 カバンから手鏡を取り出す。映るのはあたしという現実……そう、現実。春なんてクソ喰らえ。

 ですわよ? 気色悪っ。

 ごきげんよう? ありえない。

 肺が四つ? 笑わせないで。

 これが現実。

 鏡に映るのは、十六歳、高校二年生、柴田華世しばたかよという、平凡でのっぺらなパーツの寄せ集め。良いとも悪いとも言えない顔立ちに、決して人には自慢できないほどのスタイル(他校では「かわいい!」と評判のセーラー服も、あたしにとっては無慈悲な物。どんなにうまく着こなしたって、チワワにウエディングドレスのコスプレを強要するのと大差ない)。肩まで伸びた黒髪の、それなりにサラサラな質感。歩けばしがないシャンプーの香り。

 これが現実。普通という現実。普通が幸せであることを〝退屈〟だと感じ始めた女子高生の末路ってわけ。取り柄もなければ夢もない。SM調教の度を越えた夢想に耽るヘンタイとはほど遠いし、悠々と帰宅部やってる割に頭も悪い。

 けど勘違いしないで。こう見えてあたしはあたしに満足してるんだから。だって、〝普通〟なら目立たないでしょ? 酸素みたいに漂って、誰かの体内で二酸化炭素として生まれ変わったら、光合成されてまた元へ戻るの。同じだけど、違う酸素にね。人間ってそんなもんでしょ?


「沙希ちゃん元気? 久しぶりに会いたいなあ」


 男が他人行儀を決め込むせいで、あたしは鏡の中の自分と真顔で喋るヤバイ奴だった。前髪をでたらめにいじりながら、視線を男の方へゆっくり滑らせてみる。目が合う。


「あたしが今話しかけてる男って、鬼山勝二きやまかつじで間違いないんだよね?」


 視線をそらしやがったので追い打ちをかける。その名を口にした数瞬、両肩がピクリと跳ねるのを見逃さなかった。


「ねえ、あんた鬼山勝二なんでしょ? どうなのよ、鬼山勝二? 鬼山く~ん?」


 これでもかと連呼する。ざまあみろ。男はいよいよ根負けした。


「うるせえ」


 短く、小さく、力強く言い放つ鬼山。けど語気は弱い。まだ眠いんだ。


「鬼山勝二。鬼山勝二。鬼山勝二。き、や、ま、か、つ、じ!」


 あたしは知ってる。この男は、公共の場でその名を口にされることを恐れている。理由は一つ。自分が鬼山勝二であるということを他人に悟られてしまうから。要するに、こいつには敵が多いってこと。


「もう黙れ。それ以上言ったら……」


「何? 殴るの? 噂に聞いてるよ。あんたのパンチって凄いんでしょ。ゲーセンのパンチングマシンを素手で殴って壊したとか」


「いつの話してんだよ」


 辺りをキョロキョロする鬼山。幸いにも、バスを待ってるのはあたしたちだけ。


「学校以外で俺の名前は呼ぶなっつったろ。バカ」


「バカじゃねえよ。わざとだもん。ムカついたから思い知らせてやろうと思って」


 間もなくバスがやって来た。ドアが開くと、鬼山は逃げるような足取りで乗り込んでいった。


「そばに寄るな」


 振り向きざま冷たく言う。

 へいへい。あたしは肩をすくめる。分かったよ、フクロウ。

 あたしは前の座席に、鬼山は一番後ろの座席に腰を下ろし、朝のひと気のないバスの中でそれぞれ沈黙した。

 鬼山は現役の不良だ。〝不良〟って呼称はニュアンスが曖昧で苦手だけど、取っ付きやすく言うとそんなところね。それも筋金入り。

 タバコ? 酒? 序の口。

 喧嘩? ギャンブル? 朝飯前。

 一番厄介なのは、あいつが露骨に法を破った時。最近、遂にその噂が立ってしまった。

 大麻。マリファナ。その流通経路に直結した暴力団と接触してる……らしい。飽くまで噂。

 本人には確認してない。いくらあたしでも聞けないことはある。だってあいつがそれを認めたら事実になっちゃうもん。あいつの悪行には慣れっこだけど、でもやっぱり現実って怖い。

 鬼山との出会いは十年以上前。つまり、あたしに言わせれば幼馴染、鬼山に言わせれば腐れ縁。小中高と同じ学校で勉強に励んだ。ちなみに、クラスも全て一緒。これも現実。

 ののしり合い、励まし合い、時には救いの言葉で慰め合うことも……それはないか。鬼山を美化するとロクな目に遭わない。高校へ進学してから会話は減ったけど、それでもあたしにとって、鬼山という男がかけがえのない存在であるのは確かだった。ああ見えて頼りになるんだから。

 そんな鬼山に麻薬売買のことを聞き出すなんて絶対に無理。だからあいつの傍では眠らない。寝言で口走らないために。

 互いに深く詮索しないこと……鬼山との関係を維持していく暗黙のルールの一つね。



 見慣れたバス停が見えてきた。ここで降り、更に五分歩く。この大きな通りからコンビニの脇を抜けて宅地へ入っていく。

 バスを降りても会話はなし。いつものことだけど。鬼山曰く、「何が起こるか分からないから、外を歩く時は俺の半径五メートル以内に近寄るな」ってことらしい。

 アホくさ! って最初はバカにしてたけど、街中で他校の生徒たちに絡まれた時や、チンピラの皆さんに待ち伏せされた時なんかは、その五メートルという距離を駆使してよく〝赤の他人〟に成りすましていた。

 なぜそうまでして一緒に歩きたいかっていうと、他に友達がいないから。

 理由は明白。クラスのみんなが、あたしと鬼山の密接な関係に疑念を抱いてる。もちろん、人前で「勝二くぅ~ん」なんて呼んだりしない。あたしはバカだけどその手のバカじゃない。けど、火のない所に煙は立たないでしょ? 幼馴染だし、家だって近所なんだから、そりゃ煙たくもなるわよ。

 クラスメートが……いや、教師を含めた学校中の多くの人間が、鬼山勝二を恐れて近づこうとしない。そんな男を相手に平然と会話ができるあたしを、みんな「すげえ肝っ玉女」と認めてる。あだ名じゃない。不名誉なレッテルでいい迷惑なだけ。お陰さまで、この一年、(ある一部を除いて)誰からも話しかけてもらえなかった。いじめほど陰湿じゃない……関わりたくないがための、ほとんど無視って感じ。


「クラス名簿だ」


 鬼山が何か言ってる。見上げると、ほとんど白一色の玄関扉が視界を横切る。クラス替えを控えたあたしたち二年生の名前がそこに張り出されていた。


「あたしの名前どこ……?」


 名簿を見るのが怖かった。もし、鬼山と違うクラスになってしまったら……十年続いてきた珍奇にピリオドが打たれるとしたら……元凶が消えて友達100人できるだろって? あっはは。笑える……いや笑えない。友達100人より鬼山が欲しい。

 天を仰ぐ。胸中で合掌する。


『嗚呼、職務怠慢の神様。たまには仕事しろ。鬼山と同じクラスにしてださい』


 ウインクも添えて。まあこんな感じ。


「おい」


 つむじに鬼山の声が降り注ぐ。ぼーっとしてるあたしを見兼ねて声をかけたらしい。


「さっさと行くぞ。二年五組だ」


 あくび混じりに鬼山が言った。意識がストンと戻ってきた。

 鬼山を押しのけ、あたしは二年五組の名簿へ急いだ。膝が震えだした。

「二年五組……男子四番『鬼山勝二』……女子六番『柴田華世』……女子六番『柴田華世』……男子四番『鬼山勝二』……」


 上から下へ、下から上へ、舐めるように名前をなぞり、穴の開くほど名簿を見つめた。

 夢じゃない。現実だ。これが現実……十年続いたありきたりで平凡な現実。マンネリが訪れるまでは幸せを噛みしめていられる現実。まるでガムね。味が失せたら捨てるだけ。でも……幸せ。


「君も五組? 同じクラスだね」


 すぐ脇に男子が一人立っていた。驚きのあまり返事をし損ねた。そんなあたしを見て、男子はクスっと破顔する。嫌味のない笑みだった。


「何やってんだ。早く……」


 背後から聞こえてきた眠そうなイライラ声は二の句を継げなかった。振り向くと、怪訝な表情で男の子を観察する鬼山の顔があった。


「初めまして。僕は瀬名雄吾せなゆうご。卒業までの二年間、どうぞよろしく」


 瀬名くんは『優等生』のイメージそのものだった。 

 ただ、唯一際立った特徴を挙げるなら、目かしらね。眉間をぶち抜いてくるような眼差し。熱と質量を感じる。


「せな、ゆうご……?」


 鬼山がぼそりと呟いた。訝るような視線だ。


「あたしたちと同じ二年五組なんだって、鬼山」


「鬼山……君もしかして、あの鬼山勝二?」


「だったら?」


 誰もが恐れるその名を、瀬名くんはついうっかり声に出してしまった。鬼山はグイっとアゴを突き出し、鋭い視線で突っかかった。

 この学校を出入りするまともな人種なら、この睨みと言葉の鬼山コンボでイチコロね。運良く失神しなくて済んだ人は、命からがらどこかへ逃げおおせるはず。けど瀬名くんはどちらも選択しなかった。


「君を知ってるぞ。不良たちの間では他校からも悪名高い鬼山勝二だな? 一年の頃から君の噂はよく耳に入れてる」


 不敵な笑みからは、瀬名くんに宿るたっぷりの自身と力が滲み出ていた。


「俺はお前なんか知らない。興味もない。消えろ」


「そうさせてもらうよ。僕は職員室に用があるから」


 こわ。

 軍隊さながら、華麗な回れ右を披露してその場を去っていく瀬名くん……自殺志願者かしら? 命がいくつあっても足りないわね。


「あんたって、ケンカ相手を見つけ出す天才なのね。単にケンカする口実作りに余念がないだけだろうけど」


 皮肉は空振り。鬼山はもう校舎の中だった。



 二年五組はとても日当たりの良い、だだっ広い空虚な校庭の見渡せる教室だった。あたしと鬼山の他にまだ生徒はいない。微かな物音が空気を震わせて、カラッポ同然の教室によく響く。廊下へ顔を突き出しても、どこか遠くの方から足音が聞こえるだけ。

 新鮮な教室、新鮮な雰囲気。五感が冴えて、全てが鮮やかだった。何かが始まる予感がする……第六感ってやつ。それはいいこと? 悪いこと? どっちでもいいや。


「さっきの子……瀬名くんだっけ? まだ戻ってこないね……おい」


 寝てら。大きな図体を小さな机に沈めて。

 学校において、鬼山との間に会話が成立しない理由の一つがこれ。鬼山は昼食時以外のほとんどを睡眠に当てている。それも居眠りとか、仮眠とかいうレベルじゃない。完全に熟睡。あたしたちが布団にくるまって眠るのと同じで、鬼山にとって教室の椅子と机は、掛け布団と枕も同然の扱いだった。


「あーあ。進級してもそうなっちゃうんだ?」


 応答なし。返事とばかり頭がコクンとうなだれた。

 でも、同じクラスになれただけであたしは満足だ。またこいつの寝顔を……ムカツクほど愛おしいその寝顔を拝めるんだから。ありがと、神様。

 席へ腰を下ろすやドアが開いた。ドア枠にピタリと納まるのは、用紙の束を両手に抱えた瀬名くんの姿だった。


「やあ」


 芯から響く声。後ろ足で器用にドアを閉めながら教室へ入ってくる。


「さっきはどうも」


「あの……あたし、柴田っていいます。よろしくね」


 気付くと立ち上がってた。声なんか不気味に上ずってたし、自分でもどんな表情をしてるか分からない。


「……柴田さんは彼の友達なの?」


 遠慮がちなトーン。教壇の上にプリント用紙の束を落とし、横目でチラッと鬼山を窺っている。


「いや……友達っていうか、幼馴染っていうか……」


 恐るべき事態ね。ここでヘマすればせっかくのお友達候補が一人消えてしまう。それだけは避けなければ。


「ただの腐れ縁だろ?」


 まごつくあたしに余計な助け舟……鬼山だ。起きてたの?


「君……瀬名くん。あんまり俺らのこと、詮索しない方がいいと思うよ? バカ丸出しの向こう見ずだと、いつか自分の身を滅ぼすぞ」


 バカはあんたよ! あたしの友達候補を脅迫しないで!


「へえ。暴走族でもけしかけるつもり?」


 怒りが空回りするほどの冷徹ぶり。

 呆れた……瀬名くんは真正の命知らずみたい。果敢な足取りで鬼山の前まで詰め寄っていく。勢い任せじゃない。これは瀬名くんが瀬名くんであることを証明する力なんだ。そういうことにしときましょう。だって収拾つかないし。


「そんな回りくどいことなんかしない。俺一人で十分だ」


「君なんか全然怖くない」


 躊躇なく言い切る瀬名くん。その一言で、鬼山から次の言葉を奪ってしまった。


「他のみんなは君を見ただけで震え上がったかもしれないが、僕は違う。暴力には屈しないし、脅しにも乗らない。タバコ吹かして、酒あおって、喧嘩して、それで強がってるつもり? 君みたいな輩を世間が何て呼ぶか知ってる? 『粗大ゴミ』だ」


 やばい。

 取っ組み合う二つの視線。その交点に火花が見える。

 鬼山が立ち上がる。あたしが止めに入る。駆け寄った途端、開く教室のドア。

 グレーの背広に身を包んだ見知らぬ男が、教室へと足を踏み入れた。



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