#06 斉明
家に帰ってくると、久篠乃はちゃっちゃと風呂を入れて自分が先に入ってしまった。斉明はすることが無くなって、ソファに寝転がる。
いろんなことがあったなと思いだす。
追求者としての久篠乃の手際は素晴らしかった。やはり上宮の血を引いているからなのか、追求者としての才覚は素晴らしいものがある。
人間的にも良い人そうだなと安心した。察しが良く、こっちが話を聞いていることを分かってくれている。無理に言い分を聞かせようすることは無いだろう。
それに何より、久篠乃は斉明の言っていることを、ここまで分かっていると伝えてくれる。これが一番、斉明にとっては信頼できる点だった。もともと信頼できる前提条件があるならいざ知らず、遠縁とはいえ、現状の久篠乃と斉明の関係は他人も同然だ。そんな中で互いの考えを探り合うのは気分が悪い。後見人としてだけでなく、一緒に生活する同居人なら、なおさらだ。
そもそも斉明が久篠乃に追求者以外のことで色々言われるのが嫌だったのは、久篠乃が後見人というスタンスなのに、人間的な事にも口出ししてくる理由が『同じ上宮の追求者だから』とか『後見人として都合の良いように育てるため』という事だろうと思っていたからだ。前者については、よく付き合いの合った雅などならいざ知らず、突然現れて押しつけがましく『上宮の血』を強調してくる他人に対しては、むしろ苛立ちを隠せなかった。後者については論外だ。そうだと確定すれば、一定の線を引いて接するようになっただろう。
だが久篠乃は違った。上宮の血という単語を出した時は、それを押し付けてくるのかと思ったが、その後の態度を見れば、そういうつもりじゃないのは一目瞭然だった。
もしそうなら、こっちにとって都合の良い単語を並べて信頼を勝ち取ろうとしてきたはずだ。だが久篠乃は「私の言い分は聞くだけで、その判断は自分でしてくれればいい」と言った。
追求者の、解創の教育では師弟関係があっても、人間としては対等な立場であると言ったのと同じだ。
そういうことなら斉明だって、久篠乃の言い分を、頭ごなしに否定するつもりはないのだ。
さっきまではお客さんだったが、そういうことがあると、このリビングも、少しだけ居心地が良くなった気がする。自分の家、少しは気を緩めても良い場所…………。
「斉明」
はっとして瞼を開ける。少しだけ汗をかいていた。斉明はソファから起き上がる。
「何そんなところで寝てんの? 暑いでしょ。お風呂あがったから、入ってらっしゃい」
久篠乃の言葉で風呂に入っていなかったと思い出す。ソファの傍に置いていたリュックサックを開けようとして、手が止まる。
「その……僕の部屋ってありますか?」
「うん。斉明の部屋はそっち」
斉明はリュックサックを持って、久篠乃が指差した扉を開ける。
それほど広い部屋ではなかったが、机もあるし、ベッドもある。白熱電球っぽい色合いの照明は、眠たくなりそうだが許容範囲内だ。リュックサックから着替えの服だけ取り出して、脱衣所に向かう。
曇りガラスの扉を開けると風呂がある。まるでホテルのようだ。なんとも落ち着かないが、曇りガラスなだけマシだろう。
洗濯籠を覗いてギョッとする。斉明はただの小学校四年生だ。今まで洗濯の手伝いなどしたことが無いから、女性ものの下着なんて初めて見る。
自分の服を脱いで被せるように籠に入れて、目の毒を視界から排除する。落ち着いたが、今度自分がこの服を着る時には、間接的に……と考えて変な汗が出てきた。
――自分の洗濯物どうしよう……。
それが現在の斉明にとっての最大の懸念だった。家族ならいざ知らず、遠縁の親戚にあたるとはいえ、今日が初対面の久篠乃に触られるのは抵抗がある。
――これからずっとこの人といるわけだし、気にしても仕方がないのかな……。
諦めて、斉明は脱いだズボンと下着を洗濯籠に入れた。
風呂から出て身体を拭いて着替えを済ませると、斉明は脱衣所の扉を開けた。
「おっ、サッパリした? ふむ……」
なぜかすぐに久篠乃が出迎えた。その視線が後ろに行く。なんだろうか?
「斉明はトランクス派か」
風呂から出たばかりなのに、また汗が噴き出した。洗濯籠を見ると、最後に脱いだトランクスが一番上にあるので丸見えになっていた。斉明が下にあった自分の服で下着を隠すのを見て、久篠乃はケラケラと笑っていた。
「今さら隠してどうすんのよっ……!」
「あーもー! なんでもいいですけど、今からどうするんですか!」
「今から?」
なんのことか分からないというように、久篠乃はキョトンとする。その反応が、斉明の癪に障った。
「仕事ですよ! なんかやることあるんじゃないですか?」
「我が社に残業はありませーん」
「じゃあ、なんでそんなところ立ってるんですか?」
「アイスいる?」
差し出される水色の氷菓は、風呂から出たばかりで身体の火照っている斉明には、とても魅力的に見えた。
「……頂きます」
氷菓にかぶりつくと、想像していた通り冷たかった。サッパリとした味は、暑い季節にぴったりだった。
ソファに座った久篠乃は、新聞を眺めながら斉明に尋ねてくる。
「斉明って怖いの大丈夫?」
「人並みには……」
「人並みに大丈夫って、どの程度よ」
言われてみれば曖昧だなと斉明は思った。
「これ見よう、これ」
テレビの電源を付けて、久篠乃はザッピングしてチャンネルを合わせる。何か始まるようだ。
「……もしかして、自分一人で見るのが怖いんですか?」
「いや、斉明が怖がったらいいなって」
悪趣味すぎる。やがてホラー番組が始まったので、斉明もソファに座った。
一時間ほどの番組が終わって、ぽつりと久篠乃は呟く。
「怖かった?」
「別に……」
正直、小学生の目からしても作りが雑だった。恐怖を煽り立てるテロップやアナウンスのせいで、逆に冷めてしまった。
「だよねー……CGも使いすぎると安っぽくなるっていうか……」
言いながら横に座っていた久篠乃が立ち上がって、すぐ目の前を通り過ぎた。そのとき互いのズボンの裾が擦れ合って、思わず斉明は動揺した。いつの間にか、こんな距離が近くなっていた……。
「ん? どうかした?」
キッチンからオレンジジュースの入ったグラスを持って現れた久篠乃は違和感を抱いたらしいが、具体的な正体にまでは気づかなかったようだ。
「いえ、別に……」
斉明は久篠乃が見てない間に、少し久篠乃から離れて端の方に寄った。出来れば間に何か置きたかったが、それはあからさま過ぎるだろう。
少しの間ジュースを飲みながら、久篠乃と他愛もない話をする。ふと久篠乃は壁にかけてある時計を見上げた。
「そろそろ寝ようかな……斉明も、あんまり夜更かししすぎないようにね」
「そうですね……僕も、もう寝ます」
斉明はコップをキッチンで洗って乾燥機に入れると、自分の部屋の扉を開けた。まだ荷物が無いので、ひどく物寂しい感じがする。
「一緒に寝るかい?」
ぼうっと扉を開けて突っ立っていたら、後ろから久篠乃が茶化してきた。にひひ、といたずらな笑みを浮かべている。
「別にいいです」
軽くあしらった斉明は、ピシャリと自室の扉を閉めた。「つれないわね」と扉の向こうから聞こえた。
――寂しい。
ふとそんな感慨が浮かんだ。そして苛立つ。あんなことを言うから意識するのだ。
雅とは正反対なタイプだなと思った。こっちの心情を察して受け入れてくれる雅と、こっちの状況を察して色々気を遣ってくれる久篠乃……。
そこまで至り、自己嫌悪に陥った。自分に都合が良い女なら、誰でもいいのか、僕は。
――なに馬鹿なこと考えてるんだろう……。
ベッドの上で身体を横に倒すと、体育座りのように自分の身体を抱いて、眠った。